雑誌「太陽」1974年10月号「画家青木繁」に
福田蘭童が「父、青木繁と『幸彦像』」と題して書いております。
その前半部分を引用。
「父、青木繁は『幸彦像』という油彩を描き残している。わたしが三歳になったときの肖像画であるが、そのころの父は幸福の絶頂期にあったといっていい。
明治37年、繁は房州布良の海岸で『海の幸』を描き、
38年には『日子大穴牟知命』を茨城県の川島で描き、そして一子、幸彦を生んだ。
39年には上京して『女の顔』を描き、40年になって栃木県の福田家へ行き『わだつみのいろこの宮』の制作に没頭したのであった。
わたしの母である福田たねの父親は漢学者であり、芸術に理解があったので、繁のために資材を惜しまずに提供した。カンバスは日光近くの鹿沼までの八里の道をあるいてゆき製麻会社から麻の布を買ってきたのである。繁はその麻布にゼラチンを塗り、思うままの大きさに切りとってはカンバスとしたのであった。むろん、わたしを描いた『幸彦像』もその一部分であるこというまでもない。ところが、なんせ洋服地にする麻布であるために布目は荒く、表面に描いた絵の具の油が裏側にしみだしてしまう。
『海の幸』にしろ『いろこの宮』にしろ、『日本武尊』にしろ、その裏側はみな、油がにじみだして黒ずんで見える。また表面もモロくなっていて、手荒らに取り扱うと絵具がはげ落ちてしまう危険をはらんでいる。」(p88)
このカンバスについては、面白いテーマとしてあります。
画家である菊畑茂久馬著「絵かきが語る近代美術」(弦書房)を読むと、それについて面白い記述にぶつかります。ということで、以下は、菊畑氏の本を紹介。
う~ん。いろいろと紹介したいのですが、
まずは、この箇所。
「油絵の創始者と言われるフーベルト・ヤン・エイクの『結婚式の肖像』も板絵、レオナルド・ダ・ビンチの『モナリザ』もポプラの板です。
ところが、1488年ポルトガルのエンリケ航海王子が喜望峰を発見してから16世紀以降は大航海時代に突入します。巨大な帆船が続々と造られ、そこに登場したのが板よりも軽いカンバスです。海上交通の発達は帆布の発達でもありました。少々の暴風雨、潮風、大波を何年かぶっても、びくともしない帆布が生れました。・・・板になり、もっと軽い麻布になって絵は世界中に流通するようになり、大量生産され、商品化され、絵かきも少しは食えるようになったというわけです。」(p108)
カンバスといえば、菊畑氏が高橋由一を語る箇所は魅力なのです。
それは、また今度。
福田蘭童が「父、青木繁と『幸彦像』」と題して書いております。
その前半部分を引用。
「父、青木繁は『幸彦像』という油彩を描き残している。わたしが三歳になったときの肖像画であるが、そのころの父は幸福の絶頂期にあったといっていい。
明治37年、繁は房州布良の海岸で『海の幸』を描き、
38年には『日子大穴牟知命』を茨城県の川島で描き、そして一子、幸彦を生んだ。
39年には上京して『女の顔』を描き、40年になって栃木県の福田家へ行き『わだつみのいろこの宮』の制作に没頭したのであった。
わたしの母である福田たねの父親は漢学者であり、芸術に理解があったので、繁のために資材を惜しまずに提供した。カンバスは日光近くの鹿沼までの八里の道をあるいてゆき製麻会社から麻の布を買ってきたのである。繁はその麻布にゼラチンを塗り、思うままの大きさに切りとってはカンバスとしたのであった。むろん、わたしを描いた『幸彦像』もその一部分であるこというまでもない。ところが、なんせ洋服地にする麻布であるために布目は荒く、表面に描いた絵の具の油が裏側にしみだしてしまう。
『海の幸』にしろ『いろこの宮』にしろ、『日本武尊』にしろ、その裏側はみな、油がにじみだして黒ずんで見える。また表面もモロくなっていて、手荒らに取り扱うと絵具がはげ落ちてしまう危険をはらんでいる。」(p88)
このカンバスについては、面白いテーマとしてあります。
画家である菊畑茂久馬著「絵かきが語る近代美術」(弦書房)を読むと、それについて面白い記述にぶつかります。ということで、以下は、菊畑氏の本を紹介。
う~ん。いろいろと紹介したいのですが、
まずは、この箇所。
「油絵の創始者と言われるフーベルト・ヤン・エイクの『結婚式の肖像』も板絵、レオナルド・ダ・ビンチの『モナリザ』もポプラの板です。
ところが、1488年ポルトガルのエンリケ航海王子が喜望峰を発見してから16世紀以降は大航海時代に突入します。巨大な帆船が続々と造られ、そこに登場したのが板よりも軽いカンバスです。海上交通の発達は帆布の発達でもありました。少々の暴風雨、潮風、大波を何年かぶっても、びくともしない帆布が生れました。・・・板になり、もっと軽い麻布になって絵は世界中に流通するようになり、大量生産され、商品化され、絵かきも少しは食えるようになったというわけです。」(p108)
カンバスといえば、菊畑氏が高橋由一を語る箇所は魅力なのです。
それは、また今度。