和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

金地が剥落し。

2009-02-05 | Weblog
毎日新聞2007年に米本浩二氏の文で青木繁について4回連載が書かれておりました。

その連載の5月13日は福岡県久留米市の石橋美術館へ行っております。
「石橋財団が運営する石橋美術館は1956年開館。近代洋画の名品を常設展示する九州の私立美術館の老舗的存在である。西鉄久留米駅から徒歩で約10分。駅からバスもある。『海の幸』は国の重要文化財。縦70・2センチ横182センチの油彩画だ。大魚の陸上げが醸し出すイメージが壮大なだけに、実物を小さいと感じる人は多いのではないか。学芸課長の森山秀子さんは『もっと大画面でもよかったが、当時の限界でしょうか。布良で寄宿した民家は狭いし、東京の下宿も4畳半か6畳程度でしょう』と話す。・・」

ああ、そうなんだ。「海の幸」という絵は、期待して見にゆけば、案外実物を小さく感じるのだろうなあ。というのがわかるような感じがします。

絵「海の幸」を見る時に
もうひとつ忘れてはならない箇所が松永伍一著「青木繁」にありました。
それは、実際は「海の幸」の背地に金を塗りこめていたのだそうなのです。
初めて、知りました。では、それを語る松永伍一氏の文を引用。

「『海』や『海原』などは色彩の上であきらかに印象派と呼応するものがあるが、『海の幸』に金を配した青木の魂胆は、その昔、尾形光琳らが装飾技法を駆使したディレッタンティズムを借用することに通じていた。・・・いまは、その金地が剥落し色褪せて往時の迫力をやや欠き、その分だけ写実的様相を全面に出すことになっているが、私の推察するところ、蒲原有明が詩『海の幸』を書いたのは、背地の金がかきたててくれる精神の芳香のようなものに衝迫された結果だと言える。
  ただ見る、青とはた金の深き調和。――
  きほへる力はここに潮と湧き、
  不壊なるものの跫音は天に伝へ
  互に調べあやなし、響き交す
詩人に画家が詩を書かせることは、画家の勝利である。とりわけ、みずから詩人的に物象をとらえ夢想をほしいままにしてきた青木にとって、得も言われぬ愉楽であった。・・・・」(p30~31)

おいおい、
「いまは、その金地が剥落し色褪せて往時の迫力をやや欠き、その分だけ写実的様相を全面に出すことになっている」とは知りませんでした。今だ実物の絵を見ていない私ですが、こりゃ、見ない方が詩的喚起力を味わえそうな不思議な気持ちになります。まあ、何はともあれ、いつか見る機会にめぐまれますように。
コメント
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