山科から宇治に抜ける歴史上の道が近所にあります。史実や言伝えは検索したらいくらでも出てきますが、頼政がこの道を通って奈良を目指し宇治橋を渡ったということになっています。平氏の軍勢に追いつかれ、宇治橋の橋板を剥がしたけれど渡河され、平等院での戦いに敗れて自害したのが77歳だったとある。
亀岡市には頼政塚という交差点があり、近くに首塚があります。ここは大規模な宅地造成が行われ新興住宅地となってバスが通るようになり、頼政道というバス停と石の碑が置かれた。交差点にその名を付けて掲げたら良さそうなのに、まだ成されていない。並木の根が地下で暴れ歩道が波打っている。頼政の無念が偲ばれるというものだ・・・などと書いてみる。