和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

また家庭生活のなかで。

2021-06-19 | 本棚並べ
河合隼雄氏に
『本の読み直しは庭の手入れに似ている。』との指摘があります
(p224「半歩遅れの読書術Ⅱ」2005年・日本経済新聞社)。

この言葉、何かテーマを頂いたようで印象に残っております。

はい。今日は朝から雨でしたが、今はやんでおります。
梅雨時の晴耕雨読に、私は新書読み直しをはじめます。

「庭の手入れに似ている」って、どういうことなのだろう。
まあ、そんなことを思いながら、本をひらき読み直します。

加藤秀俊著「整理学」(中公新書・1963年)に
棚の整理についての箇所がありました。
はい。本棚の整理を持ちこしている私としては
気になる箇所です。

「日曜大工たちがいちばんひんぱんにおこなう作業は、
棚を吊ることだ。本棚だの、衣裳箱やいろんなものの
ストックをのせる棚だの、屋内外のいろんなところに棚を吊る。
そして、置き場に窮した『もの』を棚上げ、いや、整理する。
棚というものは、『もの』の立体的整理の第一歩である。」
(p113)

うんうん。『棚上げ』ですね。わかるわかる(笑)。
わかるのだけど、私には吊戸棚なんてつくれない。
それはそうと、私の場合には本棚おけば、床に置かれた
有象無象を、とにかく棚に押し込める。何か床まわりを
きれいにするだけで、整理が一段落した気分になります。

はい。『整理学』から、もう一箇所引用。

「われわれに必要なのは、ムダな『さがしもの』でイライラしたり
困惑したりしないですむような、記録の『保存』の方法である。

どれだけ『さがしもの』にムダな時間と労力をかけないですむか、
あるいは、いかに効率よく特定のものをひき出しうるか―――
学問の世界でもビジネスの世界でも、また家庭生活のなかでも、
それはほとんど決定的な意味をもっている。・・・・」(p54)

うん。これだけじゃ、まだ『庭の手入れ』へと
近づけないような気がするので、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書・1969年)からも
補強材料を仕入れることに、こちらの新書の小見出しに
『秩序としずけさ』(p95~96)とある箇所が、読むたび
思い出されます。水のたとえもあり印象深い箇所なので、
最後におつきあいください。

「このような整理や事務の技法についてかんがえることを、
能率の問題だとおもっている人がある。・・・・・

しかし、じっさいをいうと・・すこしべつな観点からも
かんがえてみる必要がある。

これはむしろ、精神衛生の問題なのだ。
つまり、人間を人間らしい状態につねにおいておくために、
何が必要かということである。かんたんにいうと、人間から、
いかにしていらつきをへらすか、というような問題なのだ。

整理や事務のシステムをととのえるのは、
『時間』がほしいからでなく、生活の
『秩序としずけさ』がほしいからである。

水がながれてゆくとき、
水路にいろいろなでっぱりがたくさんでている。
水はそれにぶつかり、そこにウズマキがおこる。
水全体がごうごうと音をたててながれ、泡だち、
波うち、渦をまいてながれゆく。

こういう状態が、いわゆる乱流の状態である。
ところが、障害物がなにもない場合には、
大量の水が高速度でうごいても、音ひとつしない。
みていても、水はうごいているかどうかさえ、はっきりわからない。
この状態が、いわゆる層流の状態である。

知的生産の技術のひとつの要点は、できるだけ
障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、
日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだ
といっていいだろう。

精神の層流状態を確保する技術だといってもいい。
努力によってえられるものは、精神の安静なのである。」

さて、「生活の『秩序としずけさ』」と「精神の安静」。
はい。こうして『庭の手入れ』に、近づいた気がします。



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