鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

切れるということ

2019年12月14日 10時08分10秒 | 懐疑・猜疑・疑義
『切れる』という言葉は、良い刃物の必要条件だし切れ者などと比喩にも使われるけれど、今年は大雨で堤防が切れたり、感情を抑えられなくて切れる人のニュースが目立ったような気がする。
元農水事務次官が息子の暴力に耐え切れず殺してしまった事件の懲役8年求刑結審について、各局が長い時間を割り当てていた。
テレビで説明される内容から感じたのは、切れた結果なのだろうということ。
殺された息子は、父親に暴力をふるったことはなかったのに、あることで堰が切れたように激昂して暴力をふるい「殺すぞ」と言った。
そうしたら、今まで高圧的だった父親が、自分の言うままに土下座までして謝った。
そこで息子は「殺すぞ」と言えば、父親でさえ怯えて自由になると気づいたのだろう。
官僚トップに上り詰めたキャリアの父親は、息子のせいで娘を自殺で失っているし、妻も自殺未遂をしたことがあり、妻にだけだった息子の暴力が、自分にも及んだことで殺害を決意したようだ。
1週間余り前には川崎市登戸通り魔事件もあり、自分の息子が同様の事件を起こすことが現実味を帯びたことも後押しした、とは誰もが思うこと。
「殺すぞ」と言われたことに震えるほどの恐怖を感じて、思わず包丁を取りに行き刺し殺したというような、正当防衛を印象付ける証言をしているけれど、切羽詰まっていたとは言うものの計画的であり確信的な殺人なのだろう。
とっさに、切れてしまって事を起こしたかのような文脈の証言一々がよく出来た答弁のように思えてしまう。
身の危険を本当に感じての避難なら、自分のキャリアなり人脈なりを利用して、発達障害(アスペルガー症候群)と診断されている息子を行政に協力を仰ぎ強制入院させて隔離することもできたかも知れないけれど、自分一人で決着をつける道を『家長としてのけじめ』のように選んだ。
検察もそこら辺りを忖度してというのか斟酌してというのか軽めの懲役8年の求刑のようだ。
判決も執行猶予付きの懲役5年というところにおさまり、双方とも控訴せず確定するだろうと思われる。
もっと論じられるべきは、小中高とひどいイジメを受けていたという事実の掘り下げだ。
相談できずに(しないで)自分だけに、あるいは家庭内だけにとどめてしまったことが最大原因。
被告は反省と祈りの日々とのことだけれど、どの時点でどう選択したらどうなったかのチャートを考える日々なのだろうか。
それでも、息子をキレさせて暴力を振るわれ『殺すぞ』と言われ土下座をさせられた時点では、殺すしかないと即決したのだろうし、半年経った今でもあの選択しかなかったと思っているだろう。
まだ他に道があったのに、とは思えない社会でしかないということにもなるだろう。
切れ者でキャリアを上り詰めた男の歪んだ価値観がもたらした悲劇ともいえるだろう。
後付け無責任発言としては、なんなりと思いつくけれど、上級国民でない目線からのウダウダはこのくらいにしておこう。

追記;判決は懲役6年の実刑だった。わたしの予想は外れた。それほど甘くはなかった。双方控訴はしないで確定するだろう。そうして模範囚として半分ほどの刑期を残して出所という運びとなるのだろうけれど、子を二人とも失くしたんじゃ、どうあろうと辛い余生だ。
コメント (2)
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