和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

露伴のために

2009-08-09 | 幸田文
篠田一士著「幸田露伴のために」(岩波書店)という本があります。
以前、篠田一士への興味で読んだことがあったのですが、
読む方が未熟なので、理解が及ばないでおりました。
ということで、幸田文への興味から、
それではと、幸田露伴へと触手が伸びて、
どなたか、幸田露伴の水先案内役はいないかと思った時に、
そうだ篠田一士氏の文があると、思い出したりする、迂闊者が私です。

とりあえず。本の題名にもなっている「幸田露伴のために Ⅰ Ⅱ Ⅲ」を読んでみました。なにやら鉛筆で線がひいてある。私が引いた線なのに、すっかり内容を忘失している。さもありなん。というような箇所がありました。

「露伴の文学はむずかしい、という。・・・
昭和40年代の今日においてだけではない。露伴存命中、つまり、彼の作品が書かれた当時においても、事情はさほど変らなかったはずだ。読者が露伴をえらぶのではない。露伴が彼の読者をえらぶのである。読者と作者の出会いはもともとそういうものなのだ。」(p49)

う~ん。篠田一士氏の縁で「露伴が彼の読者をえらぶのである」という微妙な世界へと参入できるかどうか。

篠田氏はこうも書いておりました。

「はっきり言おう。幸田露伴の作品を読み、そこに感動を経験するひとは、彼自身が好むと好まざるに関わらず、日本の近代文学あるいは現代文学に対峙することになる。いい作品はいい、わるい作品はわるいといった鑑賞家の余裕はこの際通用しない。・・・この富は実に潔癖で、他の富との共存をひどく嫌う。」(p78)

幸田文の父親・幸田露伴がいて、
幸田露伴の水先案内人に篠田一士がいる。
まあ、こうして露伴の本を前に、
開いてもみずに、うろうろしているのが私。

篠田氏は、こうも語っておりました。

「昭和20年代の終り頃だったと記憶するが、田中西二郎氏が現代小説の隘路を打破しようという底意をあらわにした大変戦闘的な露伴再評価の一文を書き、露伴に還ることを提唱した。・・・折角の提唱もこれといった実を結ばないまま立消えになってしまった。やはり露伴をつれだすことは大変なんだなあと、他人事とは思えず、陰ながらぼくは嘆息をついた記憶をもっているが、事態は現在悪化こそすれ、決して好転してはいない。」

「それにしても露伴を読むたびに、ぼくの胸はつねに高鳴る。いま、ここに実現されているものを文学以外のどんな名前でよべばいいというのか。」(p64)
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