和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

行きに行き歩みに歩んで。

2020-04-30 | 詩歌
gooブログの、お仲間「きさらの詩」さん。
その2020年4月28日は「ナニワノイバラ」でした。

トトロトロトロ(笑)と片道40~50分の散歩が、
語られてます。そこの花の写真もありました。

今日。私に思い浮んだのは、またもや蕪村。
蕪村に「春風馬堤曲(しゅんぷうばていきょく)」
という不思議に色あせない詩があります。
漢詩と俳句とが魅力的な調合で結びついた詩。
そんな感じなのですが、ここでは、
中村草田男訳で引用してみます。
最初に、漢字の序文があります。
そこも、草田男訳で

 私はある日昔馴染の老人を訪ねるべく
 生地(くに)へ向かった。淀川を渡り毛馬堤に沿って進んだ。
 たまたま一人の女が同じく帰省(さとがえり)しようとするの
 に会った。先になり後になりかなりの距離(みちのり)同じ
 方向であったので互いに語りあうようになった。
 容姿(すがた)はいかにも美しくこぼれるような色気が
 見る人を惹きつけた。それが忘れ難くて一種の歌曲18首を
 作った。私が仮にその女の身の上になってみて、かくもあろうか
 と思われるその女の懐(おも)いを述べてみた。
 (次の作品がそれであって)名づけて春風馬堤曲と言う。

    春風馬堤曲 十八首

私は今日藪入りの一日をもらって、大阪(なにわ)を出て
長々と道を辿り、長柄川沿いに下って参りました。

吹くのは長閑(のどか)な春風。堤はどこまでも長く
目ざす生家はまだまだ遠いのです。

ふと思ひつき堤を下りて春草を摘もうとすると、
棘の木や茨の木が路を遮っている。
棘(とげ)や茨(いばら)のくせに何を妬くのか・・・・


こうして草田男の訳で、全文引用したいのですが、
ついつい長くなるので、あとは、芹と蒲公英とが
出てくる箇所をピックアップしてみます。

大川沿いの小流には頃あいの石が点々と散っている、
その石を足場にして今度はうまく青々とした芹を手に入れた。
 ・・・・・・

さあいよいよここへ参りました。草の生えそろった中に
路は三岐(みつまた)に分かれていて、その一つが近道で、
いらっしゃいと私を迎えていてくれるかのようです。

蒲公英が花をつけていて、あちらにいくつか、こちらにいくつか、
こちらのいくつかは黄に、あちらのいくつかは白いというように、
そうです。ハッキリ覚えています。いつかもこんな時
この路を通ったのでした。

そうと気づけば急に懐しく、手早に折り取れば蒲公英の茎は
短く切れて、そこから真っ白な乳が溢れ出て参りました。


あとは、最後を原文で引用しておわります。

故郷春深し行々(ゆきゆき)て又行々(ゆくゆく)
楊柳長堤道漸くくだれり

矯首はじめて見る故園の家黄昏
戸に倚る白髪の人弟を抱き我を待春又春

君不見古人太祇が句
 藪入の寝るやひとりの親の側(そば)


はい。途中をカットした春風馬堤曲の引用は
ここまで(笑)。

今日から天気予報では暑くなりそう。
それなら蕪村の夏の句も引用します。


 行々(ゆきゆき)てここに行々(ゆきゆく)夏野かな

注】行々てーーー文選・古詩に『行々重行々、与君生別離』。
また朗詠集にこれを引用した源順の
『行々重行々、明月峡之暁色不尽』がある。

注が先になりましたが、この句の中村草田男訳は

「太陽が真上から直射し、草が眼もくらまんばかりに
照り返している夏野、行きに行き歩みに歩んで、自分の体は
今ここのこの場所まで来ている。これから先も依然として、
こういう中を行きに行き歩みに歩んでゆくばかりである。」

はい。勝手に私がフォローさせて頂いているgooブログの方は、
そういえば、表題からみても、どうも歩いて行く方が多いなあ。
ということでブログの表題の断片を引用、

京都散歩・京めぐり・散歩・三歩・フィールドノート・お出かけ日記
河童の散歩・曲がり角の向うに・山歩き・お散歩日記。
(ほかに表題とは関係なくても、お出かけしているブログが多い)。
ブログの表題を見ても何やら、うれしいことに、
「行きに行き 歩みに歩んで ゆくばかり」の健脚ぞろい。








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