竹山道雄著「京都の一級品」(新潮社・昭和40年)は、
芸術新潮に連載されたようです。
振り返って、私の京都二日目は、
伏見稲荷へ、出かけたのでした。
ここは、外国人観光客のラッシュアワー、
といった感じで、登り口までいって、
そうそうに退散。それで、駅がちかくの東福寺へ。
こちらは、紅葉の名所とかで、今は、
ありがたいことに、人がまばらです。
ゆっくりとして、見てまわれました(笑)。
竹山道雄氏の本は、修学旅行の話からはじまります。
「京都や奈良にシーズンに行くと、
観光バスがあとからあとからひきもきらず、
高校生ぐらいの人々が
潮のごとくあふれでる。そして、また
潮のごとく去ってしまう。
しかし、その人々はただ名所に来て
あれこれに目を奪われるだけで、・・・・
自分の心に感ずるということもないようだ。・・
どこで何をどう見るかという指針をあたえるものはない。
研究的な専門書はむずかしく、煩雑な考証が多くて、
特別な人でなければ読んでも役にはたたない。
これはじつに惜しいことだ
と私はよく思った。」
はい。こうして竹山道雄氏の本ははじまるのでした。
うん。私の高校の修学旅行も、京都でした。それは、
それは「じつに惜しい」京都修学旅行をしたものでした。
と、今になって思い至る。そんな京都参りとなりました。
いまなら、高校生の僕とともに、あれこれ、
つきあいながら、京都をめぐれるのに(笑)。
けれども、高校生の僕は、聞く耳を持つだろうか?
今の僕なら、惜しい京都を読んでいけるだろうに。
ということで、京都をもうすこし書いていきます。
芸術新潮に連載されたようです。
振り返って、私の京都二日目は、
伏見稲荷へ、出かけたのでした。
ここは、外国人観光客のラッシュアワー、
といった感じで、登り口までいって、
そうそうに退散。それで、駅がちかくの東福寺へ。
こちらは、紅葉の名所とかで、今は、
ありがたいことに、人がまばらです。
ゆっくりとして、見てまわれました(笑)。
竹山道雄氏の本は、修学旅行の話からはじまります。
「京都や奈良にシーズンに行くと、
観光バスがあとからあとからひきもきらず、
高校生ぐらいの人々が
潮のごとくあふれでる。そして、また
潮のごとく去ってしまう。
しかし、その人々はただ名所に来て
あれこれに目を奪われるだけで、・・・・
自分の心に感ずるということもないようだ。・・
どこで何をどう見るかという指針をあたえるものはない。
研究的な専門書はむずかしく、煩雑な考証が多くて、
特別な人でなければ読んでも役にはたたない。
これはじつに惜しいことだ
と私はよく思った。」
はい。こうして竹山道雄氏の本ははじまるのでした。
うん。私の高校の修学旅行も、京都でした。それは、
それは「じつに惜しい」京都修学旅行をしたものでした。
と、今になって思い至る。そんな京都参りとなりました。
いまなら、高校生の僕とともに、あれこれ、
つきあいながら、京都をめぐれるのに(笑)。
けれども、高校生の僕は、聞く耳を持つだろうか?
今の僕なら、惜しい京都を読んでいけるだろうに。
ということで、京都をもうすこし書いていきます。
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