和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

二つ無し、三つ無し。

2025-01-23 | 正法眼蔵
昨日は、主なき家での七回忌でした。
午前中、二階の窓も雨戸をあけ
(一ヶ所、戸袋に鳥の巣跡があり、雨戸が開かなかった)。
11時前に、お坊さん到着。曹洞宗なので、修證義のお経本。
般若心経と、修證義と、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈と、
皆で読経する。ちなみに、修證義は第一章總序のみ読経。
私は、修證義は法事の時だけ、声を出して読むのでした。
今回は、第一章のみだったので、あれ『 愛語 』が出てこない。
帰ってから、寝る前に、お経本の修證義の全文を読んでみました。

修證義は、長い正法眼蔵を、我々にも身近にと、
もっとも簡略にして示した短文ということは知っておりました。
うん。そこで修證義くらいは、全文を読んでみたかった。

それはそれとして、声を出して読んだ修證義の第一章でした。
その第一章の終りには、こうあります。

    まさに知るべし今生の我身
    二つ無し、三つ無し、
    いたづらに邪見に堕ちて虚しく悪業を感得せん、
    惜からざらめや、悪を作りながら悪に非ずと思い、
    悪の報あるべからずと邪思惟(じゃしゆい)するに依りて、
    悪の報を感得せざるには非(あら)ず。


うん。私は分かったようでいて、よくわからない。
とりあえず、解説書をひらいて、この箇所の現代語訳を読む。

「 今生の我が身は二つも三つも無いと、本当に自覚すべきである。
  因果が無いなどという邪見に堕ちて、
  悪業の報いを受けてしまうことは惜しくはないだろうか。
  それこそ惜しいことである。
  間違った考えを起こし、悪を行いながら悪だと思わない上に、
  悪の報いなんかあるはずがないなどと思ったとしても、
  悪の報いを受けないということではない。    」
   ( p38~39 丸山劫外著「『修證義』解説」佼成出版社・2016年 )


12時には、読経も終って、お坊さんが帰ったあとは、
家の戸締りをして、塔婆をお墓にもっていき、
古い塔婆を処分して、1時半頃にお昼をいっしょに食べました。
満腹になったせいか、帰宅してから、早めに寝につきました。
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