和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

謡曲が入っていない。

2014-11-10 | 本棚並べ
ドナルド・キーン対談集「日本の魅力」(中央公論社)
そのなかに、三島由紀夫、小西甚一、ドナルド・キーン
という顔ぶれの鼎談「世阿弥の築いた世界」が掲載
されておりました。
そこから一箇所引用。

キーン】 日本語に歌という言葉もあるし、
詩というのもあるし、新体詩もありますけれども、
しかし、ポエトリーに全部を含めることはできない
でしょう。けれども、能はたしかにポエトリーに
違いないと思います。日本の歌論を見ても、
能のことは全然ありませんでしょう。しかし、
私にいわせると、能は日本人によって書かれた
ポエトリーの中で、いちばんすぐれていると思います。
もちろん、私は歌も好きですけれども、非常に
制限を感じるんです。やっぱりやまと言葉だけ
でそれを越えることはできなかったんです。
三十一文字の短歌で、あまり知的なことも
書けなかったでしょう。しかし、能となりますと、
はじめて日本に・・別の意味ではじめて日本で、
ほかの国にあるようなポエトリーができたんです。

三島】 なるほど。哲学詩でもあり、恋愛詩でもあり、
あらゆるものが入りますね。武勲詩でもあり。

キーン】 叙事詩でもあり。    (p189)


話題をすこしズラしてみます。
ドナルド・キーンさんのアメリカでの
先生は角田柳作先生でした。
その先生がどのように謡曲を見ていたのか?
というのは、気になるところですが、
ついては、

1877年(明治10年)群馬県勢多郡久田村に
角田柳作氏は生まれておりました。
1877年(明治10年)長野県東筑摩郡和田村町区に
窪田空穂が生まれております。

同年代の窪田空穂氏が謡曲について
どのようなイメージをもっていたのか。
それは、それ以後の日本人とは
どのように違ってきたのか。
ちょっと興味あるテーマです。

ということで、
窪田空穂全集の月報にある
インタビューでの言葉を引用することに。

窪田空穂全集第11巻の月報2の
「空穂談話Ⅱ」に

・ ・・きみのいまいった『抒情詩』、
これが『国民之友』から出てきた。
『国民之友』というのは、イギリスの
紳士道を日本へとり入れようということを
理想にしたような雑誌で、徳富蘇峰さんの
意見が中心になったもの。だから、イギリス
の詩を慕って、相当、文学の教養のあった人だ、
蘇峰という人は。それで、売れもしないような、
そういう本をこしらえた。だれが大将っていう
ことがなく、読んでみて一番うまかったのは
柳田国男さん。不思議なものだ、島崎藤村の
詩集が出てきて、読むと、藤村の詩の調子が
柳田さんの詩にじつに酷似している。
あの人はそいう人だ。とり入れることが
じつに上手だ。それが詩の方面の話・・・
当時は、外国文学がじつにさかんで、
文学でいえばヨーロッパの文学、ことに
イギリス文学が重んじられて、日本の文学を
じつに軽く扱っていた時代だ。第一に、
日本文学史のなかに、謡曲が入っていない。
平家物語などはなにか文学でないように
見られていた、そういった時代。



う~ん。さて平家物語あたりは
現在の中学国語の教科書に出て来るようです。
それはそうと、
窪田空穂氏の言葉は、同時代の
角田柳作先生も、共有していたのじゃないか、
と思うわけです。
その角田先生に教わった学生は
どんな学生だったのか。
たとえば、ドナルド・キーン著
「日本文学の歴史1」のまえがき。
そのはじめの方にこうあります。

「外国人による日本文学史にも長所は
あるのではないかと思う。外国人が
日本文学を自由に読めるようになるまで
には大変な時間がかかるので、日本人以上
に日本文学に対して情熱がなければならない。
・・・日本文学を勉強する外国人は、
何も義務感を負っているわけではないので、
好きで堪らないのでなければ、すぐに
日本文学を捨ててもっと楽な勉強に
切り換える筈である。私は日本文学が
好きで堪らない一人である。」


ここで、さっきの対談集「日本の魅力」の
鼎談でのはじめの方に、
今度は先生となったドナルド・キーン氏と
学生とのやりとりが語られた箇所があるのでした。


キーン】・・・・・
世阿弥の場合は、もちろん仏教などの面では、
私たちの信じているようなこととずいぶん違う
と思いますけれども、その中に何か絶対的な
ことがあるんです。時代を越えるすばらしさ
があるんです。・・・・
現在私はコロンビア大学で『日本の戯曲』という
課目を教えております。毎年同じような経験が
あるんですが、秋の学期は能をやって、
春の学期は浄瑠璃をするんですが、
学生たちはみんな能に非常に惹かれて、
能、とくに世阿弥あたりの能を読んでからは、
どんなすばらしい浄瑠璃を読んでも、
幻滅を感ずるというんです。このことからも、
どんなに世阿弥が高く評価されているか
おわかりでしょう。世阿弥の戯曲は、
全世界の戯曲の中でもいちばんすぐれたもの
の一つと言えると思います。とにかく
ギリシャの悲劇と匹敵できるような
存在だと私は思います。(p178)


ドナルド・キーン。
角田柳作。
窪田空穂。
コロンビア大学の学生。

ときました。ところで、現在、
日本の学生を教える先生は
ということで、
最後は、
竹山郁の詩「遠足」の
最初と最後とを引用

   遠足
  ――杉山静太先生に


 先生 杉山先生
 山はまだですか
 ぼく こんなにたくさん摘みました
 先生 あれ 鶯でしょう

   ・・・・・
   ・・・・・

 世の中へ 山のあっちのまだあっちの・・
 そのステッキを高くあげて
 先生 杉山先生
 空の遠くを指してください
 ぼくはそこまで歩くでしょう

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