夏目漱石の「こころ」。
そこに、房州が登場しております。
「kはあまり旅へ出ない男でした。私にも房州は始めてでした。二人は何も知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田(ほた)とか言いました。今ではどんなに変わっているか知りませんが、そのころはひどい漁村でした。第一どこもかしこも腥(なまぐ)さいのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦り剥くのです。拳(こぶし)のような大きな石が打ち寄せる波に揉まれて、始終ごろごろしているのです。私はすぐいやになりました。しかしkはいいとも悪いとも言いません。少なくとも顔付きだけは平気なものでした。その癖彼は海へ入るたびにどこかに怪我をしないことはなかったのです。私はとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦(とみうら)に行きました。富浦からまた那古(なご)に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重(おも)に学生の集まる所でしたから、どこでも我々にはちょうど手頃の海水浴場だったのです。kと私はよく海岸の岩の上に坐って、遠い海の色や、近い水の底を眺めました。岩の上から見下ろす水は、また特別に綺麗なものでした。・・・」(下 先生の遺書・二十六)
初期の作品「草枕」も引用しておきましょう。
「昔し房州を館山から向うへ突き抜けて、上総(かずさ)から銚子まで浜伝いに歩行(あるい)た事がある。その時ある晩、ある所へ宿(とまつ)た。ある所というより外に言いようがない。・・・荒れ果てた、広い間をいくつも通り越して一番置くの、中二階へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入ろうとすると、板びさしの下に傾きかけていた一叢(ひとむら)の修竹(しゅうちく)が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫でたので、既にひやりとした。椽板(えんいた)は既に朽ちかかっている。来年は筍(たけのこ)が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうといったら、若い女が何もいわずににやにやと笑って、出て行った。その晩は例の竹が、枕元で婆娑(ばさ)ついて、寝られない。障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明かなるに、眼を走らせると、垣も塀もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原でどどんどどんと大きな濤(なみ)が人の世を威嚇(おどか)しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳のうちに辛抱しながら、まるで草双紙にでもありそうな事だと考えた。・・・」(岩波文庫「草枕}p32~33)
そこに、房州が登場しております。
「kはあまり旅へ出ない男でした。私にも房州は始めてでした。二人は何も知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田(ほた)とか言いました。今ではどんなに変わっているか知りませんが、そのころはひどい漁村でした。第一どこもかしこも腥(なまぐ)さいのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦り剥くのです。拳(こぶし)のような大きな石が打ち寄せる波に揉まれて、始終ごろごろしているのです。私はすぐいやになりました。しかしkはいいとも悪いとも言いません。少なくとも顔付きだけは平気なものでした。その癖彼は海へ入るたびにどこかに怪我をしないことはなかったのです。私はとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦(とみうら)に行きました。富浦からまた那古(なご)に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重(おも)に学生の集まる所でしたから、どこでも我々にはちょうど手頃の海水浴場だったのです。kと私はよく海岸の岩の上に坐って、遠い海の色や、近い水の底を眺めました。岩の上から見下ろす水は、また特別に綺麗なものでした。・・・」(下 先生の遺書・二十六)
初期の作品「草枕」も引用しておきましょう。
「昔し房州を館山から向うへ突き抜けて、上総(かずさ)から銚子まで浜伝いに歩行(あるい)た事がある。その時ある晩、ある所へ宿(とまつ)た。ある所というより外に言いようがない。・・・荒れ果てた、広い間をいくつも通り越して一番置くの、中二階へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入ろうとすると、板びさしの下に傾きかけていた一叢(ひとむら)の修竹(しゅうちく)が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫でたので、既にひやりとした。椽板(えんいた)は既に朽ちかかっている。来年は筍(たけのこ)が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうといったら、若い女が何もいわずににやにやと笑って、出て行った。その晩は例の竹が、枕元で婆娑(ばさ)ついて、寝られない。障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明かなるに、眼を走らせると、垣も塀もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原でどどんどどんと大きな濤(なみ)が人の世を威嚇(おどか)しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳のうちに辛抱しながら、まるで草双紙にでもありそうな事だと考えた。・・・」(岩波文庫「草枕}p32~33)