和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

買ひ置きし。

2016-03-08 | 詩歌
読売歌壇(2016年3月7日)の小池光選その3首目。

 老いの日のために買ひ置きし
   書(ふみ)あまた読まず老いけり
        眼(まなこ)おとろへて

     松戸市 関根賢人

『評』老境のためにと買っておいた本が
   老境になったら読めなくなっていた。
   悲しい現実が淡々と、
   端的に歌われている。


花粉症はでないのですが、
この時期は、眼がちょっと
腫れぼったいような気がします。
私も、とりあえず買った本が
よまれずにあるわけです(笑)。
読まないのはわかっているので、
せめて、本を並べる楽しみなら、
やってもよいでしょう。


最近の本立てには

 穂積重遠「新訳論語」(講談社学術文庫)
 穂積重遠「新訳孟子」(講談社学術文庫)
 宇野哲人「論語新釈」(講談社学術文庫)
 吉田松陰「講孟箚記(さっき)」(講談社学術文庫)
 渋沢栄一「論語講義1~7」(講談社学術文庫)

 谷沢永一「日本人の論語」上下(PHP新書)
 谷沢・渡部「人生に活かす孟子の論法」(PHP)
 「中村幸彦著述集」第11巻・第14巻(中央公論社)
 「近世思想家文集」(日本古典文學大系)岩波書店
 「石門心學」(日本思想大系)岩波書店
 佐久協「『孟子』は人を強くする」(祥伝社新書)
 守屋洋「新訳 孟子」(PHP)


うん。
そのうち読めますように。
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啄木と歌加留多。

2016-03-07 | 詩歌
この機会に、
と思って石川啄木の本を読もうと手元にある本を
さがす。レクルス文庫「啄木日記」がある。

明治四十年1月4日(金曜日)


「曇天。雪少しく降る。寒さ烈しけれど、昨日の如くならず。
世に遊びのたぐひ多かるめれど、歌加留多許り
優にやさしき遊びはあらじ。
読札百枚取札百枚、しるされたるは、キング、クイン、ジャック
などの階級的表号にはあらずして、美しき三十一文字なり、
詩の句也。ともしび明き一室、和気○○たる中に、
うら若い男女入交りて二列に居ならび、身の構へさまざまに
皆膝の前にならべられたる札に目を注げり。
別に一人の読手あり、声張り上げて誦し出づるは何?
ああこれ実に一千年前の詩人が物にふれ時に応じて
心の底よりうたひ出でたる一百首の『くにぶり』にあらずや。
時に巧を辞句の末に競ひてうれしき心地せぬよみ口もなきにあらねど、
大方は今の世の我々がきいても有がたく思はるる歌なり。
いと深き心の声を珠の如き言の葉に述べつらねて、
げに不朽の調ぞと思はるるも少なからず。
殊には其歌、美しき相聞の歌ぞ其半ばをも超えたり。
恋の心は昔も今も変らず。
誰の耳にも美しきは恋の歌なるべし。
うら若き声に読み上ぐれば、
うら若き人の手其札を競ひ取る。
古への歌垣の場(には)を羨み思ふ我には、
加留多とる室の様ばかりうれしきは無し。
・・・・・
今夜、十二時を過ぎて加留多会散ず。
二時頃、いと長き地震あり。
今枕につかむとするに、はや三時にもなりぬらむ、
寒さ骨に沁み、裏の厩に若き栗毛の立髪ふるふ音す。
明日の寒さの酷しさ思ひやらる。
ならぶる枕なきさびしさ。
夜啼きの稚児に乳房やふくますらむ
妻が上切に恋し。」
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新刊注文。

2016-03-06 | 書評欄拝見
毎日新聞2016年3月6日の
今週の本棚をひらく。

気になった2冊
一冊は
森健著「小倉昌男 祈りと経営」(小学館)
著者の写真入りの紹介文。
なんでも第22回小学館ノンフィクション大賞受賞
とあります。それも選考委員5人の満場一致。
うん。「『つなみ』の子どもたち」を読んだことが
あったので、気になる著者名でした。
それでもって新刊注文することに(笑)。

もう一冊は磯田道史氏が書評しておりました。

宮本又郎著「商都大阪をつくった男 五代友厚」
(NHK出版)。
うん。こちらも気になるのですが、
どうせ読まないだろうから、
こちらは、購入しないことにします。
古本になるまでまとうホトトギス。
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漢文の課目がなくなるらしい。

2016-03-05 | 前書・後書。
穂積重遠「新訳孟子」(講談社学術文庫)届く。
その「はしがき」のはじまりを引用
(ちなみに、この本は昭和23年3月に
初版が世に出ると解説にあります)。

「新学制いわゆる六三制の下級中学では、
一般に漢文の課目がなくなるらしい。
それを置く学校でも、まず一週一時間ぐらいか。
他方漢字制限もあり、ともかくも今後の若い人たちの
漢文を読む力はいちじるしく弱くなる。
弱くなるというよりも、特別な勉強をした者
でない限り、漢文は読めなくなるものと思わねばなるまい。
私はそれが悪いというのではない。
新日本建設にモット大事な教育課目充実のために、
漢文は普通教育においては割愛されて然るべきであり、
また漢字制限は私のかねての持論でもある。
それ故、私は学校教育における漢文の廃止、
または減少を悪いとは思わぬが、ただ惜しいと思う。
漢文そのものが惜しいのではない。
漢文に盛られ来(きた)り、漢文によって養われ来った
思想と文学とが惜しいのだ。
・・・・
漢文を採用し漢文が渡来したおかげで、
日本の思想と文学とがどんなに豊富になったかを
感謝すべきだと思う。」

とはじまっている「はしがき」23ページ。
私は、ここを読んだだけで、もう満腹。
さきへと読みすすめない(笑)。
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戦争世代ならではの使命感と志。

2016-03-04 | 短文紹介
「没後20年司馬遼太郎の言葉」に載る
磯田道史氏へのインタビューが印象鮮やか。
その後味があったので、
NHKテレビテキスト「100分de名著」の
「没後二十年企画 司馬遼太郎」を注文。
うん。こちらも、磯田道史氏です(笑)。

最初にある4ページほどの文から引用。

「司馬さんは、日本国家が誤りに陥っていくときの
パターンを何度も繰り返し示そうとしました。
たとえば、集団のなかに一つの空気のような流れが
できると、いかに合理的な個人の理性があっても
押し流されていってしまう体質。あるいは、
日本型の組織は役割分担を任せると強みを発揮する一方で、
誰も守備範囲が決まっていない、想定外と言われるような
事態に対してはレーダー機能が弱いこと。
また情報を内部に貯め込み、組織外で共有する、
未来に向けて動いていく姿勢をなかなかとれないといった、
日本人の弱みの部分をその作品中に描き出しています。
こうした、その国の人々が持っている『たたずまい』、
簡単に言えば『国民性』といったものは、百年や
二百年単位でそう簡単に変わるものではありません。
・・・・・
いちばん根元にあったのは、後世をよくしたい、
それに少しでも力を添えたい――という、
戦争にも行った世代ならではの使命感と志だったと思います。
・・・・」(p7)

はい。この雑誌は524円+税。
毎週水曜日。2016年3月Eテレ。
うん。買えてよかった(笑)。
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ハウツー口耳の学。

2016-03-02 | 古典
仲畑竜万能川柳(2016.2.28)
その二番目は、 東京 緑カレーさんの川柳。

 読書家と言うがほとんどハウツー本

ということで、「道聴塗説」。

穂積重遠「新訳論語」(講談社学術文庫)
そのp458~459にありました。以下引用。

子(し)のたまわく、道に聴いて塗(みち)に
説くは、徳をこれ棄つるなり。

孔子様がおっしゃるように、
『今途中で聴いたことをすぐそのまま
途中で話してそれきりかけ流しにするようでは、
せっかく善(よ)いことを聞いても、
身につかず心の養いにならぬ、
これは全く徳を棄てるというものじゃ。
聴いたことをトックリと玩味し
善いと思ったら実践せよ。』

『荀子(じゅんし)』勧学篇に
『口耳の学』というのがそれだ。いわく、
『小人の学は、耳に入りて口に出(い)ず。
口耳の間はすなわち四寸のみ。
なんぞ以て七尺の軀(からだ)を
美にするに足らんや。』



はい。このブログこそは、
「口耳の学」だと、自覚し
これからも、続きます(笑)。
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つくり始める。

2016-03-01 | 詩歌
読売歌壇2月29日が印象に残る。

小池光選のはじまりの一首。

 風邪に臥す妻はむっくり起き上がり
   我の夕食つくり始める
     東京都 遠藤正雄

選評】 風邪で寝ている妻が、夕方になったら
起き出してわたしのための夕食をつくり出した。
妻とは、なんと有り難い。よほど心して食べな
ければならない。

三首目には

 あせらずにひと日ひと日を生き抜いて
   今日の煮物の味はよしよし
    東京都 白木静子

評】 ・・・・夕食の煮物がうまくできた。
結句で『よし』を重ねるところが自在感あって
調子がいい。


栗木京子選の三首目は

 点滴のスタンドつれて歌の載る日の新聞を
  求めむとゆく
     小浜市 田村芳子

評】 作者は入院中であろうか。歌壇俳壇の
載る日は売店新聞を買いにゆく。点滴スタンドを
『引きて』でなく『つれて』が明るい。


最後に引用するのは
岡野弘彦選のはじまりの一首

 独り居を支へてくれし犬も亡し
  この冬をわれはいかに生くべき
    鶴岡市 佐藤繁子

評】 五年前から独りの生活を送る私には
見落せない歌だった。心を押さえて、
自分の胸の内に向かって自らつぶやいて
いるような感じが切ない。
犬は暖かい生き物ですよね。

ここまでくれば、二首目も

 この先は他界と思う雪のつむ
  橋をわたれば妻ねむる墓
   所沢市 鈴木照興

評】 すぐ連想したのは『まれに来る夜半(よわ)も
悲しき松風を絶えずや苔の下に聞くらん』。
俊成が妻の墓所を訪うた秀歌。俊成ともひとしお違って、
心にしみる思いがある。


そういえば、この頃、読売俳壇を読まないなあ(笑)。
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