小さな橋を渡っていて、水道管の忍び返しに注目した。
三十三間堂の仏像の背後にある後光のようでもあると思った。
子どもが度胸試しに渡ったりしないようにという仕掛けであることは間違いない。
そうして、一人二人ほどは忍び返しをまたいで渡ったり落ちたりしたに違いない。
弥陀次郎川の弥陀次郎というのは、巨椋池の周囲のどこかで、昔いた乱暴者だったか怠け者だったか親不孝者が孝行息子に変わったのだったか、何かそんな物語を読んだことがある。
宇治川へ向かい、その後は淀川へと合流する淀川水系の支流で一級河川なんである。
だからどうした、それがどうしたということになるけれど、むせ返る程の香の梅に気づいた昨日の徘徊は7000歩。