井伏鱒二の「厄除け詩集」を、
家に探すと講談社文芸文庫と
昭和52年出版の筑摩書房の単行本とがありました。
筑摩書房版には「後記」があり、
「後記」の最後に
「『厄よけ』は『厄除け』とした。
私としては自分の厄除札の代りにしたいつもりである。」
さてっと、
厄除け詩集の最後の詩は
『冬』でした。
はじまりの一行は
「三日不言詩口含荊棘」。
今回興味をひいたのは
この箇所。
「洒落た詩でなくても結構だらう
書いては消し書いては消し
消したきりでもいいだろう
屑籠に棄ててもいいだろう
どうせ棄てるもおまじなひだ」
そして、最後の一行は
「おまじなひには詩を書くことだ」
講談社文芸文庫の方には
「人と作品」を、河盛好蔵氏が
書いておりました。
題して「詩人井伏鱒二」。
その文のはじまりは、
「井伏夫人のお話によると、
井伏さんは生前は詩人と呼ばれることを
非常に悦ばれたそうである。」
家に探すと講談社文芸文庫と
昭和52年出版の筑摩書房の単行本とがありました。
筑摩書房版には「後記」があり、
「後記」の最後に
「『厄よけ』は『厄除け』とした。
私としては自分の厄除札の代りにしたいつもりである。」
さてっと、
厄除け詩集の最後の詩は
『冬』でした。
はじまりの一行は
「三日不言詩口含荊棘」。
今回興味をひいたのは
この箇所。
「洒落た詩でなくても結構だらう
書いては消し書いては消し
消したきりでもいいだろう
屑籠に棄ててもいいだろう
どうせ棄てるもおまじなひだ」
そして、最後の一行は
「おまじなひには詩を書くことだ」
講談社文芸文庫の方には
「人と作品」を、河盛好蔵氏が
書いておりました。
題して「詩人井伏鱒二」。
その文のはじまりは、
「井伏夫人のお話によると、
井伏さんは生前は詩人と呼ばれることを
非常に悦ばれたそうである。」