和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

言論(意見)を売る職業。

2023-12-25 | 朝日新聞
扇谷正造著「夜郎自大 現代新聞批判」(TBSブリタニカ・1982)。
この本を持ち出したので、この機会にパラリとひらいた箇所を引用。

「『知る権利』ということが、戦後しばしば、
  ジャーナリストの間から高唱されている。

  いったい、だれの権利なのか?いうまでもなく、
  それは読者の、あるいは国民の権利であって、

  ジャーナリストは、単にそれを委任されているに過ぎない。
  ここのところが、どうも若い記者諸君にはよくのみこめていないようである。

  ・・・・・・・
  朝日の初代論説主幹は池辺三山といい・・・
  その主幹就任の弁に≪言職(げんしょく)≫
  ということばがでてくる。くだいていうと、それは

 『 自分たちの職業は、いわば言論(意見)を売る職業である。
   それは八百屋さんが野菜を売り、魚屋さんが魚を売るのと
   何等かわりはない。自分たちの書いたものが、

   八百屋さんの野菜、魚屋さんの魚のように、
   読者の生活の資として、何がしかの糧となれば、
   自分の喜び、これに過ぎるものはない 』

  と記している。言辞きわめて謙虚である。
  しかも、ズシリ、重たい。   」(p33~34)

このあとに、扇谷さんは、さらに嚙み砕いて語っています。

「 ・・三山のいわんとしていることは
 『 ミのあるニュース 』『 ミのある言論の提供 』
  ということなのであろう。

  そのニュースを読んで、読者は疑問なり、好奇心が満たされた、
  あるいは、その言説を読んでハッと目をひらかれたという思い
  を抱かせよ、ということをいっているのである。

  野菜を食べた、ああおいしかった。魚をたべた、ああ満足した。
  市民は、この場合、その一つ一つを自分の体験として実感する
  ことができる。しかし、ニュースは、通常、市民には一方的に
  与えられるだけで、はたして、それがどこまで事実か、あるいは
  その考え方が妥当であるかどうかはたしかめることができない。

  ・・・・それを伝える新聞記者も、実は、
  官庁なり警察なりからのまた聞きを記しているにすぎない。 」(p34)


歳末で読めなくてもいいや。と数冊の扇谷正造の古本を注文することに。

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