雑誌「新潮45」9月号をひらく。
辣椒(らーじゃお)の連載漫画
「中国亡命漫画家」が、この回で最終回とあります。
最終回はご両親のことが丁寧に描かれています。
最後に、この連載は来年1月に単行本刊行予定。
とあります。うん。刊行されたら買わなきゃ。
それにしても、来年とはね。
売る気があるのかどうか?
この雑誌に、
稲垣えみ子さんへのレビューインタビュー記事が2ページ。
気になったので紹介します(笑)。
インタビュー記事のはじまりは
「朝日新聞社での仕事に50歳の節目で区切りをつけ、
晴れて『無職』となった稲垣みえ子さん。
退職前には、担当したコラム連載が熱狂的な支持を得たり、
その究極の節電生活が話題となったり。・・・・」
うん。脇にご自身のアフロの写真があり、
写真の下に簡単な履歴がありますので、
それも全文紹介。
「1965年生まれ。朝日新聞社で大阪社会部、
『週刊朝日』編集部、論説委員などを経て
2016年1月退社。近著『アフロ記者が記者として
書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』」
そうそう。週刊朝日といえば
司馬遼太郎の「街道をゆく」以来
買っておりませんが、今はどんな雑誌でしょう?
今日の産経新聞の
「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」
に、最近の週刊朝日が他の週刊誌と比較されて
出ておりましたので、そちらも引用。
「陛下の『ご譲位』問題。
『週刊朝日』(8・26)
【前代未聞!国民に向け、自らSOS!!
天皇陛下の『終活』】。
『サンデー毎日』(8・28)は
保阪正康さんの寄稿で
【天皇陛下「お気持ち」に込められた
生前退位への「覚悟」】。
それにしても「朝日」のタイトルはいただけない。
そんななかでは『週刊新潮(8・25)の
【天皇陛下「お言葉」を私はかく聞いた!】
はいかにも「新潮」らしい大人の斬り口。
工藤美代子さん、佐藤優さん、百地章さんら
7人の意見はそれぞれ参考になる。」
さてっと、
週刊朝日の編集部から
朝日新聞の論説委員になった稲垣ふみ子さん。
そして、50歳の朝日新聞退社。
インタビュー記事から、
この箇所を引用。
「・・・50歳を区切りに会社を
卒業しようと考え始めました。
あと東日本大震災の後、節電を始めて
ほとんどの家電製品を捨ててしまったことも
大きかった。それまで
『なければ生きていけない』と思っていたものの
ほとんどが、実はなくても平気だった。
いやむしろない方が豊かなことも多いんです。
それなら、会社だってなくてもやっていける
んじゃないかと。」(p300)
うん。私は稲垣ふみ子さんの言葉をこう聞きました。
朝日新聞が『なければ生きていけない』と
思っていたもののほとんどが、実はなくても平気だった。
それなら、朝日新聞がなくてもやっていける。
うん。朝日新聞を退社する。
それほどに、朝日新聞の女性は強い。
辣椒(らーじゃお)の連載漫画
「中国亡命漫画家」が、この回で最終回とあります。
最終回はご両親のことが丁寧に描かれています。
最後に、この連載は来年1月に単行本刊行予定。
とあります。うん。刊行されたら買わなきゃ。
それにしても、来年とはね。
売る気があるのかどうか?
この雑誌に、
稲垣えみ子さんへのレビューインタビュー記事が2ページ。
気になったので紹介します(笑)。
インタビュー記事のはじまりは
「朝日新聞社での仕事に50歳の節目で区切りをつけ、
晴れて『無職』となった稲垣みえ子さん。
退職前には、担当したコラム連載が熱狂的な支持を得たり、
その究極の節電生活が話題となったり。・・・・」
うん。脇にご自身のアフロの写真があり、
写真の下に簡単な履歴がありますので、
それも全文紹介。
「1965年生まれ。朝日新聞社で大阪社会部、
『週刊朝日』編集部、論説委員などを経て
2016年1月退社。近著『アフロ記者が記者として
書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』」
そうそう。週刊朝日といえば
司馬遼太郎の「街道をゆく」以来
買っておりませんが、今はどんな雑誌でしょう?
今日の産経新聞の
「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」
に、最近の週刊朝日が他の週刊誌と比較されて
出ておりましたので、そちらも引用。
「陛下の『ご譲位』問題。
『週刊朝日』(8・26)
【前代未聞!国民に向け、自らSOS!!
天皇陛下の『終活』】。
『サンデー毎日』(8・28)は
保阪正康さんの寄稿で
【天皇陛下「お気持ち」に込められた
生前退位への「覚悟」】。
それにしても「朝日」のタイトルはいただけない。
そんななかでは『週刊新潮(8・25)の
【天皇陛下「お言葉」を私はかく聞いた!】
はいかにも「新潮」らしい大人の斬り口。
工藤美代子さん、佐藤優さん、百地章さんら
7人の意見はそれぞれ参考になる。」
さてっと、
週刊朝日の編集部から
朝日新聞の論説委員になった稲垣ふみ子さん。
そして、50歳の朝日新聞退社。
インタビュー記事から、
この箇所を引用。
「・・・50歳を区切りに会社を
卒業しようと考え始めました。
あと東日本大震災の後、節電を始めて
ほとんどの家電製品を捨ててしまったことも
大きかった。それまで
『なければ生きていけない』と思っていたものの
ほとんどが、実はなくても平気だった。
いやむしろない方が豊かなことも多いんです。
それなら、会社だってなくてもやっていける
んじゃないかと。」(p300)
うん。私は稲垣ふみ子さんの言葉をこう聞きました。
朝日新聞が『なければ生きていけない』と
思っていたもののほとんどが、実はなくても平気だった。
それなら、朝日新聞がなくてもやっていける。
うん。朝日新聞を退社する。
それほどに、朝日新聞の女性は強い。