今日、レビューの依頼を受けました。普通の論文のレビューの依頼ではなく、驚いた事にイスラエルの研究者がイスラエルの科学基金に申請した研究計画のレビューでした。どうしてイスラエルの科学基金が研究費申請書のレビューを私に頼んでくるのでしょう?この基金はイスラエルでの日本の文部科学省またはアメリカでのNIHのようなものみたいです。日本では科学研究費の申請を文部科学省にしたら、普通日本人がレビュ-すると思います。イスラエルでは国内の人間がピアレビューをすると利益相反が大きいのでしょうか?あるいは単に国内でレビューできる人が忙しすぎるか数が少なくて、外国にレビューのアウトソーシングをするのでしょうか?興味本位でなんだか悪いようですが、とりあえず乗ってみようと思い承諾しました。
その後、研究計画書が送られてきたのですが、全部で50ページほどの文書のうち、研究計画と予備結果の分はシングルスペースで約15ページです。4年分で$350,000の研究費を申請してあります。申請書の分量はNIHの小規模の研究グラントとほぼ同量なので、リーズナブルな分量だろうと思いますが、申請書はヘブライ語ではなく英語で書かれているのです。Budget JustificationもUSドルで示されています。もちろんイスラエルにはワイスマン研究所という世界トップクラスの研究所がありますし、外国からの留学生も沢山受入れているでしょうから日本よりは英語環境はより整っているはずです。それでも私の乏しいイスラエル人との交流の経験からは、非英語圏の中で彼らの英語はフランス人なみにヘタな方だと思います。そんな中で、NIHなみの分量の英語の研究申請書を国の研究基金が要求するのですから、気合いが入っているなと思いました。日本で同じ事をやったらどうなるでしょうか?むかし私の知っていたころの日本の科研申請は、たった数ページしかないくせに、どこに判子を押せとか、枠からはみ出すな、とかどうでもいい事ばかりに厳しく、形だけという感じで申請書の内容を十分評価できるようなものではありませんでした。おそらく過去の実績とか有名度とかそんなもので評価されていたのではないかと思います。過去の実績が重要なのはどこでも同じでしょうが、これではいくらよい研究計画があっても若手は評価されにくいのは間違いないでしょう。もし、英文で15ページの申請書の提出を日本でも要求すれば、それだけで申請者の能力はかなり評価することが可能になるのは間違いないと思います。また当然レビューアに対しても英語によるクリティークの提出を求めねばなりません。これは明らかに書き手およびレビュー側に時間の負担を強いることになります。研究費の割り振りを研究者内で行うわけですから、そうした時間の負担を避けたい研究者はみな嫌がるでしょう。しかし、英文で科学の成果を発表し、英語でコミュニケーションすることを求められる研究の世界では、科研申請およびそのレビューをを英語でさせるということは、長期的には日本の研究界にとって利点が大きいと思います。
その後、研究計画書が送られてきたのですが、全部で50ページほどの文書のうち、研究計画と予備結果の分はシングルスペースで約15ページです。4年分で$350,000の研究費を申請してあります。申請書の分量はNIHの小規模の研究グラントとほぼ同量なので、リーズナブルな分量だろうと思いますが、申請書はヘブライ語ではなく英語で書かれているのです。Budget JustificationもUSドルで示されています。もちろんイスラエルにはワイスマン研究所という世界トップクラスの研究所がありますし、外国からの留学生も沢山受入れているでしょうから日本よりは英語環境はより整っているはずです。それでも私の乏しいイスラエル人との交流の経験からは、非英語圏の中で彼らの英語はフランス人なみにヘタな方だと思います。そんな中で、NIHなみの分量の英語の研究申請書を国の研究基金が要求するのですから、気合いが入っているなと思いました。日本で同じ事をやったらどうなるでしょうか?むかし私の知っていたころの日本の科研申請は、たった数ページしかないくせに、どこに判子を押せとか、枠からはみ出すな、とかどうでもいい事ばかりに厳しく、形だけという感じで申請書の内容を十分評価できるようなものではありませんでした。おそらく過去の実績とか有名度とかそんなもので評価されていたのではないかと思います。過去の実績が重要なのはどこでも同じでしょうが、これではいくらよい研究計画があっても若手は評価されにくいのは間違いないでしょう。もし、英文で15ページの申請書の提出を日本でも要求すれば、それだけで申請者の能力はかなり評価することが可能になるのは間違いないと思います。また当然レビューアに対しても英語によるクリティークの提出を求めねばなりません。これは明らかに書き手およびレビュー側に時間の負担を強いることになります。研究費の割り振りを研究者内で行うわけですから、そうした時間の負担を避けたい研究者はみな嫌がるでしょう。しかし、英文で科学の成果を発表し、英語でコミュニケーションすることを求められる研究の世界では、科研申請およびそのレビューをを英語でさせるということは、長期的には日本の研究界にとって利点が大きいと思います。
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