和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ここから先は。

2021-06-02 | 本棚並べ
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」(2004年)。
この本の最後の方に、『本の力の伝播』とありました。

「・・・しかし、本のおもしろさを他人に語ろうとしない。
これでは本の力は伝播しないし、拡がらない。・・・
誰もが読んでおくべき必読書がどんどん書店の棚から消えて
しまう。ロングセラーがなくなってしまうことの背景である。

ここから先は独断であるが、私たち編集者はもっとおせっかい
になってもよいのではないかと思う。

おもしろい、読みごたえのある本を編集することは
大前提であるが、その上で、作った本、かつて手がけた本の
よさを世に押し出す努力が、もっとなされてしかるべきであろう。
・・・」(p205∼206)

う~ん。編集者ではないけれど、
でもね、本を語ることは楽しい。

昨日古本で写真集が届きました。
「川瀬敏郎一日一花」(新潮社・2012年)。
はい。もちろん写真集ですから定価は高く、
新刊は3500円(税別)となっておりました。
その三分の一の値段だったので買えました。

思えば、2011年東日本大震災のあとに
さまざまな方のメッセージがありました。
たとえば、思い浮かぶのは柴田トヨさんの詩。

「あぁ なんという
 ことでしょう
 テレビを見ながら
 唯(ただ) 手をあわすばかりです

 ・・・・・・・

 私も出来ることは
 ないだろうか? 考えます
 もうすぐ百歳になる私
 天国に行く日も
 近いでしょう
 その時は 陽射しとなり
 そよ風になって
 皆様を応援します

 これから 辛い日々が
 続くでしょうが
 朝はかならず やってきます
 くじけないで!」
  (柴田トヨ著「百歳」飛鳥新社・2011年)

はじめて開いた
「川瀬敏郎一日一花」のあとがきは、
こうはじまっておりました。

「東日本大震災からひと月後、
テレビのニュースを見ていたときでした。
画面に剥きだしの大地に草が萌え、花が咲く、
被災地の遅い春を映していましたが、
私の心をとらえたのは、
花をながめる人々の・・笑顔でした。

じつは震災のあと、私は生れてはじめて
花を手にすることができずにいたのですが、
その笑顔にふれて、むしょうに花がいけたくなり、
気づけば『一日一花』をはじめていました。
 ・・・・・
それらの花をどのように伝えてゆけばよいのか思案していたとき、
『インターネットで配信してみませんか』と新潮社の菅野さんから
提案を受けました。・・新潮社『とんぼの本』のホームページでの
配信が決まりました。・・・」(p386)

毎日の日づけ入りで一年間366日の『なげいれ』の花が
一冊にまとめられておりました。
はい。これをひらくまで、震災と生花とがむすびつくとは
思いもしませんでした。あとがきには、こうもありました。

「生者死者にかかわらず、毎日だれかのために、
この国の『たましひの記憶』である草木花をたてまつり、
届けたいと願って。」(p386)

はい。『草木花をたてまつり、届けたい』とは
いったい、どんな生花の形となって届けられたのか。

ここから先は、私が語れるわけでもなくって、
日々の生花の写真が語ってくれておりました。



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