今年は、7月29日(木曜日)に一度だけ海へ。
午後4時過ぎに、はけそうな海パンをとりだし。
海へとひたりにゆく。
アセモなどに、海水はテキメン。
汗かきの私に、好都合の夏の海。
今ごろに気になって、金子光晴の詩。
詩集「若葉のうた」にはいっている詩
「若葉よ来年は海へゆかう」をひらく。
詩の最後の行に、こうあります。
『若葉よ。来年になったら海へゆかう。
そして、ぢいちゃんもいっしょに・・・』
はい。『ぢいちゃん』というのだから、
この詩の金子光晴の年齢は何歳だろう。
そう思い、年譜をひらいてみることに。
昭和38(1963)年 金子光晴69歳。
6月、乾(息子)、秋田の井上登子と結婚。
昭和39(1964)年 70歳。
6月、孫娘若葉出生。
昭和40(1965)年 71歳。
3月20日、三千代と三度めの婚姻届、森家に入籍。
7月、『若葉よ来年は海へゆかう』を「文芸朝日」に発表。
昭和42(1967)年 73歳。
11月20日、『若葉のうた』『定本金子光晴全詩集』の出版記念会
(四谷〈主婦会館〉)開催
安東次男、松本亮、坪井繁治、秋山清、井沢淳、吉岡実、他・・出席。
はい。それでは、
『ぢいちゃん』金子光晴71歳の詩を引用
若葉よ来年は海へゆかう
絵本をひらくと、海がひらける。若葉にはまだ、海がわからない。
若葉よ、来年になったら海へゆかう。海はおもちゃでいっぱいだ。
うつくしくてこはれやすい、ガラスでできたその海は
きらきらとして、揺られながら、風琴(ふうきん)のやうにうたってゐる。
海からあがってきたきれいな貝たちが、若葉をとりまくと、
若葉も、貝になってあそぶ。
若葉よ。来年になったら海へゆかう。そして、ぢいちゃんもいっしょに貝になろう。
うん。今度はじめて、『詩集のあとがき』をめくってみる。
あとがきというより、特別なエッセイとして読む6頁ほど。
最後にはとりあえず、そこからすこし引用しておわります。
「・・・三千代おばあちゃんも、おなじおもひらしく、
これもむかしとった杵柄(きねづか)で、一、二篇の詩をつくって
唱和したいなどと言ひつつまにあはなかったが、本来、
こんな仕事は、彼女の方にむいてゐるのだ。
第一、生涯に一度も日記をつけたことのない僕とちがって、
彼女は、『若葉』の生れた日からのことを毎日ノートに書き、
大小のことを女らしいこまかさで、みな失はずにおぼえてゐて、
僕をおどろかせる。・・・・・・」
たしか海まで近かったですよね。
子供たちと 義父の郷里の海に行ったとき
祖父は 海で泳いでました~
おじいちゃん~お年寄り~と思っていた義父の年齢に
我々もなってしまいました。
海パン
懐かしい響きです。
女性は水着 海水着って言っていたかな~
今はスイムウエアかな~
でも 海で泳ぐのは やはり海水浴と言うのでしょうね。。。
こちらは、温泉が出ないのですが、
夏の午後の海は、ちょうど海水が温まり、
温泉気分で海へはいれます。
午後も3時をすぎれば、日差しも
そう気にしなくてすみます。
毎年夏一回でも海へつかりに。
何か口実をみつけてゆきたい。
うん。来年もまた海へゆかう。
ちなみに、
海パンというと、小学校のショートパンツを
イメージするかもしれませんが、
いまでいうハーフパンツの丈です。