うん。唱歌の賛同者をさがしたくなります。
ということで、金田一春彦著「童謡・唱歌の世界」(TOMO選書・昭和53年)
を古本で買ってみる。
パラリとめくれば、こんな箇所
「 私はもともと唱歌にはそれほど価値を認めず、
いわゆる童謡の類を高く買っていた。
今度も実は童謡集を出したかったのであるが、
出版元で唱歌の方を是非先にと言うので
多少疑いながら手がけてみたものだった。・・ 」(p52)
こうして
「 安西愛子さんと共編で講談社から出した
『日本の唱歌(上)明治篇』という文庫本は・・・
唱歌を163曲ばかりすぐって、歌詞と解説を載せたものだが、
その反響の大きいのに驚いた。毎日のように葉書が束になって
郵送されるのである。 」(p51)
はい。このあとに、反響の一端を紹介する金田一さんでありました。
「 それも、たとえばフランス文学の河盛好蔵氏は、奥様とどっちが多く
知っているか競争して歌いあい、半日楽しまれた、と言われる。
医学博士の緒方富雄氏は、喜寿の誕生日に子や孫たちの前で
奥様と合唱され、アンコールにこたえてまた歌われたと、
これまた楽しそうな様子を披露される。
みずから回顧院過去反芻居士と号される渋沢秀雄氏に至っては、
便箋四枚を使って一つ一つの歌についての感慨をぎっしり綴られ、
それでもまだお書きになりたいことがある趣であった。 」(p51)
こうして、金田一さんは『改めて唱歌のもつ威力に舌を巻いた』のでした。
そのあと、『が、考えてみれば・・』と考察をしはじめるのでした。
うん。だれだって唱歌をはじめにもってくるのは、
きっと何かのきっかけとかが必要なのでしょうね。
そうして、考察がはじまる。金田一さんは、こう考えていました。
「またその頃の唱歌は、子どもの時に学校で教わる歌であっても、
おとなが歌っておかしくないものばかりであった。
これは子どももいずれおとなになるからという考えから発した
やり方であったが、思えば、当時の教育は、子どもをむやみに甘やかさず、
なかなかしっかりしていた。
近頃の歌で、『泳げ、鯛焼き君』ぐらいは年をとっても歌えるだろうが、
『山口さんちのツトム君』などはきまり悪くて歌えそうもない。
また、当時の唱歌は何といっても真面目な態度で作ってあり、
これは今歌詞を読んでみても気持ちがよい。 」(p52)
このあとに、金田一さんは考えをつけくわえます。
『 私もここで考えを改めなければいけないようだ。 』
こうして、童謡のほうがいいと思っていた金田一さんでしたが、
ここで、あれこれと考察をはじめられておりました。
「・・どこがいいのか。何よりそれは真面目であるということだ。
ラジオを聞いても、テレビを見ても、この頃ふざけ半分の音楽に接する
ことが多い。奇声をあげたり、リズムをこわしたり、音階をはずしたり、
それはやはり計算の上でやっているのだろうけれども、
ふざけて破目をはずしたりが目的でやっているとしか見えないものもある。
そこへ行くと唱歌は真面目である。題材から言っても、形式から言っても、
私はそこに襟を正したくなる気持ちを禁じえない。
私は唱歌に明治以来の日本人の一生懸命さを見る。・・・・ 」(p49)
うん。金田一さんの唱歌への反響による手応えからの考察を楽しめます。
唱歌好きの輪が、読むたびに広がるようで
ここはひとつ、講談社文庫の「日本の唱歌」を注文することに。
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