和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いまでは、だれでもが。

2021-06-18 | 本棚並べ
はい。梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書・1969年)を、
またひらく、「はじめに」にはこうありました。

「資料をさがす。本をよむ。整理する。ファイルをつくる。
かんがえる。発想を定着させる。それを発展させる。
記録をつける。報告をかく。

これらの知的作業は、むかしなら、ほんの少数の、
学者か文筆業者の仕事だった。いまでは、だれでもが、
そういう仕事をしなければならない機会を無数にもっている。
生活の技術として、知的生産の技術をかんがえなければ
ならない理由が、このへんにあるのである。」(p13)

こうもあるのでした。

「よんでいただいたらわかることだが、
この本は、いわゆるハウ・ツーものではない。
この本をよんで、たちまち知的生産の技術がマスタ―できる、
などとかんがえてもらっては、こまる。
研究のしかたや、勉強のコツがかいてある、
とおもわれてもこまる。・・・・

合理主義に徹すればいい、などと、
かんたんにかんがえてもらいたくないものである。
技術という以上は、ある種の合理性はもちろん
かんがえなければなるまいが、知的活動のような、
人間存在の根底にかかわっているものの場合には、
いったいなにが合理的であるのか、きめることはむづかしいだろう。」
(p20)

はい。はじめて読んだ時の私は固定観念がありまして、
はなから、新書とは、ハウ・ツーものと思っておりました。
ですから、そのつもりで読んでおり内容把握もチグハグでした。
こんな「はじめに」の言葉は、その時は読み飛ばしておりました。

はい。これは岩波新書ですが、このなかに、
加藤秀俊著「整理学」(中公新書・1963年)への言及もあります。
うん。岩波新書と中公新書が、先陣を切って新書におどりでています。
加藤秀俊氏など、中公新書からそのあと続々と新刊を出されている。
後塵の講談社は、どうして新書『知的活動』戦線へとくわわるのか、
なんだか他人事ではないような、気がしてくるのでした。

「知的生産の技術」の「はじめに」には
よく読めば、こんな箇所さえありました。

「これは、ひとつの提言であり、問題提起なのである。
これをよまれたかたがたが、その心のなかに問題を感じとって、
それぞれの個性的にして普遍的な知的生産の技術を開発されるための、
ひとつのきっかけになれば、それでいいのである。

そして、こういう問題を公開で議論するならわしが、
これをきっかけにしてはじまるならば、
わたしはたいへんうれしい。・・」(p19~20)

講談社は、このきっかけをものにしておりました。
「わたしの知的生産の技術」(「知的生産の技術」研究会編)
これが「続わたしの知的生産の技術」「新・わたしの知的生産の技術」
と講談社から単行本で出ておりました。
どういう内容かは、あとがきから引用してみます。

「・・『知的生産の技術』セミナーをはじめる・・・
講師は思いきって広く各界一流の人士を貪欲に追い求め、
理解と協力を仰いだ。まったく無名のインフォーマル・グループに
一流の講師がつぎつぎに協力してくださった・・・
本書に掲げた文章は数多いすぐれた講演記録の中から
表題にふさわしいものを選んで文章化したものである。・・・・

本書の作製にあたっては、梅棹忠夫教授、紀田順一郎氏をはじめ、
講談社の末武親一郎氏に懇切なご指導をいただいた・・・」
 (代表八木哲郎「わたしの知的生産の技術」1978年)


ちなみに、岩波新書には「私の知的生産の技術」(1988年)が
ありますが、こちらは岩波新書創刊50年記念として、このテーマで
応募してもらったなかから、選んでの新書一冊でした。
思えば、この頃から岩波新書は、内容が薄くなっていったのかも
しれません。新書にも栄枯盛衰の歴史があるようです。
これからは、どうなってゆくのか。

またしても鷲尾賢也氏の本をとりだす。
そこに『合理化』という言葉があった。

「社会全体も合理化がすすんでいる。
自分の背負っている部分的な機能だけで相手を判断してしまう。
人間がもつ多様な側面を見ようとしない。
会社、役職、学歴といった限定された機能が全体を覆うのは、
そういう風潮の分かりやすい一例であろう。
つまりお互いに、異なった機能を交換する能力が減退しているのだ。

学歴はないが大知識人、癖はよくないが名文家、
学問はたいしたことはないが人望があり学界のリーダー。
このように人は多面的なのだ。・・・
ある一点だけで著者とつきあうのではない。・・」
 ( p181「編集とはどのような仕事なのか」)

いつだって、こういう編集者が編集した本は読みたい。




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2 コメント

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Unknown (kaminaribiko2)
2021-06-19 10:48:33
どちらの本も買った覚えがありますから、どこかにあると思いますが、懐かしいです。こちらのBlogでは、どこかにあるはずだけど、忘れていた蔵書を思い出させてくれます。
返信する
どこかに。 (和田浦海岸)
2021-06-19 16:47:23
こんにちは。カミナリビコ2さん。

はい。お題拝借(笑)。
「どこかにあるはずだけど」から、
わたしに思い浮かぶあれこれ。
はい。「忘れていた蔵書」から、
整理について思い浮かぶあれこれ。

カミナリビコ2さんから、
今日のブログのお題をいただきました。
返信する

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