ちっとも、読みすすんでいないのですが、
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)がたのしい。
たとえば、平成24年3月11日発行の
岡野弘彦氏の歌集「美しく愛(かな)しき日本」(角川書店)の
題名についての疑問が解けた気分になったりします。
「南無阿弥陀仏」を読んでいると、理解したような気分になったところの、その引用。
「『悲』とは含みの多い言葉である。二相のこの世は悲しみに満ちる。・・・だが悲しみを悲しむ心とは何なのであろうか。悲しさは共に悲しむ者がある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。悲しみは慈(いつくし)みでありまた『愛(いとお)しみ』である。悲しみを持たぬ慈愛があろうか。それ故慈悲ともいう。仰いで大悲ともいう。古語では『愛し』を『かなし』と読み、更に『美し』という文字さえ『かなし』と読んだ。信仰は慈みに充ちる観音菩薩を『悲母観音』と呼ぶではないか。それどころか『悲母阿弥陀仏』なる言葉さえある。」(p88~89)
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)がたのしい。
たとえば、平成24年3月11日発行の
岡野弘彦氏の歌集「美しく愛(かな)しき日本」(角川書店)の
題名についての疑問が解けた気分になったりします。
「南無阿弥陀仏」を読んでいると、理解したような気分になったところの、その引用。
「『悲』とは含みの多い言葉である。二相のこの世は悲しみに満ちる。・・・だが悲しみを悲しむ心とは何なのであろうか。悲しさは共に悲しむ者がある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。悲しみは慈(いつくし)みでありまた『愛(いとお)しみ』である。悲しみを持たぬ慈愛があろうか。それ故慈悲ともいう。仰いで大悲ともいう。古語では『愛し』を『かなし』と読み、更に『美し』という文字さえ『かなし』と読んだ。信仰は慈みに充ちる観音菩薩を『悲母観音』と呼ぶではないか。それどころか『悲母阿弥陀仏』なる言葉さえある。」(p88~89)
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