松田道雄著「明治大正京都追憶」(岩波同時代ライブラリー)が
古本で送料共400円でした。帯付きできれいな一冊(笑)。
さてっと、この本は
松田道雄著「花洛」(岩波新書)の改題とあります。
カバーの折り返しには、こう書かれておりました。
「生後六カ月で茨城から移り住んだ少年の
目に焼きついた古都の風俗、その幼い日の
記憶をもとに日出新聞などの文献を博捜して、
生き生きと再現された明治から大正に移ろうとする
・・・・京都の庶民生活。」
はい。昨日届き。京都へお上りさんをした者には
とても面白く、一日読んでおりました。
この本は、「梅棹忠夫の京都案内」に
書評があり、その本で知りました。
その書評から松田道雄氏の本を2冊注文して、
その一冊が昨日届いたというわけです。
あとは、連休明けでしょうね(笑)。
まず、梅棹忠夫の書評から、はじめないと。
「松田道雄さんは、わたしのもっとも
尊敬する先輩のひとりである。」
松田道雄著「京の町かどから」の書評なのですが、
ついでのように、こうありました。
「松田さんには、少年時代からの京都での
おもいでをかたった『花洛(からく)』という
すてきにおもしろい本がある。
あわせてよまれることを、おすすめしたい。
京都の市民生活を理解するのに、
おおいに役だつであろう。」(p163)
はい。昨日は読んで、おおいに役だちました(笑)。
内容豊富守備範囲がひろく、迷うのですが、
今回は、仏壇について語られた箇所を引用。
「父も母も茨城県におとなになるまでいた」(p3)
その両親が京都へ来て、小児科医を開くのでした。
では、仏壇・神棚が語られる箇所。
「うちには神棚も仏壇もなかった。
父も母も両親がそろっていたから、
先祖の位牌は東国の実家にあった。
父が神仏を信じなかったのは、
医者によくある素朴な唯物論のためか、
小さいとき身につけた儒教の
『鬼神を敬して遠ざく』からきていたのか、
わからない。・・・・・
うちに何度もあそびに来て、
どの部屋の様子もわかった長やんは、
『あんたとこ、お仏ったんあらへん。
けったいな家やなあ』といった。
毎朝、神棚と仏壇に両親ともに
礼拝していた長やんから見ると。
私の家はけったいに見えたろう。
国では年回(ねんかい)もやっていたろうが、
そのたびに京都まで知らせてこなかった。
だから私は法事を見たこともなく、
御詠歌も聞いたことがなかった。」(p146~147)
もう少し続けます。
「京都の人たちにとって、
お祭りは氏子のつとめであるだけでなく、
親類とのきずなをかためるしきたりでもあった。
・・・・・
お祭りや法事だけを
公式のつきあいの日ときめておくことは、
家の経済を計画的にはこぶには、必要なことであった。
親類が来れば、時と日を問わず
手づくりの料理でせいいっぱいもてなす
東国の農村の無計画とは異質のものだった。
私の家は東国風であった。
京都に博覧会があったりすると、
思わぬ親類がやってきた。
受験のシーズンには、どこかの
親類の青年がうちにきて泊まって試験をうけた。」
(p148)
はい。岩波文庫に「銀の匙」というのがあるでしょ。
本文全体はああいう感じなのでしょうが、
それを、文学的ではなくって、
梅棹忠夫風の書き方で、豊かな内容がすっきりとまとめられた。
といえば、すこしは本文の味わいを分ってもらえるでしょうか?
お上りさんの私の京都旅行で、
思わぬお土産が届いたような、
そんな味な一冊を読みました。
さて、いつくるのか、もう一冊の、
松田道雄著「京の町かどから」が、
届くのを待つことのたのしみ(笑)。
古本で送料共400円でした。帯付きできれいな一冊(笑)。
さてっと、この本は
松田道雄著「花洛」(岩波新書)の改題とあります。
カバーの折り返しには、こう書かれておりました。
「生後六カ月で茨城から移り住んだ少年の
目に焼きついた古都の風俗、その幼い日の
記憶をもとに日出新聞などの文献を博捜して、
生き生きと再現された明治から大正に移ろうとする
・・・・京都の庶民生活。」
はい。昨日届き。京都へお上りさんをした者には
とても面白く、一日読んでおりました。
この本は、「梅棹忠夫の京都案内」に
書評があり、その本で知りました。
その書評から松田道雄氏の本を2冊注文して、
その一冊が昨日届いたというわけです。
あとは、連休明けでしょうね(笑)。
まず、梅棹忠夫の書評から、はじめないと。
「松田道雄さんは、わたしのもっとも
尊敬する先輩のひとりである。」
松田道雄著「京の町かどから」の書評なのですが、
ついでのように、こうありました。
「松田さんには、少年時代からの京都での
おもいでをかたった『花洛(からく)』という
すてきにおもしろい本がある。
あわせてよまれることを、おすすめしたい。
京都の市民生活を理解するのに、
おおいに役だつであろう。」(p163)
はい。昨日は読んで、おおいに役だちました(笑)。
内容豊富守備範囲がひろく、迷うのですが、
今回は、仏壇について語られた箇所を引用。
「父も母も茨城県におとなになるまでいた」(p3)
その両親が京都へ来て、小児科医を開くのでした。
では、仏壇・神棚が語られる箇所。
「うちには神棚も仏壇もなかった。
父も母も両親がそろっていたから、
先祖の位牌は東国の実家にあった。
父が神仏を信じなかったのは、
医者によくある素朴な唯物論のためか、
小さいとき身につけた儒教の
『鬼神を敬して遠ざく』からきていたのか、
わからない。・・・・・
うちに何度もあそびに来て、
どの部屋の様子もわかった長やんは、
『あんたとこ、お仏ったんあらへん。
けったいな家やなあ』といった。
毎朝、神棚と仏壇に両親ともに
礼拝していた長やんから見ると。
私の家はけったいに見えたろう。
国では年回(ねんかい)もやっていたろうが、
そのたびに京都まで知らせてこなかった。
だから私は法事を見たこともなく、
御詠歌も聞いたことがなかった。」(p146~147)
もう少し続けます。
「京都の人たちにとって、
お祭りは氏子のつとめであるだけでなく、
親類とのきずなをかためるしきたりでもあった。
・・・・・
お祭りや法事だけを
公式のつきあいの日ときめておくことは、
家の経済を計画的にはこぶには、必要なことであった。
親類が来れば、時と日を問わず
手づくりの料理でせいいっぱいもてなす
東国の農村の無計画とは異質のものだった。
私の家は東国風であった。
京都に博覧会があったりすると、
思わぬ親類がやってきた。
受験のシーズンには、どこかの
親類の青年がうちにきて泊まって試験をうけた。」
(p148)
はい。岩波文庫に「銀の匙」というのがあるでしょ。
本文全体はああいう感じなのでしょうが、
それを、文学的ではなくって、
梅棹忠夫風の書き方で、豊かな内容がすっきりとまとめられた。
といえば、すこしは本文の味わいを分ってもらえるでしょうか?
お上りさんの私の京都旅行で、
思わぬお土産が届いたような、
そんな味な一冊を読みました。
さて、いつくるのか、もう一冊の、
松田道雄著「京の町かどから」が、
届くのを待つことのたのしみ(笑)。
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