百醜千拙草

何とかやっています

ひらめき

2007-04-12 | Weblog
ここしばらく空回り状態であれこれ考えたり論文を読んだりしていたのですが、数日前の朝、突然アイデアがわきました。ちょっと調べてみるとそのアイデアに沿ったデータが出ました。データの数が少ないので、まだこの方向へ進むのが正しいかどうか裏付けが足りません。もっとデータを集めるしかありません。
しかし、こうしたひらめきというのは数年に一回しかありません。生物現象においては、集めたデータを素直に解釈して正しく理解できるということはまれだと思います。そもそもそんなに簡単に行くのならみんな苦労はしないでしょう。正しく理解するとは自分の理解の仕方に心から確信が持てるということで、それは自分で直接生データをいじっているものにしか分からない感覚だと思います。理解のためにいろいろな実験をしてデータを出してモデルをつくるわけですが、一つ一つのデータの重みというのは、自分でそのデータを出したものでないとなかなか分からないものです。本来そうした玉石混交のデータを平等に並べてモデルを作るから誤るわけで、それ故に世の中には数々の「誤った」論文が出版されることになるのだろうと思います。
 不思議なもので、正しいひらめきというのはひらめいた瞬間に正しいことが確信できるのです。何年か前にひらめいた時は、ずっとその問題を考えていて休みの日にソファに寝そべっていた時でした。そのアイデアが正しいことは瞬間的に確信を持てました。実験的にそれをサポートするデータが出た時にはほっとしました。このアイデアを皆に話したとき、この分野に余り詳しくない人はわりと素直に理解してくれたのですが、同じ分野をずっとやってきた同僚たちは強い抵抗を示しました。彼らの考えていたモデルと食い違ったからでしょう。直属の上司も私の発見を認めたくなかったようで、そのためこの論文は随分気を使って書きました。本人はガリレオの気分でしたが。しかしこの世の中、いくら正しいことを言っても他人に納得してもらって初めて認められるわけで、この時には人に分かってもらうことは簡単ではなく、それなしには論文もグラントも無いのだということを身にしみて感じました。
 ひらめきはふと起こるのですが、それにはどうも仕込みが必要なようです。前回も何週間もいろいろなモデルを考えて思考実験を繰り返していたあげく行き詰まっていた時に思いつきました。振り返れってみれば実に当たり前のアイデアなのです。進行形の時は、それが分からないし、経験のある研究者でありながらそれを示されても理解することができないのです。だからこそ発見なのでしょうが。今回のひらめきも以前に読んだ論文のことが頭引っかかっていたこと、今回の空回り期間に自分の昔のデータを見なおしていたことが、間接的な引き金になったような気がします。朝起きてコーヒーを入れようとしたときにふと思いついたのでした。もし以前に立てた仮説のいくつかに沿ったデータがでていれば、このアイデアは浮かんでいなかったでしょう。自分の立てた仮説に基づいて苦労して実験したのに、仮説と合わない結果が出るというのは余り愉快ではありません。しかしそうやって失敗を重ねるからこそ正しい方向へ進むことができるのだと思います。
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