和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

はい。『新書の世代』

2021-06-01 | 本棚並べ
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」
(トランスビュー・2004年)を読み直してる。

ひょっとしたら、私が育った時代というのは、
これは『新書の時代』だったのかもしれない。
それを、おぼろげながら、気づかせてくれる。

「出版という衰退産業のなかで、
編集者はいかにあるべきなのだろう。きわめて難しい問いである。
そこに居直るべきなのか、それとも活路があるのか、判断に迷う。

書店をおとずれる多くは年齢の高い人々である。聞くところでは、
新書などの平均読者年齢は50歳をこえているという。
いまの学生には新書はむずかしいというのだ。・・・」(p40)

はい。本のはじめの方にこうあった。この本の出版が2004年。
ということは、そのころ50歳ならば、今頃は60歳代後半です。

うん。うれしいことに、新書の隆盛期に私は育っておりました。
ということで、この本の新書にまつわる箇所を引用してみます。

「新書はできたらロングセラーになってほしい。
 ながく読みつがれることが第一目標である。
 一回あたりの重版部数は少なくても、25刷りとか、
 30刷りなどというのはそれほど珍しくない。
 しかし、昨今の新書合戦で、そのような常識は
 崩れてしまったようだ。いまは売り切れ仕舞いの
 様相になっている。」(p177)

はい。個人的ですが長く読みつぐ新書を持っております。
うん。これは新書の時代に育ったという証明になるかも。

「むかし山本七平さんにうかがったことがある。
日本の出版の優れているところは幅の広さがあることだ。

学術的なものから劣悪なものまで、すべてが本と呼ばれ、
書店に同じように並ぶ。欧米にはそれほどの多様性や幅はない。
  ・・・・・・・
書店も、出版社も、読者も、軟派から硬派まで無限に抱擁できる
キャパシティが、日本の出版界にはあった。

それが日本の公共性を作り、
ひいては強さになっていたのではないか。
新書・選書に象徴される中間的文化的好奇心は、
どこの国にも負けない強さのあらわれである。
 ・・・・
おそらく読者、著者をまきこむ共通基盤は、
そのような本がもつ幅の広さによって支えられ、
かつそれによってまた、より基盤を広げたのでは
ないだろうか。そんな意味のことを山本さんはいっておられた。」
(p197)

はい。『共通基盤』といい、『中間的文化的好奇心』といい、
知らない間に、新書の揺籃期にわたしは遭遇し育ったらしい。
はい。今回の再読では、そんなふうに思えてくるから不思議。

「新書は書籍なのだが雑誌のようなところがある。
毎月決まった日に決まった点数を刊行しなくてはならない。」
(p221)

そのような、新書の新刊広告に目を走らせていた時代。
そんな世代は60歳後半へと押しやられてしまったのか。
新書の世代に育ったという誇りが、何だか湧きあがる。
われら『新書の世代』といってみたい。

はい。これではずみをつけて、
本棚の古い新書を読み直せますように、
というか、長く読みつがれますように。

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