産経新聞の産経抄(4月18日)。
一読忘れられず、引用しておきます。
「中国・武漢市当局は17日、新型コロナウイルス感染
による死者と感染者数を訂正・・・・・
とはいえ、中国当局の出す数字は、誰もが眉唾もの
だと分かっている。今回の訂正も、果たして実態を
表しているかは判然としない。
南京事件の犠牲者は35万人などと、
荒唐無稽なことを平然と主張する国の
データを真に受けられる道理がない。」
はい。このあとに国連の専門機関、
世界保健機構(WHO)のトップを務める
テドロス事務局長を取り上げておりました。
ここでは、コラムの最後の箇所を引用しておきます。
「テドロス氏はこれまで中国のコロナ対策を称賛し、
武漢市から各国が自国民を退避させた措置に
『過剰反応だ』と懸念を示した。
WHOが緊急事態宣言を出した後の2月3日にも『(中国への)
渡航や貿易を不必要に妨げる措置は必要ない』と訴えている。
中国経済への配慮としか思えない。
『日本人より国連の方が信用できる』。
十数年前、ある大物政治家が力説するのを聞いた。
自国を信じず、国際機関を信仰するような戦後の病は、
やはり克服する必要がある。」
はい。産経新聞といえば、昨日の日曜日は
連載「新聞に喝!」があり、4月19日は酒井信彦氏でした。
めずらしく、新聞じゃなくてテレビを取り上げておりました。
「・・テレビには、コロナウイルス問題に関して
実に大量の情報が流されている。ワイドショーには
いわゆるタレントも出演して勝手な感想をしゃべっているが、
医学の専門家でも異なった見解があるのだから、
タレントの存在は全く無用というより有害であろう。」
そして顕著になった、テレビのニュース報道の劣化を
書いておられます。
「用意された原稿を読み上げて事実関係を伝える
ニュースを『ストレートニュース』というが、以前は
すべてこのスタイルだったと記憶する。それが
いつしか過剰な演出が施されるようになった。」
こうして2点指摘したあとに
「・・そもそも深刻な問題であればあるほど、
冷静に淡々と報道しなければならない。
過剰な演出が加わると、それはドラマチックになって、
かえってリアリティーが失われてしまい、
本来持つべき警戒心も損なわれてしまう。」
そして締めくくりは
「現在、テレビメディアには、演出を排した、
一層冷静な報道姿勢が求められる。」とありました。
はい。「冷静な報道姿勢」を、視聴者は選べる。
それはそうと、昨年の台風で水濡れした本に
徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」(文芸春秋・1991年)
がありました。フニャフニャなので、あきらめて
古本で注文。もったいない本舗から届きました。
本21円+送料257=278円。帯付きで、ページ読み後なし。
うん。そのあとがきから、引用。
「・・私は一貫して『書く』部門にいた。・・・・
私は終始、新聞記者でいたかった。社内でしか通用しない
肩書を愛する新聞社員にはなりたくなかった。」
「日本のジャーナリズムの世界には料理人や
盛りつけ係や配膳人は掃いて捨てるほどいるが、
荒海に出て魚を獲る漁師は実に少ない。
・・・・大衆の嗜好に合うよう整形手術を施した
うえで提供する。それはテレビも同じで、
私はニュースキャスターなど有害無益なものだと思っている。
現場で取材した記者が書いた原稿をアナウンサーが読み、
視聴者(新聞の場合は読者)が判断を下せばよい。
それが出来ないほど大衆はバカではない。」
「・・・他社の記者が北京を追放されたのに
自分ひとりだけ残留させてもらったようなとき、
その記者はひたすら真理を犠牲にして『社の利益』に奉仕する。
文化革命のときが好例である。新聞の紙面に出ている
記事がみなホントだと思って読んでいる読者は、いいツラの皮だ。」
文化大革命の際に、残留させてもらったのは、いったい、
日本のどこの新聞社だったのか?うん。それは忘れても、
「国際機関を信仰するような戦後の病は」
「克服する必要がある」。
とはいえ。29年前の徳岡孝夫氏のセリフを、
さいごに、あらためて、引用させてください。
「視聴者(新聞の場合は読者)が判断を下せばよい。
それが出来ないほど大衆はバカではない。」
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