山折哲雄著「早朝坐禅」(祥伝社新書)
「人形 1 御所人形」(京都書院・昭和60年)
増谷文雄著「親鸞・道元・日蓮」(至文堂・日本歴史新書)
以上3冊から引用。
以下には、この3冊の順に引用してゆきます。
「雲水たちは、食器の上げ下げをするとき、
必ず両手を添えていたのだ。碗(わん)や皿を、
決して片手で扱おうとしない。
一口食べては両手でその器を静かにおき、
また別の器を両手で持ち上げている。
その往復運動は、見ていて快いリズムを
感じるほど楽しかった。・・・
そこで私は思ったのだ。
器に両手を添えるという身体作法が、
その無限の繰り返しのなかで、
いつのまにか『合掌』という
作法に結晶することになった
のではないだろうか、と。
食事の前後に合掌するのは、
この身体作法と決して無縁なもの
ではないに違いない。・・・」(p133~134)
うん。いつも茶碗を片手で扱っているので、
私の合掌は、いつもぎこちない。
思い浮かんだのは、御所人形。
稚子の可愛らしさを表現していて
写真で見たのは
霊鑑寺門跡の御人形のひとつでした。
木彫りに胡粉を塗り重ねた白い肌の
稚子人形が座っていて
丸顔の「水引手 紅の着衣」と
題された人形の写真でした。
すこし頭を上に向けて
両手をひらいて、そのままとじれば、
なんだか、拍手でもしそうな動作を
している人形でした。
以上で2冊引用。
3冊目は道元の「空手にして郷に還る」
という箇所を引用して終わります。
「道元は、1227年、28歳にして故国に帰ってきた。
・・・
これまでにも、海をわたってかの地にいたった
この国の仏僧はすくなくない。その中には、
この国の第一級の人々もおおい。そのとき、
彼らがかの国からもたらしたものは、
いまだこの国にしられていない経巻、仏像であった。
それらによって、この国の人々は、新しい仏教の
教法に接することを得た。また、新しい道具や
その他のものも、あわせて彼らによってもたらされた。
それらによって、この国の文化はゆたかにされた。
さらには、たとえば、茶の実をもたらして、
その栽培と喫茶の法を伝えるというようなこともあった。
それらの新しきものの招来は、人々の目をそばだたしめ、
心をおどらせたであろう。だがいま、道元が在宋五年にして、
新たにもたらしたものはなにか。それは
『眼横鼻直なることを認得した』ことだけであったという。
・・・・詮ずるところをいえば、
『空手にして郷に還る』、から手で帰って来たという。
これまでの留学僧はすべて、なにか新しいものをもって
帰ってきた。なんにも新しいものをもたずに帰ってきた。
だが、そのことこそ、まったく新しいものをもたらした
ことであり、そのことこそ、まことに瞠目し驚心すべき
ことであった。その意味をたずねてゆけば、そこに
道元の仏教把握のかなめが存していることが知られるのである。」
(p136~138)
「人形 1 御所人形」(京都書院・昭和60年)
増谷文雄著「親鸞・道元・日蓮」(至文堂・日本歴史新書)
以上3冊から引用。
以下には、この3冊の順に引用してゆきます。
「雲水たちは、食器の上げ下げをするとき、
必ず両手を添えていたのだ。碗(わん)や皿を、
決して片手で扱おうとしない。
一口食べては両手でその器を静かにおき、
また別の器を両手で持ち上げている。
その往復運動は、見ていて快いリズムを
感じるほど楽しかった。・・・
そこで私は思ったのだ。
器に両手を添えるという身体作法が、
その無限の繰り返しのなかで、
いつのまにか『合掌』という
作法に結晶することになった
のではないだろうか、と。
食事の前後に合掌するのは、
この身体作法と決して無縁なもの
ではないに違いない。・・・」(p133~134)
うん。いつも茶碗を片手で扱っているので、
私の合掌は、いつもぎこちない。
思い浮かんだのは、御所人形。
稚子の可愛らしさを表現していて
写真で見たのは
霊鑑寺門跡の御人形のひとつでした。
木彫りに胡粉を塗り重ねた白い肌の
稚子人形が座っていて
丸顔の「水引手 紅の着衣」と
題された人形の写真でした。
すこし頭を上に向けて
両手をひらいて、そのままとじれば、
なんだか、拍手でもしそうな動作を
している人形でした。
以上で2冊引用。
3冊目は道元の「空手にして郷に還る」
という箇所を引用して終わります。
「道元は、1227年、28歳にして故国に帰ってきた。
・・・
これまでにも、海をわたってかの地にいたった
この国の仏僧はすくなくない。その中には、
この国の第一級の人々もおおい。そのとき、
彼らがかの国からもたらしたものは、
いまだこの国にしられていない経巻、仏像であった。
それらによって、この国の人々は、新しい仏教の
教法に接することを得た。また、新しい道具や
その他のものも、あわせて彼らによってもたらされた。
それらによって、この国の文化はゆたかにされた。
さらには、たとえば、茶の実をもたらして、
その栽培と喫茶の法を伝えるというようなこともあった。
それらの新しきものの招来は、人々の目をそばだたしめ、
心をおどらせたであろう。だがいま、道元が在宋五年にして、
新たにもたらしたものはなにか。それは
『眼横鼻直なることを認得した』ことだけであったという。
・・・・詮ずるところをいえば、
『空手にして郷に還る』、から手で帰って来たという。
これまでの留学僧はすべて、なにか新しいものをもって
帰ってきた。なんにも新しいものをもたずに帰ってきた。
だが、そのことこそ、まったく新しいものをもたらした
ことであり、そのことこそ、まことに瞠目し驚心すべき
ことであった。その意味をたずねてゆけば、そこに
道元の仏教把握のかなめが存していることが知られるのである。」
(p136~138)