和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

恩を感じねばならない。

2019-07-22 | 本棚並べ
梅棹忠夫が語っているなかに、
「思いつきこそ独創や。・・」というのがあります。
うん。私にも思いつきがないものか?

『思いつき』とは、とても、いえないだろうけれど。
「そういえば、あんな箇所があったなあ」と以前に
読んだ本の箇所が、フラッと浮かんでくることは、
よくあります。

たいていの場合。たわいないもので。
それが、どの本のどこにあったのか、
探せないわけです。そうしてその日
のうちに、もうすっかり忘れている。
そういうことって、よくあります(笑)。

今回、あれはと、読み返した本は、
梅棹忠夫・司馬遼太郎編「桑原武夫傅習録」。
「明晰すぎるほどの大きな思想家」と題する
司馬遼太郎さんの文。
この箇所が、思い浮かびました。


「・・・私は戦後、復員してほどなく
京都大学を受けもつ新聞記者になった。」

このあとに、こうつづきます。

「戦後という、
ある意味では明治維新以上の変革もしくは
昭和維新が果たせなかったものをもたらした秩序は、
いまでは存外に凋んだり、老化してしまったりしているが、
そのころ二十五、六の年齢だった私にはこの時代が、
あたらしい価値をうむ無限の可能性をもった
稀有な時期のように思えて、その時代にナマで生きつつ
同時代のきらびやかな歴史性を感じるという幸福をおぼえた。
  ・・・・・
そのための重大な触媒の役目をしてくれた
何点かのエッセイおよび文学作品に恩を感じねばならない。
そのなかに氏(桑原武夫)の『第二芸術論』がある。
これを最初に読んだとき、自分が居るのはたしかに戦後だという、
時間的な情感としてではなく地理的知覚として
地を叩くようにして示された記憶が、感動とともに残っている。
 ・・・・・・・・・  」(p148~149)


はい。この箇所が思い浮かびました。
次は、桑原武夫集の第10巻をひらく。
その本の後ろに、著作目録があります。
著作目録には、各単行本が、桑原武夫集全10巻の、
何巻目に、その文章を収められているかの印があり、
それをチェックしてみると、ところどころに、
桑原武夫集へと、再録されなかった文もある。

うん。その頃の単行本には載ったけれど、
後年の全10巻として出た『桑原武夫集』には
はぶかれた文章もあったのでした。
そうだ、桑原武夫集全10巻というのは、
全文章を載せるような「全集」とは違う。
ということを、いまになって気がつく(笑)。


ということで、司馬遼太郎さんが指摘した
「これを最初に読んだとき、自分が居るのはたしかに戦後だという、
時間的な情感としてではなく地理的知覚として
地を叩くようにして示された記憶が、感動とともに残っている。」

という、その時代の本を、古本で読み直そうと注文することに。

一冊は、「現代日本文化の反省」(1947年5月)
      この単行本の目次には「第二芸術」がある。
もう一冊、「雲の中を歩んではならない」(1955年4月)

この二冊を古本で注文。
家にいながら検索・注文できるしあわせ(笑)。これで、
「地を叩くようにして示された記憶が、感動とともに残っている」
という、その感動の断片を、うまくしたら、
たどりなおせるかもしれない。







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