前稿に引き続き路上観察。
〇 野尻宿 (061114)
ここ大桑村 野尻は宿場の面影が色濃く残っています。持出し梁で2階を2尺程1階の壁より出している町屋が軒を連ねています(写真)。
さて、本題。
木材の小口が水を吸いやすく腐りやすいことについては以前も書きました。腐朽を防ぐための工夫として
「目板」(このような板の名称は目板だと記憶しています)で母屋の小口を塞いでいます。最近ではほとんど見かけることがなくなりました。たまたま路上観察で見つけました(写真 左)。先人達はこんな工夫をしたんですね。
一般的には目板の替わりに金属板(銅板やカラー鉄板など)で小口を包むことが行なわれています(写真 中)。
簡便な方法は小口を塗装することです。和風住宅の玄関の屋根の垂木などに施されているのをよく見かけます(写真 右)。
〇 JR野尻駅の近くにて (061114)
このような方法で小口を保護しています。機能的な意味が同じでも多様なデザインがあるんですね。
ところで以前 下の写真を載せました。
交叉する破風板の小口が剥き出しです。このままでは腐朽しやすいので、板で小口を塞いだのが「すずめおどり」の機能的なもともとの意味で、母屋の小口を目板で塞ぐことと同じです。それが次第に意匠的に洗練されてきたんだと思います。破風と目板というか笠木によって菱形が出来ますが、そこに格子や扇に角材を組んだんですね(下の写真)。
また、飛騨古川町の梁の小口を白く塗った印象的な民家は(以前載せました)、腐朽防止のために塗っていたものが、こちらも次第に洗練されてきたもの、と理解してよさそうです。
〇 繰り返しの美学 大桑村 野尻にて (061114)
木曽方面に出かける機会がありました。少し時間があったので、そぼ降る小雨の中を路上観察しました。
街道沿いの民家の妻面。カラートタンで覆われた壁(もともとは漆喰仕上げだったと思います)から突き出た梁。何故壁から突き出ているのかは分かりませんが、その梁の端部に雨がかからないようにそれぞれ小さな「屋根」が架けられています。あ、繰り返しの美学! 面白い! そう思ってカメラを向けました。
これと同じ「屋根」は京都の清水寺の舞台を構成している梁の端部にも架かっていたと思います。もしかしたら、屋根の形状はこの写真のような切妻ではなくて片流れだったかもしれませんが。
稜線の中央のふたつのピークに鉄塔(らしきもの)が写っていることが分かると思います。美ヶ原を松本市郊外、南西方向から撮った写真です。王ヶ鼻が左の丸みを帯びた形の部分、王ヶ頭が右のやや小さな、テッペンが平らな部分です。通勤途中の車から山の形の変化を確認しながら市街へ。次第に右側の王ヶ頭が後方に移動していきます。この写真が反時計回りに回転していく、そうイメージして下さい。やがて王ヶ頭が王ヶ鼻の後方に隠れてしまうことを確認しました。やはり先日の写真に写っているのは王ヶ鼻でした。
山の形は見る方向によって全く違うということを改めて実感しました。この形が市内からは先日の写真(岳都 松本 1109)のように見えるのですから。あの常念岳の三角形は、先日北アルプスの写真を撮った池田町方面からみると台形に見えます。
私はこの写真に写っている美ヶ原の形も好きです。
■ 雑誌「新建築」11月号に「伊東豊雄 建築|新しいリアル」展 の紹介記事が載っている。建築家の藤本壮介さんのインタビューに伊東さんが答えているのだが、興味深い内容だ。そのひとつが「新しいリアル」という言葉が浮かんできたことについて。
**(前略)圧倒的な鉄を見て、それまでのイメージは全然違ったと思いました。光だけのチューブをつくるのは無理で、自分が考えていた軽い建築にはならないなと分かった。また一方でその鉄が持っている物質としての力やエネルギーがものすごいプリミティブな光景に見えたんです。建築がつくられていく本当の姿を思い知らされた。(中略)それで軽くなくてもいい、透明でなくてもいい、(中略)そこからこの10年間の建築の方向が始まったと言えますね。**
「せんだい」が伊東さんの転機になったことは既に指摘されているが、自身がこれほど明白に語っているのを目にしたのは初めてだった。
さて、今回のテーマ「原点回帰」。
以前ここで、安藤さんの「表参道ヒルズ」と実質的なデビュー作の「住吉の長屋」とはヴォイドな空間を内包する自己完結的な空間構造が同じだと指摘した。「表参道ヒルズ」、これは「住吉の長屋」、30年前の原点への回帰。
伊東さんの最近のプロジェクト「台中メトロポリタンオペラハウス」について
「新建築」の先の記事の中で伊東さんは**(前略)内部は水平にも垂直にも無限に連続する洞窟のような空間として構成され(後略)**と語っている。
また次のような発言もある。
**僕の建築家としての出発点である「ホワイトU(中野本町の家)」の内部空間は、僕自身もすごく気に入っていたのですが、一種の洞窟です。(後略)** これも「原点回帰」と理解してよさそうだ。こちらも30年前へ。「住吉の長屋」も「ホワイトU」も共に1976年に建設されている。
「原点回帰」の他の実例をビジュアルに示そう。
菊竹清訓、実作より伊東さんをはじめ何人かの建築家を育てたことの方が有名かもしれない。菊竹さんの代表作には自邸「スカイハウス」と「江戸東京博物館」も挙がるだろう。
スカイハウス(左):20世紀日本建築・美術の名作はどこにある より
江戸東京博物館(右):K-ART 関西建築見学会 より
(注)写真は上記のサイトから転載したものです。
自邸の「スカイハウス」は将来の増築を見越してピロティ形式にしたと説明されているが(事実現在は1階部分は増築されている)、私は菊竹さんはこの「かたち」が好きなんだろうと思う。増築対応という理屈は後から付けたのではないかと思うのだ。
両国国技館の隣にある「江戸東京博物館」、こちらもスカイハウス同様4本の柱で浮いている。私が指摘する「原点回帰」というわけだ。鉄骨のフレームがむき出し状態の写真を以前雑誌で見たが、とにかく力技で強引に持ち上げたという印象だった。
開館してから見学したが、何故持ち上げなければならなかったのか、その必然性を見ることが出来なかった。「どうして?菊竹さん」と訊きたいが、やはり好きなんだろうな、こういう浮いたのが、と納得する他ないのかもしれない。
「江戸東京博物館」、「スカイハウス」へ原点回帰。
多くの建築家は住宅からスタートしている。ここに挙げた3人もそうだ。確か安藤さんは、だんだん規模の大きな建築を手がけるようになったが、また住宅に帰って行きたいとどこかで語っていた。
「原点回帰」は願望なのか、それともサケが生まれた川に帰るように、それは本能的なものなんだろうか。
〇 秋のフォトアルバム 5 (061112)
お互いに自分とは全く違う相手を意識しながら生長してきたのだろう、100年、150年と。二本の樹をながめていて、そう思った。緑の装い、黄の装いも相手を意識して・・・。
今回は雑記録
〇『真鶴』を読了して
川上弘美さんは1958年生まれ。死について考える年齢に達したということなのか・・・。左は他生の礼、右は今生の青茲 この二本の樹がそう見える。
(注:礼と青茲はこの小説に登場する人物の名前)
〇 書店で立ち読みした雑誌によると
大正時代に建てられた国立駅の解体作業が既に始まっているらしい。新しい駅舎の近くに復元されるとも出ていた。事実ならうれしい。新しい駅はどんなデザインなんだろう、ふたつの駅舎はうまくマッチするんだろうか、この二本の樹のように。
〇 堀井正子さんの『ことばのしおり』を読んでいて
人間は特別な高等な生命体と思っていたが、
季節を感じる心は地虫たちとちっとも変わらない。
四十六億年の地球の歴史、その命の連鎖に生まれた我ら人間も、
同じ、地球の遺伝子をもっていたのだ。
という文章に出会った。この本のことは改めて書こう。
私はこのような生命観に今西錦司氏の著作で出会ったような気がする。
前稿の〇印部分は、この曖昧なむかしの記憶に拠っている。
〇『自分のためのエコロジー』甲斐徹郎/ちくまプリマー新書
この本も前稿と大いに関係がある。この本についてもそのうち機会があれば。
http://www.edugeo.miyazaki-u.ac.jp/earth/edu/solar/earth.html
↑このサイトの写真を転載させていただきました。
■ 地球の写真が入手できないかと「地球の写真」で検索してみました。これはアポロ11号からみた地球、アフリカ大陸が写っています。こういう写真を目にすることで地球が閉じた小さな球体であることをきちんと認識できると思います。
地球的な規模での環境破壊(地球そのものの破壊と表現してもいいかもしれません)に対する対策の必要性が指摘されています。CO2排出過多による地球温暖化とそれに伴う環境変化、廃棄物による環境汚染、埋蔵資源の枯渇・・・。
地球環境を守らなくては大変だということ、地球の資源には限りがあるということがこういう写真によって実感できます。
もともと生命も地球も同一、一体のものだった。それが生物と地球に分化した。やがて人間が誕生した。宇宙船地球号とその乗組員とに分かれた(自分達は乗組員だと人間が勝手に認識した)、こういうことなんですよね。
「地球破壊は自分破壊」 このような認識が得られるかは別として、自分達の乗り物、何とかしなくっちゃ! かなりあちこち傷んでる。そろそろみんながこのように考えないとヤバイ状況なんですよね。
でも大半の乗組員は「地球号、みんなで乗ってりゃ こわくない」って心理状態なんでしょうね(わたしもそうです、愚かな乗組員です)。
川上弘美の新刊『真鶴』
筒状のケース(左)とすももの絵を使用した装丁
彼女自身が今までとは違う雰囲気の装丁を希望したらしい。
変わった。もうこの小説には「ふわふわゆるゆるな川上ワールド」はない。川上弘美の作品はの~んびりと春の日差しを浴びながら読むのがいい、と思っていた。この作品は違う。肌寒い今の季節に読むのがいい。
タイトルの真鶴はもちろん実在する地名だが、この小説に出てくる真鶴はどうもそうではないように思う。川上弘美はこんな風に書いている。
**この電車は、真鶴と東京を結ぶいれものだ。わたしのからだを、まぼろしからうつしよへ、またはんたいに、今生から他生へはこんでくる、いれものだ。**
そう、真鶴はうつしよ(現し世)ではなくてまぼろしの世界だと思われる。
反対にとしないで、はんたいにとひらがな表記をしたり、句読点を多用した短い文体が意識的なものかは分からないが、独特の雰囲気を感じさせる。
主人公の京(けい)は夫の礼が失踪してから、実母と娘の百(もも)と生活している。夫の残した日記には、失踪するひと月くらい前に真鶴と書かれていた。
京は何回か真鶴に出かける。京に「ついてくる」女が登場するのだが、幻影というのか他生のひとであって、今生のひとはない。今までも川上弘美の作品には不思議な動物達が登場することがあった。それらは愛嬌のある動くぬいぐるみのよう、喩えて書けばそんな感じだが、この小説の女は少しホラーな雰囲気も漂わせている。京はこの女の存在に、はやくから気がついていて、(この小説の書き出しはこうだ。**歩いていると、ついてくるものがあった。**)やがて言葉を交わすようになる。
京は礼の安否も問うのだが、女ははっきりと答えてはくれない。
**「だいて」 礼は抱かなかった。かわりに、わたしの目をのぞきこむ。つよい視線のひとだったのに、うすく、よわく、のぞいた。「こちらに、くる?」**
どうやら失踪した夫は亡くなっているようだ。
京はエッセイなどを書いている。彼女には青茲という編集者の恋人がいる。気持ちは礼と青茲との間を行き来する。他生と今生との間の行き来を暗示しているようだ。
この小説は人がこの世に存在することの意味、他の人の意識に存在することの意味を問うているのかもしれない。
やはりこれも川上弘美の世界、ということなのか・・・。
影絵のように浮かび上がる北アルプス (061109)
「常念岳の肩のところに、ほんの小さく黒いとがった頂きが覗いていた。」松本から見ることができる槍ヶ岳を北杜夫は『神々の消えた土地』新潮社でこう表現しています。この写真は勤務先の窓から常念を撮ったものですが、よく見ると北杜夫が表現したように槍の先が写っています(分かりにくいでしょうが)。
美ヶ原 王ヶ鼻 (061109)
■ 北杜夫のこの小説のことは以前ブログに書きました。初々しい愛の物語です。松本で再会を果たした二人が向った先が美ヶ原でした。
「ここが美ヶ原か。思っていたよりずっとすばらしい。あっちが王ヶ鼻か」
この写真は松本市内から今日の昼休みに撮ったものです。写っているのは王ヶ鼻だと思うのですが自信がありません。王ヶ頭はこの奥で写真には写っていないと思うのですうが・・・。
「黒い谿間の彼方に聳える全身真白な乗鞍岳は、あたかもあえかな女神が裸体を露わにしているかのようであった。」
同小説で乗鞍岳はこう表現されています。乗鞍は急峻な北アルプスとは対照的で、たおやかな姿はたしかに女性的なイメージです。松本市内から乗鞍岳を見ることは出来ますが、なかなかいい撮影スポットが見つかりません。見つけることが出来たら写真を紹介します。
王ヶ鼻? 王ヶ頭? 地図で調べてみました。松本市街は美ヶ原の西方に位置しています。王ヶ頭の西側に王ヶ鼻があります。従って松本市街から見えるのは「王ヶ鼻」、これほんと。 本文も修正しておきました。 (061110)
今日は雲ひとつない晴天でした。クラウド・コレクターが空の雲を全て集めてしまったのかもしれません。パウダーシュガーをふりかけたような北アルプスがきれいでした。
〇 爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳(左から)北安曇郡池田町にて(061108)
さて今夜は「約束」。
6月25日のブログに東京の国立駅と常念岳が似ていると書きました。そのとき常念岳の写真を送ると国立駅と約束しています。駅舎の△の形と常念の△の山容とがよく似ていると指摘しました。それだけではありません。国立駅は町のシンボル、常念岳は安曇野のシンボルということも似ています。国立の大学通りの正面に国立駅が建っています、ちょうどアイ・ストップのように。
下の常念岳の写真は松本市内の常念通りで撮ったものです。この通りから見える常念は特に形が美しいと思います。通りの正面に凛とした姿を見せています、通りのアイ・ストップとして。このことも似ています。
この通りが常念を意識して計画されたものかどうかは知りませんが、むかしは道路の計画に際して正面に山が見えるようにしたという例がいくつもあるようです。
東京には富士山を意識してつくられた通りが複数あります。国立は計画的につくられた町ですが、駅を起点に伸びている通りには、前述の大学通りの他に旭通りと富士見通りがあります。この富士見通りの正面には富士山が見えます(最近では冬のよく晴れた日にしか見えないかも知れませんが)、おそらく計画的にそのようにしたのだと思います。
話を元に戻しましょう。常念岳と国立駅とは共通項が多いのですが、国立駅は取り壊されてしまいます。この決定的な違い・・・。なんとも残念でなりません。
〇 空に掛かる7色のタペストリー、なんちゃって(061107)
今朝久しぶりに虹を見た、それも二度も。最初は8時頃、二度目は10時少し前(写真)。明るい未来を虹に象徴させることがよくある。絵本の最後のページに虹が出てくることがある、ハッピーエンドな物語。虹を見ると幸せな気持になる。
こんな本に出会うと幸せな気持ちになる。
『クラウド・コレクター』クラフト・エヴィング商會/ちくま文庫。
子供味なスパイスをきかせた大人味な本。
クラフト・エヴィング商會の店主が倉庫を整理していて見つけた祖父の旅行鞄。中から手帖が数冊出てきた。そこには日記風に「アゾット」という国(架空の国)の旅行記が綴られていた・・・。
特に印象に残った部分を記しておく。
**雲とは忘却の結晶である。雲とはわれわれの失われた夢であり、見知らぬ懐かしさなのである。**
小学校の図書館で、いかにも本が好きそうな雰囲気の女の子が読んでいそうな本。
単にものがたりが楽しいというより、本そのもののつくり方が楽しい。雰囲気のある挿絵、店主が手を加えたものがたりの部分とそれに対する感想、解説文とで印刷の濃さを変えてあるところなど、凝ったつくりになっている。
単行本は文庫本とは少し違ったつくりになっているらしい、単行本を是非見たい。
***
昨日書いたこのブログついて、もう少しまともに書いておこうと思う。
商業建築の内部にこれだけの空間を創ったのだからもっと積極的に演出したらいいのに・・・、昨日の「カッコいいのにな」には私のそんな思いが込められている。非日常的なお祭りのような雰囲気の演出、建築のはやり言葉で表現すれば祝祭性の演出ということになるだろうか。
例の旗を毎月替える。例えば正月になったらおめでたい雰囲気の朱色の旗、五月は鯉のぼりを模したデザインの旗、七月は七夕飾り(それも上品に)というように。そうすることでこの空間のいつも変わらないという静的なイメージがライブな雰囲気、常に更新されているという雰囲気に変わるはずだ。 ここの空間の雰囲気を変えるのに旗は有効ではないかと思うのだ。旗なら取替えも簡単だし費用もそれ程かからない。ここを訪れる人たちはどんな演出がしてあるんだろうと、その都度楽しみになるはずだ。
空間を演出する、それも上品に美しくということが特に商業空間では重要だと思うけれど・・・。松本パルコのクリスマスツリーも同じこと、単に入口を飾るだけではもったいない。昨日提案したように、もっと「空間」を意識した演出をすればいいのに。そうすることにもっと積極的な価値を見いだして欲しい、と思うのだが。
〇 ガレリアな空間の繰り返しの美学
直線的に長い空間は繰り返しの美学を生みやすい、当然だけど。ここは昨日もとり上げたアイシティ21。写真を撮る場合、どういう視点で捉えるかで空間の切り取り方が変わってくる。今回は久しぶりに「繰り返しの美学」。
円柱と青い旗の連なり、そしてリブ状の壁のリズミカルな繰り返し。白を基調にした上品な色調。そろそろこの青い旗、クリスマスカラー、そう赤と緑に替えたらカッコいいのにな。それともこの色がイメージカラーなのかな・・・。
いつも行く書店が地下にある松本パルコにはもうクリスマスツリーが飾られている。高さ6メートル、このモミの木は松本に隣接する村から運ばれたものだと新聞で知った。一過性の商業イベントではあるが、毎年この時期になるとこの位の大きさのツリーが飾られる。
ここはパルコの伊勢町側(北側)の入口だが反対側(南側)には公園がある。毎年ツリーを飾るなら公園にモミを植えてそこに飾ればいいのに・・・。以前からそう思っている。別に自然保護という観点からではない。このモミだって、苗木から育てた木かもしれないではないか。山から伐りだしたものとは限らない。公園にモミを植えてそこに飾れば、ただ単にパルコのイベントではなく、広範な街のイベントになるだろうに、と思うのだ。ツリーを飾るのにちょうどいい大きさの公園なんだけどな。
せっかく公園を整備したのにスケボー兄さん達の溜まり場というだけではもったいない。公園を演出する努力に欠けているのではないか、と思う。市や地元の商店などが協力して大きなツリーを飾ったら、集客にもつながるのではないか。私も頻繁に観にいくだろう。
日本の都市の広場はヨーロッパのそれとは到底比較にならないほど歴史が浅い。もともと日本は「道の文化」で「広場の文化」が育っていないのだ、という指摘が都市計画などの本には出てくる。どこの駅前広場も駐車場と客待ちタクシーで占められている。
松本の街中にこれほどの広場(公園より広場と表現したいのは何故だろう)は他にない。繰り返す、もっと広場を楽しく、美しく演出したらいいのに。
住宅の射程/TOTO出版
■ 書店でこんな本を見つけたら、中身なんて確認しないで買ってしまう。この本はギャラリー間20周年を記念して今年の1月から2月にかけて開催された連続講演会「21世紀の住宅論」の全記録だということが自宅に戻って初めて分かった。
寸評(にもならないか・・・)
〇磯崎新「住宅は建築か」講演録なのにどうもよく分からない、私には磯崎さんは難しすぎる。
〇安藤忠雄「すまいについて考える」安藤さんのキーワードは闘い。
〇藤森照信「二十世から二十一世紀への日本のすまいの流れ」全体像を概観して簡潔に説明してみせるあたりはいつものことながらさすが。
表参道ヒルズはほとんど要塞的に自閉していると見学者の感想を紹介している。住吉の長屋とその点で共通していると以前私も指摘した。伊東さんの「せんだい」のチューブについては「内化した外」、チューブの中に外が流れ込んでいると指摘。確かに「せんだい」をトポロジカルに考えると面白い。
〇伊東豊雄「今、住宅とは何か?」最近家の機能が分化していると指摘し、その傾向が体現された住宅として西沢立衛の「森山邸」を紹介している。因みに藤森さんはこの住宅を新しい「分離派」の最初の作品としてとりあげている。なるほど分離派ね(むかし登場した分離派とは違うことに要注意)。
塩尻のプロポの時にも書いたが、藤森さんの表現に倣えば最近の建築は「分離」する傾向にあるようだ。
やはりときどき建築の本を読まなくては・・・。