透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「狩猟と遊牧の世界」梅棹忠夫

2020-08-13 | H ぼくはこんな本を読んできた

320
『狩猟と遊牧の世界 自然社会の進化』梅棹忠夫(講談社学術文庫1976年第3刷発行)

 講談社学術文庫の創刊は1976年6月。このとき34冊同時に刊行されている。当時大学生だったぼくにとって、この文庫の創刊は実にありがたかった、と今になって思う。

この梅棹忠夫氏の『狩猟と遊牧の世界』にはさんだままになっていたリーフレットに刊行された本のリストが載っているが、この本の他に3冊書棚にある。

リストを見て梅原 猛氏の『日本文化論』や会田雄次氏の『日本人の生き方』、山本七平氏の『比較文化論の試み』などは読んでおきたかった。もちろんこれから読んでも良いのだが、やはり本の初読には相応しい年齢があるだろう。


 


光屈性の確認

2020-08-13 | A あれこれ

 
 植物の光屈性を確認するためにカポックの鉢の向きを180度変えてから1か月経過した(過去ログ)。

なるほど、確かに光が入ってくる右(東の窓の方向)に向きを変えたことがてっぺんの3本の枝の様子を見るとよく分かる。

植物も「もっと光を!」なんだな・・・。


 


美ヶ原望遠

2020-08-13 | E 朝焼けの詩


撮影日時2020.08.13 04:53AM

美ヶ原高原は自宅の庭からもよく見えるので時々撮っている(過去ログ)。
今朝は朝焼けした空を背景に美ヶ原の王ヶ頭に立つ鉄塔群が浮かび上がっていた。
松本平の東に王ヶ鼻(左)と王ヶ頭(右)、二つのピークが連なるたおやかな山容の美ヶ原は朝眺めるのがよい。
それも今朝のような朝焼けのときに。


 


「日本の民俗学」宮田 登

2020-08-12 | H ぼくはこんな本を読んできた

320
『日本の民俗学』宮田 登(講談社学術文庫1978年第1刷発行)

 「ぼくはこんな本を読んできた」には処分しないで自室に残した文庫を載せている。もうしばらく続けようと思う。

女優の樹木希林さんは本を100冊くらいしか手元に置かなかったとのこと(過去ログ)。ぼくも減冊してとりあえず1,000冊まで減らし、更に500冊、最終的には200冊くらいにしたいと思う。その一方で書棚に並ぶ本はぼくの来し方を示すもの、との考えからこれ以上減らすことをためらう気持ちもある。

さて、例によってカバー裏面の本書紹介文から引用する。

**民族学、人類学、歴史学などがそれぞれ多様な展開を示し、日本の民俗学も柳田民俗学の文脈を修正したり復権させたりして複雑な発展をとげてきた今日、これらの変化のあり様を全体的に見直し、将来への展望を示すことは極めて重要な作業である。歴史研究における民俗学の位置づけ、民俗学的視点からとらえる歴史像のあり方に関心をいだく著者が、独自の立場から多岐にわたる日本の民俗学の現状とその課題を提示した待望の新著である。**

20代のころぼくは民家に興味があって(今もあるが)、休日に民家巡りをしていた(過去ログ)。それで民家での人々の暮らしにも関心が及び、このような本も読んでいたのだろう。なお、下にあげた『日本の民家』今 和次郎(岩波文庫1989年第1刷発行)は民家好きの方にはおすすめの1冊。カバーにも載っているが、スケッチを見るだけでもよい。


320


白馬村の道祖神

2020-08-11 | B 石神・石仏


北安曇郡白馬村神城に祀られている道祖神と大黒様(過去ログ)撮影日2020.08.10



この道祖神の右側面に建立年が彫り込んである。寛政三年(1791年)は結構古い部類に入ると思う。江戸末期のものは時々見ることがあるが。

像がはっきりしないが、この像の隣に設置してある説明板に祝言像とある。左側に立つ女神が手に持っているのは酒器だ。男神は盃を持っているはずだが、この像では確認できない。右側の男神の肩のところに手があるのが分かる。注連縄で分かりにくいが左側の女神の肩にも手があると思われる。お互い仲良く肩に手をかけているのだ。

参考に平安貴族の衣装を身にまとう道祖神を再掲する。像が鮮明で肩にかけた手が良く分かる。向かって右側に立つ男神は盃を手に持ち、左側に立つ女神は酒器を手に持つ酒器像。お互い内側の腕を相手の肩に回している。抱肩握手像(*)はよく見かけるタイプだが、握手ではなく、酒器を持っているのはどうだろうか。それほど珍しいというわけでもないのかもしれない。


松本市里山辺藤井の道祖神 撮影日2016.06.19


 


あちゃ~

2020-08-11 | A あれこれ



**やはり巣が浅すぎると思う。少し成長して体が大きくなると、エサをねだる時バランスを失って巣から落ちてしまうのではないか・・・。心配だなぁ**  先日(5日)、建設現場の事務所のツバメの巣についてこのように書いた(過去ログ)。

心配していたことが起きてしまった。今日(11日)、巣の様子を見ると雛が2羽しかいない・・・。訊けば、1羽が巣から落ちてしまったとのこと。一番元気な雛だったようだ。親ツバメは悲しいだろうなぁ。ぼくも悲しい。

2羽の雛は無事成長して巣だって欲しい。






「わが愛する山々」深田久弥

2020-08-10 | H ぼくはこんな本を読んできた

320

 きょう8月10日は山の日だから山にちなんだ本を載せようと思う。山と聞いて直ちに浮かぶのは深田久弥の『日本百名山』だが、この本は既に載せた(過去ログ)。で、やはり深田久弥の『わが愛する山々』(新潮文庫1978年13刷)を載せる。

深田久弥はあとがきに次のように書いている。**昔から注目された有名な山はあらかた登った。近頃はもっぱらあまり世に知られない、しかし山の立派さにおいては決して有名な山に劣らない、そういう山を探しだしては登っている。** この本にはそのような山、21座の山行記が収録されている。




文庫ではないが山にちなんだ本では『車窓の山旅・中央線から見える山』山村正光(実業之日本社1985年第9刷発行)が書棚にある。この本の著者・山村氏はプロフィールによると、昭和20年12月に国鉄に入り、以来40年間、主に中央線の車掌として新宿―松本間をおよそ4000回乗務したという。山村氏は日本山岳会の会員。

この本は中央線、山の逆旅(車窓からうしろに去り行く景色を楽しむ旅のこと)の記録を収めている。なお山村氏は中央線の車窓から見える山として130座!取り上げている。ちなみにラスト10座は鉢盛山、鉢伏山、鍋冠山(*1)、燕岳、仙丈岳(*2)、王ヶ鼻、常念岳、大滝山、有明山、乗鞍岳。


*1 鍋冠山は松本清張の『火の路』にでてくる。過去ログ 
   このブログカバーに使っているスケッチのクジラの背中のような形の山(ブログタイトルの下の山)。
*2 仙丈岳は南アルプスの高峰(3,033m)。
*3 北杜夫は『神々の消えた土地』(新潮社)で乗鞍岳について次のように書いている。**塩尻の駅を過ぎると、西の窓に忘れることのできぬ北アルプス連峰が遥かに連なっているのを、係恋の情を抱いて私は望見した。黒い谿間の彼方に聳える全身真白な乗鞍岳は、あたかもあえかな女神が裸体を露わにしているかのようであった。**(84頁)


「論理と思想構造」沢田充茂

2020-08-10 | H ぼくはこんな本を読んできた

320

『論理と思想構造』沢田充茂(講談社学術新書1977年第1刷発行)

 難しい書名だが、若いころはこんな本も読んでいた。内容が理解できてもできなくても読んでいた。この本は1978年12月に松本で買い求めている。

例によってカバー裏面の本書紹介文から引く。

**著者は本書の前半で、確実な知識に到達する合理的な方法としての「現代論理学」の考え方を提示し、歴史的発展過程をあとづけ、後半では、その新しい視点から今日の文明現象を問いつめる。(中略)本書は現代の知的先端に位置する読者に、新しい思索の方法と文明の未来を眺望する視点を指し示す、最も有効な「哲学のすすめ」である。**

講談社学術文庫を読むことはなくなってしまった。脳がすっかり老いて難しい本を欲しなくなった・・・。

読みたいと思う本を読みたいときに読む。それで良い。


 


「論理について」笠 信太郎

2020-08-09 | H ぼくはこんな本を読んできた

320

『論理について』笠 信太郎(講談社学術文庫1978年第6刷)

 巻末の「講談社学術文庫」刊行に当たってという文章から引用する。**これは、学術をポケットに入れることをモット―として生まれた文庫である。学術は少年の心を養い、成年の心を満たす。その学術がポケットにはいる形で、万人のものになることは、生涯教育をうたう現代の理想である。(後略)** 

この本は1979年5月15日に買い求めている。今は講談社学術文庫を読んでいないが、若いころは時々読んでいた。それで良しとしておこう。

**(前略)単なる知識の集積だけの現代の学問を反省、人生のための知識と知恵をいかに築いていくかを明快にとき、一人のすぐれた知識人の生き方をおのずと伝えてあますところがない。幅広い教養と豊かな人生経験に裏打ちされた深い洞察は混迷の現代を生きるわれわれに貴重な示唆を与える。** カバー裏面の本書紹介文より。


 


火の見櫓のある風景を描く

2020-08-08 | A 火の見櫓のある風景を描く

420
塩尻市洗馬(せば)下小曽部(しもこそぶ)にて 2020.08.08

 今までスケッチに使っていた筆ペンが描けなくなってしまったので、先日ペンを購入した。同じペンが欲しかったが無かったので仕方なく別のペンにした。昨日(7日)スケッチに出かけた。新しいペンで線描してから着色すると線が滲んでしまった。ペンの選択がまずかった。

で、今日またペンを購入した。ゼブラのマッキーケアというペンで、<油性>速乾性・耐水性という表示がある。耐水性なら問題ないだろう。1本のペンで0.7㎜と超極細0.3㎜を使い分けるようになっている。特別な編ではなく、ごく普通のペンだ。

早速、火の見櫓のある風景をスケッチした。今まで使っていた筆ペンは力の入れ方で太さを変えることができたが、このペンは線の太さが常に一定だ。このことを考慮して線描する必要がある。まだ慣れないので上手く線が描けないがその内慣れるだろう。着色しても線は滲んだりしなかった。 

背景に山がないと落ち着かない。雲の無い空は着色が難しい。

この風景を描くのは初めてではない。今まで描いたスケッチより上手く描けたかな(自己満足)。



松本市神林の火の見櫓

2020-08-08 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)火の見櫓のある風景 松本市神林町神 3脚〇〇型 撮影日2020.08.08

この火の見櫓は2015年の2月に見ているが(過去ログ)、その時はこんなに遠くから写真を撮っていなかった。今のように火の見櫓のある風景をそれ程意識していなかったのかもしれない。



 神林地区の町神公民館の敷地に立つ火の見櫓。梯子の桟の数とそのピッチ(40㎝)により、見張り台床面の高さを約8.8メートルと知る。2015年に見た時も同じ方法でやはり8.8mと推測している。

櫓の逓減に伴い水平部材の間隔が狭くなっている。その間隔も梯子桟の段数を数えることで分かる。地面から1段目の水平部材までが2.8m、後は同順番に約2.4m、2.0m、1.6m。見張り台の床面から屋根下端まで2.0mとしたが、もう少しあるようにも見える(*1)。この火の見櫓もその位だろう。地上から屋根下端までざっと11mと推測、屋根の冠蓋までの高さは12mくらいか。



屋根の中心を外して半鐘を吊り下げてある。


*1 手元にある火の見櫓の図面を見ると7尺(2.1m)になっている。



「星を継ぐもの」ジェイムズ・P・ホーガン

2020-08-08 | H ぼくはこんな本を読んできた


『星を継ぐもの』ジェイムズ・P・ホーガン(創元SF文庫2017年99版)

**月面調査隊が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。すぐさま地球の研究室で綿密な調査が行われた結果、驚くべき事実が明らかになった。死体はどの月面基地の所属でもなく、世界のいかなる人間でもない。ほとんど現代人と同じ生物であるにもかかわらず、五万年以上も前に死んでいたのだ。(中略)やがて木星の衛星ガニメデで地球のものではない宇宙船の残骸が発見されたが・・・。**扉にもカバー裏面にもこの謎が書かれている。この長編SFはこの謎を長大な理路によって解き明かすという内容。その内容に、ぼくは何回もなるほど!

理路は途中、次のようなところも通過する。

**惑星に取り残されたミネルヴァ原産の陸棲動物はやがて絶滅しました。ところが、地球から移入された動物たちは適応性を発揮して生き残ったのです。それどころか、先住者との競争がなくなって、地球動物はミネルヴァ全域をわがもの顔に闊歩したのです。こうして新米の移入生物は、何百万年も前に地球の海にはじまった進化を、片時も中断することなく続ける結果となりました。ところが、言うまでもなく、一方の地球でも、その同じ進化のプロセスが続いていました。共通の祖先から同じ遺伝形質を受け継ぎ、等しい進化ポテンシャルを備えた二つの動物集団が、二つの惑星でそれぞれ独自の進化を辿りはじめたのです。**(266、7頁) 

帯に100刷突破とある。確かに実におもしろいSFだ。2019年8月に読んだ。



『ガニメデの優しい巨人』は『星を継ぐもの』の続編。物語はさらに『巨人たちの星』へと続く。


塩尻市洗馬の火の見櫓

2020-08-07 | A 火の見櫓っておもしろい


185(再)火の見櫓のある風景 塩尻市洗馬(せば)下小曽部 3脚6〇型 撮影日2020.08.07

 この火の見櫓を既に5、6回スケッチしているが、どうも思うように描けない。構図は魅力的で、それ程描きにくいとは思えないのだが・・・。右側の住宅の壁面が正しく理解出来ていないこともその一因かもしれない。加えて瓦屋根の重なりを描くのが難しい。この週末にもう一度試みたい。



半鐘が外され、見張り台の床に置いてある。半鐘の替わりにサイレンが設置してある。主役交代か・・・。


 


「ソラリスの陽のもとに」スタニスワフ・レム

2020-08-07 | H ぼくはこんな本を読んできた

320

 『ソラリスの陽のもとに』スタニスワフ・レム(*1)(ハヤカワ文庫)はソ連の映画監督タルコフスキーによって映画化され、1977年の春に日本で公開された。ぼくはこの映画「惑星ソラリス」を東京の岩波ホールで観た。原作を読んだのはずっと後で、たぶん1993年。

ソラリスは海に覆われた惑星。なんとその海は「知的生命体」で人の脳の思考活動や記憶を読み解き、それを目の前に出現させてしまう。この発想からしてすごい。ソラリス探査のために宇宙ステーションにいる主人公クリスの前にソラリスは何年か前に死んだ恋人(映画では確か妻)ハリーを出現させる。

映画を観たのは今から40年以上も前だが、未来都市として撮影された首都高速(手塚治虫が描いた未来都市ほどではないにせよ、確かにビル群を縫うように伸びる空中高速は当時かなり未来的だった)とラストに主人公クリスの故郷の家が、島となった敷地周辺と共にソラリスの海に浮かびあがるシーンを鮮明に覚えている。

忘れ難きはやはり家族、そして故郷。たとえ地球から遠く離れた宇宙にいたとしても。それが人としての原点、ということなのだろう。

**思考する〈海〉と人類との奇妙な交渉を描き、宇宙における知性と認識の問題に肉薄する、東欧の巨匠の世界的傑作**(カバー裏面の紹介文より)

再読したい作品。



レムの作品では『天の声・枯草熱』(国書刊行会2005年初版第1刷発行)が書棚にある。スタニスワフ・レム コレクション全6巻にソラリスと共に収録されている作品。


*1 ポーランドのSF作家
2016.04.18の記事 改稿再掲


朝カフェ読書

2020-08-06 | A 読書日記

360

 しばらく前から『坊っちゃん』を読みたいと思っていた。自室の書棚に無かったので、今朝(6日)TSUTAYA北松本店で探した。新潮文庫の棚、無い。ならば角川の棚、無い。集英社文庫の棚、有った。 カバー裏面を見ると定価 本体260円+税という表示が。安い。今どきどんなに薄い文庫でも500円くらいするのでは。ちなみに巻末に年譜が載っているこの本は221頁ある。なんだか得した気分に。カバーに描かれた坊っちゃんはぼくが抱いているイメージとは違って、大人しそうでいかにも優等生といった感じ。

早速買い求めて、朝カフェスタバへ。馴染みの店員さんに「お久しぶりです」と声をかけられる。いつも通りホットのショートを手にいつもの席に着き、『かくれた次元』エドワード・ホール(みすず書房)を読む。

この本を読み終えたら『坊っちゃん』を読むつもり。なんだか中学生の夏休みの宿題みたいだな。