和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「京のお野菜」と「うんこさん」。

2019-12-01 | 京都
寿岳章子さんに
「京ことばのやさしさ・・・敬語」という文があります。
そこに、小学校の思い出が語られておりました。

「一般に京都の人は、いろいろなものに
いわゆる敬辞をつける。普通なら絶対に
つかないものに堂々とつける。

そのことを考えさせられたのは
私の小学生の頃であった。
私はそのとき友人二人と下校中であった。
同クラスの女の子たち。気楽な話をたのしみながら、
私たちはゆっくりと家路についていた。

あとの二人は生粋の京都っ子である。
商家の系統である。そのうちの一人が、
『うちうんこさん出えへん』と言った。
要するに便秘のことであるが、私は
のけぞって笑ってその子を困惑させた
ことを今なおはっきり覚えている。
・・私は両親が京都ではなく、
おまけに商い人ではない・・・」(p163)

こうして小学校の思い出を、きっかけに、
京ことばへの、考察へとつなげております。

「それはあくまで、京都的な『さん』であって、
暮らしに大切な存在であるものへの顧慮とでも
言いたい気持の表現ではなかろうか
そのことの有無が大変からだにとって
大切な存在であるからには、一種の敬意を払って
『うんこさん』と言ってもちっとも差し支えない。」(P164)

ここから、寿岳章子さんは食べ物へと
話題をふりむけておられます。

「ほんとうに京の人びとはおもしろいものに
敬語をつける。ことに食べ物関係に多い。
私もその辺のことばは日常的によく使う。
『いっぺんまめさんでも炊こか』
というような具合である。・・・・」

ちょっと飛ばして、次のページを引用。

「そういうふうに言って見せることによる
対外的メリットなどは何もない。・・・・
大豆や黒豆、うずら豆などを丹念にそれこそ
愛をこめてふっくりたき上げるとき、自然と
『まめさん』、あるいは『おまめさん』と言ってしまう
という感じである。
大根、なす、かぼちゃ、ここでふと思われるのは、
京都は名だたる野菜の産地であるということである。
・・・山科なす、鹿ケ谷のひょうたんかぼちゃ、堀川ごぼう、
九条ねぎ、吹き散り大根、金時にんじん、みず菜・・・・・
それらは今になお作りつづけているものもあれば、
もはや絶えてしまった品種もあるそうだが・・・・・・

デリケートな味に富んだ京の野菜、
その歴史的な野菜に対する都人の心のあらわれ
としての『お・・さん』つきであるとも思われる。
何しろ『おだい』などと言っていると、私の大事な
大根、という感じが濃厚にするのである。
鳴滝の大根煮などでもわかるように、京都の人は
大根のたいたのをとても大切にする。

説明しがたいのだが、京都の野菜と共に暮らしている
私たちには、ごく自然な言い方に思われて仕方がない。」
(~P166)

はい。本棚から寿岳章子著「暮らしの京ことば」(朝日選書)
を出してきて、京都的な『さん』をみつけようとしていたら、
この箇所があるのを見つけました(笑)。
はい。説明しがたい『うんこさん』の、やさしさ。

コメント (2)
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