透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ガレリアな空間

2006-11-04 | A あれこれ


〇 ガレリアな空間

ガレリア(イタリア語)、ガラスの大屋根を架けた回廊のこと、英語ではギャラリー。日本でもガレリアを模した建築があちこちにある。

ここは松本郊外のショッピングセンター、アイシティ21。専門店街と井上(デパート)との間にガレリアな空間が創られている。施設内部はこのガレリアを主動線として2次動線をここから直角に枝のようにつくっているので分かりやすい。この写真を撮った先週末には、この大きな吹き抜け空間の1階で小さな子供向けのイベントをやっていた。ここにはオープンカフェも書店もある。ただしあまり利用することはない。大音響でイベントが行なわれると、落ち着いて本を選ぶ気にもならないし、コーヒーをゆっくり味わおうという気持ちにもならない。吹き抜けの空間だから音が施設内に響きわたるのだ。
特に客層を限定している施設ではないから、子供向けのイベントが行なわれることも当然あるだろう・・・。

日本は騒音だらけのうるさい国だと指摘されて久しい(この本の出版は96年)。騒音そのものを「賑わい」の演出と理解する向きもあるようだ。



ここには6つの映画館がある。ときどき観る。そのあとゆっくりコーヒーでも飲むことができればいいのにな、と思うのだが、既述の理由でできない。 尤もガレリアを街の賑わいを演出する空間なのだと理解すれば、そこで静かに過ごすということは望むべきではないのかもしれない・・・。


防風の工夫 石積みの集落 

2006-11-03 | A あれこれ

民家 昔の記録 198003

■ 愛媛県の西端、外泊。

ここに、防風のために家の周りを石積みで囲っている集落があります。斜面に沿って広がる集落の独特の景観に魅せられた多くの人たち、その一人に安藤忠雄さんもいます。『建築を語る』東京大学出版会にそのことが出てきます(写真右下)。安藤さんが外泊を訪れたのは62年のことだそうで、当時は民家がきちんと残っていたそうですが、私が訪れた80年には空き地も見られました。

この集落は交通の便が悪く、一日に何本もないバスでようやく到着した時のことを今でも覚えています。集落の中の民宿に泊まったのですが浴室の壁も石積みだったこと、宿のオバちゃんが民謡を歌ってくれたことなども記憶しています。

日本の各地に防風のための工夫を見ることが出来ます。その大半は屋敷林で、富山県の砺波平野や安曇野、出雲地方(出雲平野っていうんだっけ?)など屋敷林に囲まれた民家が散在する景観は田舎の原風景ともいわれていますね。むかしの人たちの生活の知恵、工夫、努力には敬服するばかりです。

先日、安曇野の屋敷林の見学会が開催されたそうですが、景観を構成する貴重な屋敷林が減りつつあるというのはなんとも残念なことです。

外泊を訪ねてから既に26年、今もあの集落は当時の姿を留めているのだろうか・・・、気になるところです。

続 プロ意識

2006-11-03 | A あれこれ

「プロフェッショナル 仕事の流儀」をみた。

昨晩のプロフェッショナルは「海猿」だった。
海上保安庁特殊救難隊 隊長 寺門嘉之さん。海難事故の極限状況で人名救助にあたる特殊救難隊。日々過酷な訓練を繰り返す。
公開された寺門さんのノートにはなにやら物理の公式などがびっしり書き込まれていた。座礁した船を曳航するのに必要な情報、とのことだった。彼らに必要なのは明晰な頭脳と強靭な肉体。「アタマ」だけでも「カラダ」だけでもいけないのだ。極限状況で的確な判断が求められる、しかもきわめて短時間に。現場は常に「死」と隣り合わせ。判断を誤ると命が救えない、彼らが命を失う。

凄い人は世の中にいくらでもいる、この番組をみるたびにそう思う。昨晩書いたがもう一度。アマチュアではいけないのだ、常にプロでなくては。何も特別な仕事に就く人たちだけではない。掃除のプロ、運転のプロ、介護のプロ・・

寺門さんの次の発言の「プロ」を自分の仕事に置き換えると、自分がどうあらねばならないかよく分かる。

「自分がプロであるという自覚を持ち、そしてその自覚だけではなくて、プロであり続けるための努力をし、結果を求められる仕事に対してきちんと責任を背負っていける、それがプロだというふうに思います」 寺門嘉之
〇 番組公式サイトより引用


プロ意識

2006-11-02 | A あれこれ

 
建築と本の写真が並んだのは初めてかな?

〇東京ビッグサイト 
ピラミッドを4つ並べてひっくり返したような、なんともアクロバチックな形ですね。大きな地震がきても大丈夫なんだろうかと思ってしまいます。 4つくっつけて櫓を組むようにしてありますから、構造的には安定しているのでしょうが、視覚的には不安定に見えますよね。ランドマークとなるような特異なデザインを意図したのでしょうか・・・。


〇「終のすみか」
ここで9月末に開催されたセミナーに参加したのです(このとき北杜夫の「木精」を読んだのでした)。この逆さピラミッドの中(確か6階)で一日集中して4つの講義を聴きました。『やっぱり「終のすみか」は有料老人ホーム』講談社の著者の滝上氏の講義が一番印象的でした。

滝上氏は「グリーン東京」という有料老人ホームを経営しておられる方で、介護付き有料老人ホームのニーズが今後ますます増えると講義の中で力説しておられました。政府の福祉に関する審議会などのメンバーとしても活躍してこられた方で、老人福祉の制度改革などの情報をいち早くキャッチしてソフト、ハードの両面で常に先手を打って対応してこられた方です。

どんなに有料老人ホームのニーズがあっても、老人介護や、介護保険制度などについて精通していなくては経営の見通しは明るいとはいえない、氏はこのようにも力説しておられました。

どの世界にもプロがいます。競争すれば一番というプロがいます。競争の時代、プロ意識を持ち続け、常にお互い切磋琢磨していないと置いていかれてしまう・・・。アマチュアではいけないのです。
もういいかげんいままで走り続けた慣性力だけで仕事をこなそう、などと甘えてはいけないんです。でもという気力を持続させることがしんどくなってきました。歳かな・・・。


 


「老人力」 赤瀬川原平

2006-11-01 | A 読書日記


路上観察学会。
赤瀬川さんはこの学会の会員だ。「老人力」という言葉はこの学会の合宿中に生まれたという。赤瀬川さんは会員の中では年長でそれまでボケ老人とか長老とかいわれていたらしいのだが、もっといい言葉はないだろうかという話になって藤森照信さんと南伸坊さんの発案で決まったとのことだ。

老人と海じゃなかった、老人と力という対照的な言葉を結びつけることでマイナスイメージをプラスに転換した発想がスゴイと思う。赤瀬川さんは作家としては、芥川賞を受賞しているし、写真はプロ級というかプロだし、かつては前衛芸術家としても活躍した。多才な人だ。

赤瀬川さんはようやく還暦を迎えたばかりでまだ若いから、シャレで老人力自慢ができる。

深刻に考えても仕方がない、気楽にやろう!という精神は大いに学びたいと思う。