和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

こんな一日あったらいいな。

2022-10-15 | 地域
10月12日(水曜日)に午前中半日の公民館の講座がありました。

はい。及ばずながら私が講師。
半年前に依頼があって、ほぼ私の自由課題を、
当日、公民館推進委員の方のお手伝いで終了。
はい。楽しかった。

20年ほどまえに、ある絵本作家の講演がありました。
その題が「こんな一日あったらいいな」というのです。
てっきり、絵本の題名かなあと思っていたら、
はじめてひらく絵本作家さんの講演の一日を、
そのまま、題名にしたのだということでした。

私も、そんな思いで半日を過ごせました。
何よりも、ゆっくりと時間をかけて、
ちょうど、ここでの更新したブログを
あらためて、つなぎ合わせるような準備時間を
楽しくすごせました。

ということで、お久しぶりに、またブログの更新。
とりだした古本は200円。ちくま学芸文庫
苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」。
小さく副題が「遺された60のことば」とあります。

うん。大村はまさんとは何者なのかも知らないけれど、
なんだか、気になっておりました。その入門書らしい。

大村はまさんは、元国語教師で、
この本の著者は、そこの元生徒。
はじまりから引用しておきます。

「大村はまは、ことばの人であった。
 ことばを愛し、ことばを育て、
 ことばに対して誠実だった。・・・・・

 そうだ、もう先生と話ができない・・・

 一周忌を前にした頃、この小さな本を作ることが決まって、
 大村はまの著作の大半を読み返し、胸に響くことばを
 一つ一つパソコンに打ち込んでいったら、
 二カ月くらいのあいだに千五百を超えた。

 最初の百のことばが並んだあたりで、はっきりとわかったことがあった。
 人柄も、思想も、確かに、ことばになって残ったのだ。
 それぞれの、さまざまな表情をもつことばが緊密に並べば・・・
 ある意味で、もう一度、この世に大村はまという人を
 存在させることができるにちがいない。

 はりきって、まるで単元学習に取り組むようにして仕事を進めた。
 気がついたら、悲しみはすっかり薄らいでいた。  」(~p13)

コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おまえさん おまえさん | トップ | 気分に風穴。息抜きに図録集。 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おかえりなさい (のり)
2022-10-15 11:36:43
楽しくも充実した日々を送られていらしたのですね。
良かったです。 猛暑で体調を崩されたのかと案じておりました。
返信する
お久しぶり (和田浦海岸)
2022-10-15 11:44:07
こんにちは。のりさん。
コメントありがとうございます。

ご心配をおかけしました。
いたって健康に過ごしておりました。

また、のりさんのブログ読ませていただきます。
返信する
この日を (kei)
2022-10-15 23:02:48
こんばんは。

創作かな?
詩作かな、思索かな??
提出期限もあることでしょうし
お邪魔しては悪いなと思いながら、
首を長くしてお待ちしておりました。
返信する
おはようございます。 (和田浦海岸)
2022-10-16 08:56:35
おはようございます。keiさん。
すっかりごぶさたいたしました。

戦後昭和22年に義務教育の中学校が
新設されました。各小学校単位にでき、
その中学校が昭和40年頃に統廃合がおこります。

私が知りたかったのは、
昭和26年頃に出来た、中学校の校歌でした。
昭和40年に統廃合が決まり歌われなくなります。

さいわいに、歌詞があった。
その時期に卒業した中学生の同窓会で
中学校歌が歌われていた。
楽譜がなかったので、卒業生に歌ってもらい、
それを楽譜におこしてもらって解決。

つぎに、伴奏付きで、同窓生に歌っていただく、
さいわい、お願いにいったら、二つ返事でOK。

それからは、とんとん拍子。
一世代が30年ならば、歌われた旧中学校歌は
一世代にも満たないで消えてしまっておりました。

町史にも記録が残っておらず、
「・・校歌と応援歌」という地域の歌をまとめた
本にも記載漏れの校歌でした。

何よりも私が聴きたかった。
それも伴奏付きならベスト。
一日練習会を開くと17名ほどが
参加してくださり、ありがたかった。

うん。それやこれや楽しい会となりました。
私は司会進行とナレーションといった役割。
返信する
大村はま先生 (阿智胡地亭辛好)
2022-10-16 12:09:22
懐かしい人名に出会いました。大村はま先生が東京の女子師範を卒業されて初めて赴任されたのは信州の諏訪二葉女学校でした。亡母はそこで大村先生の初めての教え子の一人になりました。27年前に神戸で亡くなった母は生涯大村先生を慕っていました。先生は新入教師としてなかなか厳しかったようですが先生のおかげで文章に親しんでこられたと話していました。
https://blog.goo.ne.jp/achikochitei/e/3b0a353c17ef334175fe6c7b280dd4ae
返信する
ブログのご縁。 (和田浦海岸)
2022-10-16 14:21:30
こんにちは。阿智胡地亭辛好さん。
思いもかけないコメントをいただき、
ありがとうございます。

ブログの醍醐味ここにあり。ですね。
この文庫。ていねいに読んでみます。
コメントをありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

地域」カテゴリの最新記事