和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

紅茶をのんで。

2007-02-25 | 詩歌
杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)の表紙の帯に写真がプリントされておりました。そこには五人の男が並んで写っております。ビルの屋上でした。
五人は、井上靖・安西冬衛・小野十三郎・竹中郁・杉山平一。

ところで、井上靖といえば、谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文藝春秋)に取りあげられた、こんな箇所があります。

「・・第一詩集『北国』(新潮文庫)の『あとがき』に『私はこんど改めてノートを読み返してみて、これらの文章を書かなかったら、とうにこれらの詩は、私の手許から飛び去って行方も知らなくなっていたに違いない』と書き記した剛毅な謙辞を、『自選井上靖詩集』(旺文社文庫)の『解説』で大岡信は『近代日本の詩の歴史における難題のひとつに対する果断な一解答』と評価する。・・」

この次のページに谷沢さんは自作自注として、杉山平一の詩「旗」を引用しております。
その散文詩を引用したあとに、谷沢さんはこう書いております。
「四季派の抒情詩人たちは、人生の入口に立った時、ためらうことなく、自分の境遇を率直に受け入れ、職業に就く気構えがあったように思われる。彼等は必ずしも詩壇に色目をつかわず、市民生活の実直な世間人として生きた。・・・」


こうして、せっかく杉山平一が登場しているので、ここで彼の詩を二篇引用してみたいと思うのでした。

  単純について ――父に

 青い切手が
 手紙をとおく運ぶように
 小さな切符が
 私をはるかに運んで行きます

 切符には 
 あなたの言葉が
 刻印されています

 シンプル イズ ベスト
 単純は 最善だ と

 たとえ 乗り継ぎ
 乗り換えがあったとしても

 この切符を握りしめて
 私は行き 行き
 どこまでも行くでしょう



もう一篇は、短い詩です。


  辞書

 辞書の中に迷いこんで
 行きつけないで
 よその家へ上りこんで
 紅茶をのんで帰ってきた


二篇の詩で、私に面白いと思うのは。
「どこまでも行くでしょう」と
「行きつけないで」とでした。

そういう、動詞の楽しみが杉山平一の詩には、あるようです。
ちなみに、昨年の2006年11月。思潮社の現代詩文庫に「杉山平一詩集」が入りました。
その前の、1997年に全詩集上下が、編集工房ノアから出版されており、
その全詩集のあとがきを、杉山平一氏は、このように書いており印象深いのでした。

「・・・伊東静雄さんが、杉山は別の山にのぼってバンザイしているといわれた通り、自分は一周二周おくれではなく皆と別の場所を走っていたらしいという気がしてきた。
昔『ミラボー橋』を出したとき、鶴見俊輔さんからこれらを支えている思想は私などの思想とはちがうものです。しかし独自の場所を占めていることをみとめます。といわれたのをいまあらためて思い出す。・・・
篠田一士さんは、よく私をかげで評価してくださったが、晩年、そろそろ、全詩業をまとめては如何ですかと便りを下さった。詩集ではなく『詩業』といわれたのが強く印象に残っている。・・・」

どうでしょう。
「よその家に上りこんで
 紅茶をのんで帰ってきた」というような気分で
味わってみる詩が、ここには、あります。

ところで、杉山平一著「戦後関西詩壇回想」には、
伊東静雄を語ってこんな箇所があります。

「一番怖いのは伊東静雄だった。
『へっぽこでも、小説は五年十年書き続けていると、うまくなるものですね。しかし詩は、十年、十五年書きつづけても、ダメなものはダメですね』と人の眼をのぞきこむようにしていわれると、ギクリとする。・・・
私が散文詩風の『ミラボー橋』(1952)を送ったとき、もう入院しておられたが、見舞に行った友人にきくと大変いいといって下さったらしい。が、そのほめ方にドキッとした。二流の山のてっぺんにあがって、バンザイしていると。・・・」


山といえば思い浮ぶのですが、
この本の表紙帯に写っていた五人は、杉山さんの隣が、竹中郁でした。
郁さんには、「遠足」と題した詩があります。副題に「杉山静太先生に」とあります。
その詩のはじまりはというと、

  先生 杉山先生
  山はまだですか
  ぼく こんなにたくさん摘みました
  先生 あれ 鶯でしょう

  そのとき杉山先生は
  洋服の上衣を手にもって
  道草しないでさっさと行きなさい
  山はもうすぐそこです 疲れたんですかと
  ステッキの先でさされました

  ・・・・・・・・

そうして詩「遠足」の最後はというと、こう終わっておりました。

  ・・・・・
  先生 杉山先生
  空の遠くを指してください
  ぼくはそこまで歩くでしょう


もう少し続けさせてもらいます。
思潮社の現代詩文庫には「竹中郁詩集」も入っております。
ですが、そこには詩「遠足」は省かれております。
しかし、その文庫には解説で、西脇順三郎の「竹中郁 詩人の肖像」と題する文が掲載されておりました。西脇さんは、その文の最後に

  先生 杉山先生!
  山はまだですか

と、詩の2行を引用して終わっておりました。ちなみに、
詩「遠足」を読みたければ、理論社の「竹中郁少年詩集 子ども闘牛士」に入っております。


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