鷲尾賢也著「新版編集とはどのような仕事なのか」(トランスビュー)を
ひらいたついでに、パラパラとめくってみる。
講談社の編集長をしていた視点からのご意見を拝聴。
たとえば、私など、本を買えども読まない本というのがある。
最近は居直って、積読でも気持ちが弱らなくなりました(笑)。
そういう視点からだと、面白いなあという言葉がある。
「書店だけでなく読者の読む力が弱くなっている。
『 良書でござい 』とあぐらをかいていてすむ時代ではない。
どうにかしてともかく買ってもらう。
そうすればその中の何割かは読むだろう。
・・・編集者のフットワークが要求されている。 」(p175)
はい。良書のあぐら。安岡章太郎の『蹲踞のように腰を浮かせて書く』。
連想のつながりで、動作が並びます。『良書でござい』とあぐらをかく。
『蹲踞のように腰を浮かせて書く』。さらには、編集者のフットワーク。
編集者の視点が鮮やかに感じられてくるのは、まだまだありました。
「そのころ『 年齢七掛説 』がささやかれていた。
つまり、いまの22歳はむかしでいえば、15~6歳にしかならない。
かなり幼いと思った方がいい。
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』のようなものができないか、
というふうにはなしが進んだ。・・・ 」(p84)
「 編集者にもいろいろなタイプがある。・・・・・
ダメだということをいかに納得させるかに苦労することもまれではない。」
(p85)
「 鶴見俊輔がどこかで、
日本はどうも10年ごとにくりかえしているといっていた。
企画をたてるのに、出版の歴史を知っておいて損はない。 」(p87)
はい。何だか編集者という海岸の砂浜で、尽きない真砂から、
キラキラひかる言葉の貝殻を拾ってるような気分になります。
ちなみに、著者あとがきの最後の日付は2003年12月20日。
約20年前に出版された本のようです。
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