うちの子供が、小学校の頃に、
学校では詩の副読本が使われてました。
それは、本屋にはなかったと思います。
その中に丸山薫の詩「唱歌」があった。
その詩「唱歌」が気なってました。丸山薫の古本を購入。
「丸山薫全集」全5冊揃い。1150円+送料650円=1800円。
はい。一冊が360円なら安いと思って5年前に買ってあり、
そのまま、本棚にねむっておりました。
そろそろ、読み頃ですよ、と背中を押されます。
童詩雑誌の『きりん』は、昭和23年2月が創刊号でした。
丸山薫著少年少女詩集『青い黒板』は昭和23年5月発行。
「丸山薫全集 2」でその詩集を見ることができました。
はい。詩「唱歌」を引用したいのですが、
まずはこの詩集のあとがきを引用してみます。
「★ この詩集は、だいたい小学五六年生の諸君を目標にして作ったのです。
★ けれど、詩の中で使っている言いまわしや漢字は、きびしく言って
必ずしも五六年生程度のものかどうかは、わかりません。
言いまわしについては、それがいちばん正直な詩の言い方ですと、
言っておきましょう。文字は成るべく假名にしましたが、
紛らわしかったり、それではどうしても気もちが出ないと
思われるものには、漢字を使いました。
・・・・
★ どれも方々の少年少女の雑誌にたのまれて書いていったものです。
・・・・これを本にするのは諸君にまとめて読んでもらって、
『 詩をつくる人のこころは物事のすべてをどういうふうに
感じてくらしているか、また、詩はどんなにたのしく、
つくる人とよむ人のこころをなぐさめて元気づけるものか 』
ということを、つよくふかくわかってもらいたいためです。
★ ただ、私がこの二年間、東北地方の山の村に住んでいるために、
詩にも北の山國の子供たちのくらしや感じ方が多く入りまじった
ことは、ここで、日本中の諸君におことわりしておきましょう。
★ また、この詩集中の『唱歌』という作品は、こんど
小學第五學年生の國語教科書にのせられることになりました。・・
はい。詩には、それなりの時代や背景があって成り立つことを
こうして全集をひらくと教えられることになりました。
それでは、お待ちかね、詩『唱歌』
唱歌 丸山薫
先生がオルガンを
おひきになると
オルガンのキイから
紅い
青い
金色の
ちがつた形の小鳥が
はばたいて出て
くるくる
ぼくたちの頭の上を
まわりはじめた
教室の 高いところの
窓ガラスが一枚 こわれていて
やがて 小鳥たちは
そこから
遠い空へ逃げていつた
この全集2には、最後に編注がありました。そこからも引用。
「 著者の自作解説―――
『・・・・・生まれかわる日本は、なによりもさきに、
小学校の教室から、芽ばえようとしています。
いまはたのしい音楽の時間です。みんな耳をすまし、ひとみをかがやかせて、
新しくおぼえる歌の譜をきいています。
先生がオルガンをおひきになります。オルガンからは、
美しいやわらかな音が、つぎつぎに流れ出ます。
ねいろはまるで、五線の間をはばたく小鳥のように、
いく羽もいく羽もとびたちます。
それはまるで、ゆめのように、てんじょうを見つめている
ぼくたちの頭の上を、くるくるまわるようです。
ああ、楽しい時間、楽しい教室――
おや、あんなところのまどガラスが、一枚まだこわれたままだっけ!
私はこの詩を、終戦後の二年間、山形県の山おくの小学校で、
先生をしながら書きました。詩の中には、まあざっと、
いま書いたような感じがふくまれています。
みなさんたちが読んで、
そこまではっきりとわかってくださらなくてもよろしい。
ただ音楽を形にあらわせば、
――こんなにもいえるということ――
それから、おわりのほうの、
『 窓ガラスが一枚こわれていて 』の行で、
いまのみなさんたちの教室のようすを、
――また、その窓からみえる『遠い空へ』で、みらいの希望を――
この三つのことばをぼんやりとでも、感じてくださればいいのです。 」
( 『小学五年の学習』昭和23年9月号 )
よくばって、最後に、詩集の『 はしがき 』を全文引用。
「 はしがき
詩をむつかしくてわからないという人がいる。
詩はむつかしいだろうか。詩はむつかしくない。
むつかしいという人は、詩のおもしろさをかんじない人だ。
詩は理屈ではない。理屈の説明でもない。
そんなものをとびこえて、いちはやく、
もののほんとうの姿とこころを感じ知ることなのだ。
詩が夢のようだという人は、夢のようなことに酔い、
夢のようなことしか考えない人だろう。
詩はゆめであるが、寝ていて見る夢ではない。
いちばん正しい、すばやいこころである。
賢く美しい翼のある考のはたらきである。
子供たちのこころはアンテナである。
アンテナは塵も埃もない未来の青空にむかって、
自在に張りめぐらされている。
宇宙からとんでくる眼に見えない真理をとらえようと、
ピチピチふるえて待ちかまえている。
真理がとんでくる。電波のように――。
それをかんじて言いあらわす。
少年少女諸君。詩人は君たちの友だちだ。諸君も詩人である。
昭和23年1月 」