古本だと、思いもかけない本と出会えます。
清水千鶴著「日々訥々(ひびとつとつ)」風媒社・2014年。
帯には「90歳の第一歌集」と小さくありました。
清水千鶴(しみず ちづる)
大正13年1月18日京都市生まれ。
旧制女学校時代、石川啄木の歌に触れ短歌を詠みはじめ、今日に至る。
一切の同人、社中に与せず、無所属を貫く。京都市在住。
本の最後の著者紹介には、簡単にこうありました。気になり
「揺れて歩く ある夫婦の166日」エディション・エフ・2020年。
という本を、これも古本で買ってみる。
こちらは、写真集と文とが入り混じった一冊。
息子さんが、両親を撮った写真と文との一冊。
こちらからも引用。
「 母、清水千鶴は歌人だ。・・・ただ一人で歌を詠み続けてきた。
・・・89歳の誕生日を目前にした2012年の秋、
母は突然歌集をつくりたいと言い出した。・・・
母の思いを確かめた。母はこう言った。
『 14歳から詠みはじめて来年で75年になるのえ。
そろそろ人様の目に触れても恥ずかしくない
歌もいくらか残せてますやろ。これはと思う
歌を選んでお父ちゃんにも見せたげたいし 』
・・・その痕跡が残されていた。
一日に少なくとも数十の歌を詠み大学ノートに記していく。
その日の終わりにその日いちばんの歌を一首選び別のノート
に写し取る。そうやって一日一首を75年つくり続けてきたのだ。
『 そら難しかったわねえ。駄作の山からマシなんをひとつ
選ぶのは。けど、よう続けてこられました。 』
母は大学ノートの山を前に笑った。・・・・
『 日々訥々とうめき続けた結果やねえ 』
とまた笑った。
それで母の第一歌集の標題は『日々訥々』に決まった。
・・・それらの歌の多くは身近な日常を詠んだものだった。
どれも捨て難かったが、丸一年をかけて366首にまで絞り込んだ。
・・・2014年3月28日に上梓された。満90歳・・・・ 」
( p17~19 )
うん。私には選びようもないのですが、京都在住ということなので、
京都に関係するような歌なら、こりゃ選びやすそうです。
ということで、それを紹介することに。
花売りのリヤカーに溢るる菊の花町の地蔵に赤きを選ぶ p199
路地を出づれば大の火の文字見えしまちマンション立ちて空の狭まる
p246
父母の御霊を送る五山の火招くがごとく闇に吸わるる p249
機を織り日々を糊せし一角のさびれて京の良きまちくずるる p270
六条河原しぐるる昼を托鉢の僧の呼び声尾を引きてくる p312
大原へ一里を示す標石を芯に燃えをり野の彼岸花 p330
はい。これくらいにします。
ことばをさぐりさぐり、日々の思いを静かな声で歌われているのですね。
短歌を通してご自分と向き合われた75年の結晶から、366首に絞るには、
どれも捨てがたかったことでしょう。想像します。
ことばの運びがゆったりとして、好きですね。
訥弁は雄弁にすぐる?
無所属で「日々訥々とうめき続けた」短歌人生に敬服します。
コメントありがとうございます。
一度目は、古本ではじめて読んだ時。
二度目は、ブログ紹介し喜ばれた時。
はい。本を読む楽しみがふえました。
私は結社に属していますが、結社には疑問を感じています。というのが、選者先生の歌がかならず一番うまいとかいうことは決してなく、むしろ、こうして淡々と自然に詠われた歌の中に秀作はあると思うからです。
この方は、一人で続けてこられただけでも偉いと思います。
本当の歌人というのは、こういう人のことを言うのでしょうね。
コメントありがとうございます。
うん。何だか、中途半端に終わりました。
今日のブログもこの本の紹介を続けます。