週間天気予報では、今日は雨ということで、
物置の屋根の修理は、今日は無理かなと思っておりましたが、
一日晴れており、無事に修理が完了しました。
はい。一目見て、これは素人が修理したなとわかる、そんな程度です。
ですが、昨年から気になっておりましたので、終ってホッとしてます。
さあ、いつでも梅雨になあれ。
本棚から取り出してきたのは、
鶴見太郎著「座談の思想」(新潮選書・2013年)。
新聞書評の切り抜きが、はさんであるので、新刊で買ったのだと思います。
ここでは、その新聞の切り抜きから書評の中の箇所を引用。
読売新聞2014年1月5日。書評者は若松英輔氏。
その書評文の一部を引用して、今日は終りにします。
「作者は、明治期の思想家に『座談』の源流を探りながら、
柳田國男、石田英一郎、桑原武夫、中野重治、菊池寛・・など
永年にわたって研究してきた人々が語る言葉に寄り添い、
真実は、書き記され得ない所にあることを明らかにしようとする。
『鍵となる言葉はむしろ著作でなく、座談の中に隠されている
ことすら』少なくない、と言い。
書かれた記録にだけ根拠を置く歴史観に疑問を投げかける。
また、書くのは主に理性の働きだが、座談には感情が生々しく現れる。
感情の働きを見過ごした歴史は、剥製のような作りものになることを
指摘する。
座談で何が語られるかは誰も分からない。
座談はいつも偶発的であり、創造的でもある。
座談に臨む者は、他者の発言に促されて、
自分でも驚くようなことを口にすることもある。
さらに、本書では座談が真に実現するには
『誠実』が必須であることが繰り返しを恐れることなく論じられる。
現代は、誠実が見失われた時代であり、
誠実を実現しようとする道程に混迷を切り拓く
鍵が潜んでいることが語られる。・・・」
はい。私はこの書評でもう満腹感。
あえて本をひらくことはしません(笑)。
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