君が代は小学校の頃、何かの行事のたびによく歌わされました。子供心にもその単調な曲を別段歌いたくもないのにみんなで歌わねばならないということで嫌でした。大きくなるにつれて、君が代を歌う機会もずいぶん減りました。二十歳台の頃でも、スポーツの国際試合などで、国家が歌われたりすると、たとえばアメリカ国歌のようなちゃんとサビのあるメリハリのある曲の後に君が代が流れたりすると、陰気くさいなあと思っていました。それに、人間みな平等でならぬと思っていた若い頃は、その天皇賛歌のような内容も気に入りませんでした。
今朝、子供を学校へ送っていく途中の車の中で、子供たちに日本の国歌を歌ってくれと言われたのでした。それで実は君が代が国歌であるかどうかも知らなかったのですが、他に知る曲もないので、車の中で君が代を歌ってみたのです。一人で君が代を歌ったのは生まれて初めてだったかも知れません。嫌々歌わされていた頃は大勢の中に交じって聞こえないぐらいの声でしか歌ったことはなかったのです。案の定、子供たちは退屈な歌だと思ったらしいです。しかし歌った本人は、以外なことに君が代はなかなか良く出来た曲だなあと、生まれて初めて君が代という曲にちょっと感動したのでした。何がよいと一言ではいえませんが、まずは曲に和音の進行というものが必要ないのです。和音をつけてもつけれないことはないだろうと思うのですが、この曲はメロディーの強弱だけでシンプルに歌ったほうが、じーんときます。和音進行を加えるとおそらく曲の広がりを限定してしまうでしょう。俳句とか墨絵みたいなものです。あえて言わない、あえて色づけしないところに奥ゆかしい魅力があるのではないでしょうか。同じ理由で子供にはこの曲のよさが理解できないのでしょう。この曲の比較的単調に思われるリズムの上でゆっくり歌われるメロディーは、むしろその一見して単調に見えるリズムとあたかも無調のような曲調ゆえに、却って音として聞こえない部分の音楽を聞かせているような気がします。また歌詞についても別段「君」を天皇と考えずに象徴的日本人と自由に解釈することもあっていいのではないかと思ったら、別段気にならなくなりした。機会があったら、一人でゆっくり味わいながら歌ってみてください。日本のよさが凝縮されていることに気づくのではないかと思います。君が代のよさがわかるのは日本人だけかも知れません。
今朝、子供を学校へ送っていく途中の車の中で、子供たちに日本の国歌を歌ってくれと言われたのでした。それで実は君が代が国歌であるかどうかも知らなかったのですが、他に知る曲もないので、車の中で君が代を歌ってみたのです。一人で君が代を歌ったのは生まれて初めてだったかも知れません。嫌々歌わされていた頃は大勢の中に交じって聞こえないぐらいの声でしか歌ったことはなかったのです。案の定、子供たちは退屈な歌だと思ったらしいです。しかし歌った本人は、以外なことに君が代はなかなか良く出来た曲だなあと、生まれて初めて君が代という曲にちょっと感動したのでした。何がよいと一言ではいえませんが、まずは曲に和音の進行というものが必要ないのです。和音をつけてもつけれないことはないだろうと思うのですが、この曲はメロディーの強弱だけでシンプルに歌ったほうが、じーんときます。和音進行を加えるとおそらく曲の広がりを限定してしまうでしょう。俳句とか墨絵みたいなものです。あえて言わない、あえて色づけしないところに奥ゆかしい魅力があるのではないでしょうか。同じ理由で子供にはこの曲のよさが理解できないのでしょう。この曲の比較的単調に思われるリズムの上でゆっくり歌われるメロディーは、むしろその一見して単調に見えるリズムとあたかも無調のような曲調ゆえに、却って音として聞こえない部分の音楽を聞かせているような気がします。また歌詞についても別段「君」を天皇と考えずに象徴的日本人と自由に解釈することもあっていいのではないかと思ったら、別段気にならなくなりした。機会があったら、一人でゆっくり味わいながら歌ってみてください。日本のよさが凝縮されていることに気づくのではないかと思います。君が代のよさがわかるのは日本人だけかも知れません。
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