透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

雛たちのその後

2020-08-21 | A あれこれ


撮影日2020.08.19

 現場事務所のツバメの雛2羽は、昨日(20日)巣立ったと聞いた。よかった。

ここでふと思った、ツバメの寿命ってどのくらいだろう・・・。

ネット検索で、次のような情報が見つかった。**生理的寿命は15年くらいでとても長いのに、実際は1年半位しか生きられません。** そうなのか・・・。巣だった後も天敵が多く、渡りの季節まで生き残るのは約13%に過ぎない、という情報も見つかった。ということはこの2羽も命を落としてしまうかもしれない。

何とか災難を免れて成長して欲しい。でも来年またこの場所に戻ってきても、その時にはもうこの巣は無い。

こんな厳しい現実、なんだか悲しい晩夏の夜。


 


「M/Tと森のフシギの物語」大江健三郎

2020-08-21 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『M/Tと森のフシギの物語』大江健三郎(岩波書店 同時代ライブラリー1994年第5刷発行)

 大江健三郎の作品は新潮文庫で何作も読んだが、そのほとんど全てを処分してしまった。書棚に並ぶのは単行本を除けば『M/Tと森のフシギの物語』と『ヒロシマ・ノート』岩波新書のみ。

『M/Tと森のフシギの物語』を残したことに特に理由はない。偶々残った、といったところ。この先再び読むことがあるかどうか、まあ、ないだろう・・・。

大江健三郎と安部公房の作品、今後読み直すとすれば安部公房の作品と判断し、安部公房の作品は残した。この秋に『砂の女』『方舟さくら丸』『箱男』など、何作か読みたい。

本は好い。いつでも書棚から取り出して読むことができるから。


 


よかった!

2020-08-20 | A あれこれ


撮影日2020.08.11


撮影日2020.08.19

 建設現場の仮設事務所でツバメが子育てしていることは既に書いたが、昨日(19日)巣を見ると雛がだいぶ成長している様子が確認できた。11日に撮った1枚目の写真と2枚目の写真を比べると、成長ぶりがよく分かる。

巣がある場所はユニット型の仮設事務所の外部階段を上り切った2階の床面の下側。鋼板製だから、日中直射日光を受けて熱くなってしまう。そこで、床面に断熱材を敷き、更に吸水性のある厚手の敷物を乗せて、そこに給水する簡単な装置(と言えば大袈裟だが)をつくり、温度の上昇を抑える対策を講じていた。4日間ほどあった現場の夏休み中のことが気になったが、現場担当の社員の方が様子を見に来ていたとのこと。

よかった! しばらく前に1羽巣から落ちて死んでしまったが残りの2羽は無事成長している。この2羽にはこの先どんな生活が待っているのだろう・・・。今は無事巣立つことを願うばかりだ。


 


「旅はゲストルーム」浦 一也

2020-08-19 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『旅はゲストルーム 測って描いたホテルの部屋たち』浦 一也(光文社知恵の森文庫2004年初版1刷発行)

 著者の浦 一也氏は建築家・インテリアデサイナー。旅先でホテルにチェックインを済ませると、浦氏はまず部屋の中の写真撮影と実測をし、部屋の平面や断面、家具や備品、さらにディテールから色彩まで調べ尽くして1/50のスケールで上のようなスケッチというか、記録をとり、水彩絵の具で着色するそうだ。要する時間は約1時間半から2時間だという。**私にとって旅とは、ゲストルームを測り描く、いわばホテル探検の旅でもある。**(6頁)と書いておられる。

旅行というと事前にガイドブックで見たりインターネットで調べたものを現地で確認し、それを写真を撮って、あるいはそれをバックに写真を撮ってもらって満足。と、このようになりがちだが、浦氏のような「自分だけの旅」ができたらすばらしいと思う。

この本には世界のあちこちのホテルの客室の彩色された詳細図(詳細画かな)や風景スケッチが多数掲載されている。それらを見るだけでも楽しい。

ぼくも旅行には必ずスケッチブックを持っていこう。


 


「桂離宮」和辻哲郎

2020-08-18 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『桂離宮 様式の背景を探る』和辻哲郎(中公文庫2011年改版発行)

 この文庫の初版発行は1991年だが、手元にあるのは2011年発行。残した文庫には40年も前に読んだものが多い。だから、この本はそれ程古くはない。ついこの間読んだ本、という感じだ。

カバーデザインが好い。桂離宮という漢字はやはり明朝体が好い。著者名の大きさと配置も、桂離宮の庭園の地面のクローズアップとその配置もぼくは好き。

**藤原氏ゆかりの地に古今集の風景観を意識して作られたという桂離宮。この簡素で調和の取れた建築・庭園を作り上げた、後陽成天皇弟・八条宮とその周囲の人々、江戸の教養人の美意識、制作過程などの背景を克明に探る。
豊かな知識と繊細な感性そして流麗な文章。
日本人の美の極致を捉えた、注目の美術論考。** 以上カバー裏面の本書紹介文の引用。

数日前に再び読み始めた。






和辻哲郎といえば『風土』。文庫本は処分したと思う、単行本があるからと。だが、単行本が書棚に無い、無い! (写真は過去ログ)


追記 2020.08.22  『風土』が見つかった。以前とは別の書棚に並べていた。


火の見櫓のある風景を描く

2020-08-17 | A 火の見櫓のある風景を描く


火の見櫓のある風景 松本市今井にて 2020.08.17

 夏休み最後の日(17日)にスケッチをした。これで課していた宿題は全てクリア。

線描から彩色までに要する時間を短くする、という条件を付けた。で、現地で線描に要した時間はおよそ20分。自宅で色塗りに要した時間はおよそ30分。かける時間によってスケッチはかなり味わいが変わる。じっくり時間をかけることが常によいわけでもない。

眼前に広がる風景を美的感性というフィルターを通して見てみる。それは実際の風景とは違う、自分だけに見えている風景だ。それを画面上に再構成する。リアルに再現するのではなく、あくまでも再構成。

緑はもっと深くて、木々の差はそれ程ない。でも色に変化が欲しかったので適宜明るい黄緑に変えた。

それにしても中景だけの風景は描きにくい・・・。


 


「10月はたそがれの国」レイ・ブラッドベリ

2020-08-17 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 レイ・ブラッドベリの短編集『10月はたそがれの国』(創元SF文庫)。手元にあるのは2004年61版だが、初版は1965年と、古い。版を重ねて長年読み継がれている名作。19作品を収める。

レイ・ブラッドベリはSFの抒情詩人と評される作家。短編作家とも言われるが、『華氏451度』のような長編の名作もある(過去ログ)。

『10月はたそがれの国』は読んでも読まなくても、書棚にあるだけでよい。ぼくにとってそんな本だ。


 


「なつかしい町並みの旅」吉田桂二

2020-08-16 | H ぼくはこんな本を読んできた

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■ 『なつかしい町並みの旅』吉田桂二(新潮文庫1987年2刷)。著者の吉田氏は建築家で全国各地に残る古い町並み(私は街並み、あるいはまち並みという表記の方が好きだが、書名に倣う)を7,80年代に訪ね歩いた。この本にはその中から選んだ、あまり有名な町並みを避けた26か所の紀行文を収録している。それぞれ数点ずつ繊細なスケッチが掲載されている。1枚だけ茅葺きの民家が連なる通りに火の見櫓が立っているスケッチがある(*1)。カバーのスケッチも吉田氏が描いたもの。

まえがきから引く。

**旅の楽しさは、見知らぬ土地を訪ねて自分なりの発見をすることだと思う。(中略)旅で何を発見するか、それは人によって違うはずだ。対象はこの本のように町並みであってもよく、あるいは食べ物であって焼物であっても、何でもよいが、日頃から自分が関心をもつことでなければ何も発見できない。見れども見えずということで終わる。関心の動機は興味だから、自分が興味をもつ対象への理解を深めるほど見える範囲がひろがってくる。**(下線は私が引いた) 全くもってこの通りだと思う。私も同じことを自著『あ、火の見櫓!』に**火の見櫓に関する知識を得て火の見櫓が見えるようになったのです。**と書いた。

この本には南洋堂という建築図書を専門に扱っている書店のシールが貼られている。上京した時に買い求めたのだろう。


マスク無しで旅行ができるようになったら(って、そんな日が来るのだろうか・・・)スケッチブックを持って旅行をしたいものだ。

鈍行列車で行くのんびり旅。荒涼とした日本海を窓外に見ながら、ワンカップ(ここは缶ビールではダメ)をちびちび飲む。あぁ、人生って寂しいものだな~などと思いながら・・・。

鄙びた宿に泊まり、スケッチをする。風景に火の見櫓があったら好いなぁ。


*1 七ヶ宿(宮城県刈田郡七ヶ宿町)

 


「鏡の中の物理学」朝永振一郎

2020-08-16 | H ぼくはこんな本を読んできた

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『鏡の中の物理学』朝永振一郎(講談社学術文庫1976年第1刷発行)

 この本も講談社学術文庫の創刊時に刊行された。講談社の力の入れようがこのときに刊行された34冊からうかがい知れる。

**現代の学者・評論家・作家の著作を中心にかつてのベストセラーで現在入手しにくい名著や未刊行の論文・報告書・資料・随筆・講演などオリジナルの書下ろしを含めて収録!
あらゆる科学の基本図書を提供する画期的シリーズ** リーフレットにこのような紹介文が載っている。

引用ばかりで気が引けるが・・・。

**ノーベル物理学賞に輝く著者が、ユーモアをまじえながら平明な文章で説く、科学入門の名篇「鏡のなかの世界」「素粒子は粒であるか」「光子の裁判」を収録。“鏡のなかの世界と現実の世界の関係”という日常的な現象をとおして、最も基本的な自然法則や科学することの意義が語られる。(後略)**

以上ブックカバー裏面の紹介文より。


書名は「鏡の中の物理学」だが、章題は「鏡のなかの物理学」となっている。


「曠野から」再読

2020-08-15 | A 読書日記

 昨日(14日)はスタバで朝カフェ読書。『曠野から アフリカで考える』川田順造(中公文庫)を読む。

文化人類学者である著者が西アフリカのオート・ヴォルタ(1984年にブルキナファソに改称された。私はアフリカの国々のことは何も知らず、この国については国名すら知らなかった)で暮している間に、そこの自然や人々の生活について感じたこと、考えたことを綴ったエッセイ集。1974年に第22回日本エッセイストクラブ賞を受賞している。

本の最初に収録されている「雨」と題されたエッセイは次のような書き出しで始まる。

**西アフリカのサヴァンナに雨季がちかづいた。昼のあいだ、みわたすかぎりの草原は、円錐形の草屋根の集落や、バオバブの木を点在させたまま、太陽の熱の下で息を殺している。蒸気の多くなった空には、雲が、地平線のあたりまで、遠近に応じて底面をそろえて浮かび、それぞれの影を草原の上におとしている。**(7頁)

個性的で魅力的な表現だ。同エッセイには次のような一文もある。

**四月は残酷な月だ、と詩人はうたったが、雨の到来とともにサヴァンナに生命が氾濫する瞬間には、目のくらむような重い興奮がある。最初のひと雨で、木の枝にも地面にも、エメラルドのみどりがよみがえる。**(10頁)

「風」というエッセイには次のような指摘も。

**私は、二十世紀前半までの西洋産業社会が達成したものを手本にした開発の思想や、近代西洋社会が生みだした技術や機械をそのままもちこんだ援助が、オート・ヴォルタの人々にとってもつ意義について、疑問をいだいてきた。(中略)これからまだ当分は国内生産ができず、輸入しなければ手に入らない大型の農業機械、とくに、先の見えている石油を燃料にして動く機械などを、先進国からのいわゆる援助によって大量に導入して行う「開発」とは逆向きの、内側からの向上に力をつくすべきだ。(中略)サヴァンナの住民の祖先の遺産を継承し発展させることができれば、それは住民の歴史意識にも、徐々に変化を及ぼさずにいないだろう。歴史の自覚は、植民地支配以来の、西洋文明至上主義を批判的に見る、第一のよりどころになるはずのものである。**(268、7頁)

この辺りに著者の主張が表現されている。外から無理やり花びらをひらかせるような外発的な働きかけではなく、内発的に花びらが開くのをサポートすることが必要だと説く。

このことは夏目漱石が「現代日本の開化」という講演(『私の個人主義』に収録されている)で指摘したことに通じる。

さて、次は何を読もうかな・・・。


 


「曠野から」川田順造

2020-08-14 | H ぼくはこんな本を読んできた



■ 『曠野から アフリカで考える』川田順造(中公文庫1980年再版) ぼくはこの文庫本を大学の後輩からプレゼントされた。巻末に送り主のメッセージと810323という日付が記されている。

カバー裏面の本書紹介文を引く。

**気鋭の文化人類学者が西アフリカのサヴァンナ地帯に腰を据えて五年余、大自然の息づかいや、曠野(こうや)に生きる人々の生活様式を背景に、折々の想いを鋭いまなざしと透徹した文体で綴る異色のエッセイ。** 昭和四十九年度日本エッセイストクラブ賞受賞 解説を柴田 翔が書いている。

あれから40年ちかく経った・・・、この本の送り主も今、広い視野に立つ優れたエッセイの書き手だ。

これからこの本を再読しようと思う。


 


かけがえのないこの日

2020-08-14 | E 朝焼けの詩


撮影日時2020.08.14 05:07AM


05:15AM


05:37AM

 「二度と来ない今日という一日をどうぞ大切にお過ごし下さい」 ラジオ深夜便のアンカー・石澤典夫アナウンサーは番組の最後をこのことばで締めくくる。

早朝、リビングの窓から刻々と変わっていく東の空を見ていると、時は流れている、ということを実感する。もう帰らないあの夏の日  という「想い出の渚」の歌詞が浮かび、確かに今日という日は二度と来ないんだなぁ、と思う。

かけがえのないこの日を大切に過ごそう。