詩のアンソロジーを、読む楽しみ。
はい。わかりやすい詩が集まった、
そんな本3冊を本棚から出してくる。
茨木のり子著「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書・1979年)
石垣りん著「詩の中の風景 くらしの中によみがえる」(婦人之友社・1992年)
「教科書でおぼえた名詩」(文春ネスコ編・1997年)
茨木のり子と石垣りんの、お二人の著作の目次をめくっても、
丸山薫の詩は見あたりませんでした。丸山薫の詩はというと、
ちょっと引用しながら解説はしにくい詩なのかもしれません。
3冊目の文春ネスコ編の名詩は、こちらは解説なしで、すがすがしい。
中学・高校の教科書に載る詩を、現代詩・俳句・短歌・漢詩・翻訳詩
の順で並べてあります。
『序にかえて』の「学校遠望」は、教科書に未掲載の詩のようです。
編者はここに、丸山薫の詩「学校遠望」を置きたかったのだと思う。
はい。その詩『学校遠望』を引用するのですが、
ちょっと、ここでは回り道。
古本で「 四季終刊 丸山薫追悼号」(昭和50年5月20日)があり、
そこに篠田一士が文を寄せておりました。『一介のアンソロジスト』
と文の中でご自分のことを紹介されております。この文から引用。
「・・・この詩人(丸山薫)をはじめて知ったのは、
戦後まもない頃刊行されたばかりの『北国』とか『花の芯』
とかという詩集を読んでからだ・・・
これといった感銘を受けなかった。
いや、感銘がないといっては嘘になる。
こんなに平明な日本語を使いながら、どうして
ポエジーが生まれるのだろうという不思議な思いだけは、
いまも記憶の片隅にあざやかである。
この不思議さはぼくをいらだたせたけれども、
それが、また、あまりに気にさせないところが、
この詩人の平明さのもつ粋な魅力のはずだが・・・
といって・・・青くさい若者の心に、それがひびくはずはない。
それから何年か経って、『物象詩集』を知り・・・詩業の成果を
ゆっくり味わいながら、ぼくはひそかに脱帽した。・・・
丸山薫がつくりだした日本の新しい詩的言語の意味合いについて
・・・いま、ここに記しておきたいのは、
この詩人ほど晴々とした試作品を書きながら、
晴がましさといったものがほとんど感じられないことである。
晴々とした作品を書いて晴がましく思い、
また、読むものにも、そう思わせるのが常道だろう。
晴がましいこと、かならずしも悪いことではない。
むしろ、その姿勢を作品のもつ晴々した感触と
どう兼合せるかというのが詩人の芸の見せどころで、
・・そうした巧みが、いわゆる匠気とは逆に、あどけない
子供のmischievous(注:やんちゃ)な戯れのように
なっているのが独特の魅力でもある。・・・ 」(p194~195)
はい。最後には『教科書でおぼえた名詩』の
『序にかえて』に、掲げられている詩を引用。
学校遠望 丸山薫
学校をおえて 歩いてきた十幾年
首(こうべ)をめぐらせば学校は思い出のはるかに
小さくメダルの浮き彫りのようにかがやいている
そこに教室の棟々(むねむね)がかわらをつらねている
ポプリは風に裏返って揺れている
先生はなにごとかを話しておられ
若い顔たちがいちようにそれにきき入っている
とある窓べでだれかがよそ見して
あのときのぼくのようにぼんやりこちらをながめている
彼のひとみに ぼくのいるところは映らないのだろうか?
ああ ぼくからはこんなにはっきり見えるのに