それは、竹中郁の短文「児童詩の指導」の最後でした。
「 いずれ、忘れっぽいのがあたりまえの子どもは、
詩をつくるのを忘れてしまうだろう。
十五六歳ともなればきっと忘れてしまう。
それでもかまわない。
子どものころに、感じる訓練と、
それを述べる訓練とを経ただけで、
それは十分ねうちがある。
子どもよ、詩をかく子どもよ、すこやかなれ。 」
( p185 「全日本児童詩集 1950」尾崎書房 )
はい。私は今年、大村はまを読もうと思っていたのですが、
いつのまにか、児童詩を指導する竹中郁を読んでいました。
その竹中郁さんが指摘されている言葉には、
『 十五六歳ともなればきっと忘れてしまう。それでもかわまわない。 』
とあったのでした。15~16歳ならば、戦後の中学校国語を教えはじめた、
大村はま先生へと、すんなりバトンがつながるような気がしてきました。
たとえば、大村はま先生は、『教師の仕事』という講演で
『 書く練習 』について語っている箇所がありました。
「 書く練習をするときは、『 書く練習をしなさい 』
と言うようなことではとてもだめです。
ほんとに書かせなくては、だめなのです。
それも、書くこと、書きたいことが胸にない
という状態では、書く練習はできません。
書くことが心にない人は書き表わすわけにはいかないと思います。
それから、書かないとしかられると思って書くことがありますが、
そういうほんとうに書きたいということがわかってこない状態で
書かせると、つまらないことをダラダラと書いたりします。
それでは書くことの練習にはならないのですが、
似て非なる練習のようなことをしたことが、
練習をしたことになってしまったりします。・・・ 」
( p113 大村はま著「新編教えるということ」ちくま学芸文庫 )
それでは、『書くことの練習』とはどうすればいいのか。
はい。それを大村はまの本に読もうとしているのですが・・・。
この講演で『 指示する言い方 』という箇所がありました。
先生に対しては、こう語っております。
「・・こういう場合、素人では言えないことを言いたいと思います。
まず、『一生懸命なさい』とか、『書き慣れなさい』とか、
そういう指示だけすることば、子どもに指図する、命令する
・・つまり、命令すればやるものと思ったりすることが、
教師としての甘さで・・言ってもやらない人にやらせる
ことが、こちらの技術なのですから。・・・ 」(p112)
お母さんという箇所もあります。
「 『 書きなさい、しっかり 』と言うのは、
お母さんでもだれでも言えますけれども、
子どもを書きたい気持ちにさせるというのは、
容易ならないことだと思います。・・・ 」(p113)
こうして、『 容易ならないこと 』について
あらためて思い浮かぶ言葉がふたつ。
ひとつは、竹中郁さんが児童詩の指導で語られていたこの箇所。
『 きっと忘れてしまう。それでもかわまわない。 』
もうひとつ。中学三年の苅谷夏子さんが受けた大村はま先生の授業でした。
教室で『 書かなくてもかまいません 』と言われた夏子さんでした。
はい。ここはちょっと長く引用しておわります。
「一時間の授業が終わろうとする少し前、
しんとした教室の空気を先生の声が破った。
『 はい、そこまででやめましょう。今考えた文章は、
書きたかったら書いてみればいいでしょうが、
書かなくてもかまいません。
構成を考えたメモだけは、しっかり学習記録に入れておきなさい。
さて、どうでしたか、
《私の履歴書》を書こうとするときに、できごとを一から十まで
すべて、あったとおりに、そのままに書くわけではなさそうでしょう。
書いてある内容そのものが、その人をすっかり表現しているわけでない。
選んだことを選んだ表現で書く、実際にあったことでも、書かないこともある、
そこにこそ、その人らしさが出てくるんじゃありませんか・・・ 』
この大村はま先生の言葉を、苅谷夏子さんは、
その時の状況を反芻して、こう書くのでした。
「あ、そうか、文章というのは、たった今まで私がしていたように、
迷いや意図や思惑や思いやりや、そういう過程があって、
その結果として選択されて表現されたものなのだ。
はじめから唯一これしかない。という姿があったわけではなくて、
迷った末に選び取られた結果だけが、見える形で残っているのだ。
選ぶこと自体が大きな創造で、そこにこそその人らしさがある、
そんな目で周りを眺めたことがなかった私は、文字通り
目からうろこが落ちたように思った。とても興奮した。
ひょっとしたら音楽だって、美術だって、
そうか日常のことばのやりとりだって、
みんなそうやって表現されたものなのか。・・・ 」
はい。このまとめとして、生意気盛りの中学三年生の夏子さんが
感じたことを、現在の夏子さんが、改めて語ってしめくくります。
ここを今回は引用しておきたかったのでした。
「 この鮮やかな導入の手際を、私は忘れたことがない。
文章を読むときには、作者の意図を考えながら、とか、
行間の意味を探りながら、というような注意はごくあたりまえのものだ。
それを知らなかったわけではないが、
そう言われたからといって、なんの助けにもならなかった。
あの一瞬まで、私は、いわば観客席に座ってできあがった
映画をおとなしく見る幼児と同じであって、一方的な受容者だった。
まあ、受容する楽しみもあるのだが、それでは創造の世界に
ほんとうに迫ることはできない。でも、あの一瞬の転換で、
『 私の創造 』が『 他者の創造 』と重なった。 」
もちろん授業で大村はま先生の言葉に触れた中学三年生の夏子さんは、
その瞬間、言葉にならなかったはずです。夏子さんはどうしていたか。
「 私はそのあたりでもう先生の声を聞かなくなっていた。
ひとつの真実がすとーんと腹に収まった。
それを感じて私はじっと固まってしまったように思う。 」
( ~p52 「教えることの復権」ちくま新書・2003年 )