和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

京都修学旅行と、京都参り。

2019-05-02 | 前書・後書。
竹山道雄著「京都の一級品」(新潮社・昭和40年)は、
芸術新潮に連載されたようです。


振り返って、私の京都二日目は、
伏見稲荷へ、出かけたのでした。
ここは、外国人観光客のラッシュアワー、
といった感じで、登り口までいって、
そうそうに退散。それで、駅がちかくの東福寺へ。
こちらは、紅葉の名所とかで、今は、
ありがたいことに、人がまばらです。
ゆっくりとして、見てまわれました(笑)。


竹山道雄氏の本は、修学旅行の話からはじまります。

「京都や奈良にシーズンに行くと、
観光バスがあとからあとからひきもきらず、
高校生ぐらいの人々が
潮のごとくあふれでる。そして、また
潮のごとく去ってしまう。
 
しかし、その人々はただ名所に来て
あれこれに目を奪われるだけで、・・・・
自分の心に感ずるということもないようだ。・・
どこで何をどう見るかという指針をあたえるものはない。
研究的な専門書はむずかしく、煩雑な考証が多くて、
特別な人でなければ読んでも役にはたたない。

これはじつに惜しいことだ
と私はよく思った。」


はい。こうして竹山道雄氏の本ははじまるのでした。
うん。私の高校の修学旅行も、京都でした。それは、
それは「じつに惜しい」京都修学旅行をしたものでした。
と、今になって思い至る。そんな京都参りとなりました。

いまなら、高校生の僕とともに、あれこれ、
つきあいながら、京都をめぐれるのに(笑)。


けれども、高校生の僕は、聞く耳を持つだろうか?
今の僕なら、惜しい京都を読んでいけるだろうに。
ということで、京都をもうすこし書いていきます。



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