和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

プロの読み手。

2024-01-30 | 前書・後書。
安岡章太郎著「犬をえらばば」(講談社文芸文庫・2013年4月10日)。
注文してあったこの文庫が、今日届く。

この文庫の最後は年譜でした。その年譜の最後。
『 2013年(平成25年)1月26日、老衰により逝去。享年92。 』

さてっと、この文庫解説は小高賢です。
うん。その解説を引用したいのですが、ここは回り道。

藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社・2011年)
から引用。

「説得力のある文章を書くためには、
 誰に向けて書くのか、つまり読み手の想定が大切です。
 読み手が複数いる場合は、全員ではなく特定の一人に絞ること。

 できるだけ具体的に読み手の顔を思い浮かべたほうが、
 当たり障りのない内容から一歩踏み込んだ表現ができて、
 文章の説得力も高まります。  」(p29)

この次のページに、編集者が登場しておりました。

「プロの書き手は、その点で恵まれているのかもしれません。
 読者の前にまず編集者というプロの読み手がいるので、
 原稿用紙に向かえば否応なしにその顔が思い浮かびます。
 まず編集者を納得させることができるかどうかが第一関門になるわけです。」
                        (p30)


はい。それでは、講談社文芸文庫の小高賢氏の解説。
まずは、その最後から引用。

「 編集者として私が、お宅へ伺いだしたのは、
  安岡が60歳すぎてからである。
 『第三の新人』の仲間が、それぞれ病気がちになってきた頃である。
 『だんだんおもしろいことがなくなって、結局、原稿に向かっているのだ』
  と、ときおりつぶやいていた。友人との時間がなくなってきたことへの
  寂しさがあったのかもしれない。

  多くの友人の弔辞を読み、見送った安岡章太郎は
  2013年1月26日午前2時35分、家族に囲まれて自宅で亡くなった。
  ・・・・     」(p233)

 あとになりましたが、この小高賢氏の解説のはじまりを、
 最後に引用しておくことに。

「 本書(「犬をえらばば」)の刊行は、
  1969(昭和44)年1月。ちょうど、東大の入試が中止となった年である。

  自筆年譜には、その前後、小説があまり書けなかったとある。
  そのかわり、数多くのエッセイが執筆され、また、
  『志賀直哉私論』などの作家論の他に、文芸時評、評論、
  さらには対談・旅行記・紀行・ルポ・時評・翻訳など、
  他ジャンルへ旺盛な越境がはじまっている。・・・

  いわゆる『第三の新人』のなかで、安岡ほど
  小説だけでなく、幅広くいろいろな領域に
  積極的に立ち向かった作家はいない。・・・・

  ・・・後年の作品の厚みは、こういうプロセスを経て
  次第に獲得され、深められたものであろう。
  いいかえると、ものを見る幅と重層性が生まれ、
  
 『流離譚』『大世紀末サーカス』『果てもない道中記』『鏡川』
  につながった。またみずからの足跡を繰り返し訪ね、掘り下げる作業が、
 『自叙伝旅行』から『僕の昭和史』となって結実する。・・・・・・

 『 一見みおとしやすい日常的な卑近な現象から、
   ものごとの本質に迫ってゆくところに、安岡の
   軽妙な認識力があることだけはうたがいがない 』(平野謙)・・

  小島信夫に『 そのうち彼は急速に大人になった。
         それは旅行記やエッセイという「方法」でである。 』
  という鋭い観察がある。小島のように、
  この時期の多方面への跳躍が、後年の仕事につながった
  と考えるほうが自然だろう。・・・ 」(p220~p224)

はい。『編集者というプロの読み手』が書く解説というのが
これなんだなあと、そんなことを思いながら解説だけ読みました。
 

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