和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

袖振り合うも。袖すり合うも。

2022-01-16 | 本棚並べ
ことわざに、「袖振り合うも多生の縁」とあります。
さしあたって、私のブログというのは、
『袖振り合うも多生の』古本というところ。

今年もさまざまな古本と出合えますように。
さまざまな古本を取りあげられますように。
はい。今年も本を肴にブログを更新します。

ちなみに、『多生(たしょう)』と『他生』とがあるそうで、
ことわざ辞典をひくと、

≪『多生』は、六道の間で何度も生まれ変わること。五百生。
 『他生』は、この世以外の世。前世≫

「道を行く時、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも、
 前世からの因縁によるという意。どんな小さな事、
 ちょっとした人との交渉も、偶然に起こるのではなく、
 すべて深い宿縁によって起こるのだということ。
 袖すり合うも多生の縁。袖の振り合わせも多生の縁。・・」

因縁というと、
何やら神社仏閣でえば、
仏閣が思い浮かびます。

わたしの町でも、お寺はさまざまあります。
ちなみに、うちは日蓮宗ですが、近場には
臨済宗もあります。臨済宗の檀家さんの家の玄関に
『脚下照顧』の四文字が、木札に書かれて柱にかけてありました。
この四文字。普通小型の辞書には載っておりませんでした。
ですから、この四文字は、ことわざ辞典でみつけられなかった。
ちょっと大きな辞書にあり、禅宗にかかわりのある言葉でした。

岩波四字熟語辞典をひらくと、ありました。
はい。せっかくなので引用しておきます。

「  脚下照顧(きゃっかしょうこ)
 足元を見よ、の意。
 ただ単に足元に注意せよという意味ではない。
 外部にばかり気を取られたり理想を求めたりせず、
 自己の内面を明らかにせよという内省をうながす言葉として、
 禅宗で用いられる。
 禅院の玄関にこの言葉が記してあるのは、
 『履物を揃えよ』と両義に用いたもの。・・・・」(p148)


脚下と、は足元・足許。
え~と。そうそう。
長谷川伸著「わが『足許提灯の記』」(時事通信社・昭和38年)。
そのあとがきは、出版社の方が書かれておりました。
そこにこの本の題名になった言葉について指摘されておりました。

「題名の『足許提灯』は、301頁の終わりの
 『足許提灯だとて考えなしに照らしたら、
  足許が見えなかったり、目がまぶしかったりで
  却ってない方が、足をさぐりながら危なくないくらい。
  足許提灯も持ちよう次第である』
 という一節から出ていると思われます。」(p320)


うん。わたしには、『足許提灯(あしもとちょうちん)』
というのは、現代のマスコミの言動に近いのじゃないか?
『かえってない方が、足をさぐりながら危なくないくらい。
 足許提灯も持ちよう次第である』

こうして、足許を照らしてくれているはずなのに、
その危うさ、おぼつかなさを取りあげようとしたのかも。
さて、いつでも誰にでもおこりえる、この問題をどのように解決したか。
答えは、301頁にある『天ぷら蕎麦』という3ページの文にありました。

引用をしたくなるのですが、ここまで、
『考えなしに、照らしたら・・・・』
この短文が、私の引用で台無しになりそうです。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「これにはおどろいたね」

2022-01-15 | 本棚並べ
長谷川伸著「我が『足許提灯』の記」(時事通信社・昭和38年4月)。
このあとがきは、出版局の方が書かれておりました。

ネットのwikipediaで見ると、長谷川伸が亡くなったのは
昭和38年(1963)6月となっております。
ネットで検索していると、池波正太郎はお弟子さんのようです。
そういえば、池波氏の初期の作品を読んだことがあったので、
本棚を探すと、文庫がすぐに見つかりました。文庫は随筆でした。

そこから引用してみることに池波正太郎エッセイ・シリーズ3
「新年の二つの別れ」(朝日文庫)。そのはじまりのエッセイが
「長谷川伸」。つぎは「新年の二つの別れ」となっております。

最初の『長谷川伸』というエッセイには、こんな箇所が

「あるとき、劇場の廊下に先生が立っておられた。・・・
疲れておられたようなので、ぼくがイスをもって行くと、

『そんなことをしないでもいいよ』
先生は、低くきびしい声で言われた。

以来、私は先生が乗り込む自動車の扉さえも開けたことがない。
そういうことをされることが、先生は大きらいらしい。」(p20)

はい。どういうわけか、このエッセイに『観世音菩薩』と
肝心なところででてきておりました。

それはそうと、次の『新年の二つの別れ』を紹介することに。
二つは、池波正太郎の父と、長谷川伸となのでした。

「・・・元旦に、恩師・長谷川伸邸へ年始に行くと、
すでに夕暮れで、多勢の年始客も引きあげかけていた。

見ると、師は顔面蒼白となってい、呼吸もあらかった。
朝からの年始客への応接に疲れきっておられる。・・・・

なんとなく、一言でもよいから師のことばがききたくて
たまらなくなり、私は玄関から師の居間へ引返したものである。

・・・おもいきって障子をあけ、
『先生。ちょっと、よろしゅうございますか?』
声をかけると、師は炬燵の上に頬杖をついたまま、

『あ、いいよ』
『おつかれのところを・・・』
『つかれるけど・・・正月は、たのしいものね』
『はあ・・・』
『君はどう?』
『正月の、どこがたのしい?』

私が、しばらく沈黙したのちに、
『習慣が・・・ま、私の家は家なりに
 やっている習俗が、たのしいのでしょう』

師は、ぽんと両手をうち合せ、にっこりして、
『それさ』と、いわれた。 」(~p25)

このあとに、池波正太郎氏の父のことが語られます。
ここでは、カットして、最後にはここを引用。

「この・・元旦の夜を最後に、私は師にも永別することになった。
月末に、師は入院され、絶対に面会謝絶の闘病生活がはじまった。

病院の玄関口までは行ったが、私は病室へ一度も入らず、
一度退院されたときも面会をのぞまなかった。
再度、入院されて亡くなり、納棺のときも、
その死顔を見なかった。いま、回忌のあつまりがあるとき以外、
私は師の墓まいりもせぬ。

ときたま、未亡人を訪問し、元気だったころの亡師の
写真の前で線香をあげることもあるが、六年後のいま尚、
私には師が亡くなったという実感がいささかもわかぬ。
・・・・・」(p27)

はい。この機会に、池波正太郎の初期の小説をさがしたのですが、
本棚に見つからない。かわりに
常盤新平著「池波正太郎を読む」(潮出版社)が見つかる。
うん。これも古本で買ったものでした。
ぱらりとひらけば、こんな箇所がありました。
常盤さんと池波さんの対談です。

池波】 戦争にいってきたからね、ぼくは。
お国のためだと思って行った軍隊・・・
それから、終戦のときに、ありとあらゆる
ジャーナリズムが手の平かえしたように変節しちゃったでしょ。
これにはおどろいたね。

このことが、よきにつけ、悪しきにつけ、
ぼくの一生を決めてしまったようなものですね。

世の中、もう何が起こっても不思議はない、ということを
21歳のときから、身にしみてたたきこまれてしまったからね。
ぼくの年代の人、みんな、そうじゃないかしら・・・。

・・・人間ていうのは根底にそういうものを持っていても、
一杯の味噌汁のうまさで幸福になれるようにできていると思うんですよ。
(p126~127)

ちなみに、池波正太郎氏は大正12(1923)年1月生まれ。
そうそう。今日の新聞テレビ番組表をひらくと、
BSフジで、鬼平犯科帳をやるのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深く高く大きく面白い。

2022-01-14 | 前書・後書。
長谷川伸著「我が『足許提灯』の記」(時事通信社・昭和38年)。
この古本が函入りで300円でした。

うん。名前とエピソードしか知らない方なのですが、
いつかは読めればと思っていた人なので、この機会に購入。
はじまりをちょこっと引用しておきます。
小林栄子という老女が登場しております。

「・・中秋名月の日、滋賀県大津に宿をとり、
昼のうちに石山寺に詣で・・・宿にもどり、
夜になるのを待ち、石山寺で満月をみようと出かけてはみたが、
大阪の方からきた月見客の群集に揉まれながら、
石の多い路を足もとくらく上ることの覚束なさに、
ひとり瀬田川べりに佇んでいた。」

そこに、石山寺から下りてきた娘さんが


「どうぞなされてかと問うが如く顔を向けたので、
栄子は問わず語りに、上るのも大変なのでどうしようかと思って、
というとその娘さんが、ご一緒しましょう、
もう一度わたくし、おまいりしますと、
京都弁でいうより早くハヤ踏み出して栄子をふり返った。」

それから栄子は、石山寺の秋の月をながめ、下山します。

「・・振りかえりなどせずに行くその娘さんのうしろ姿を、
  真昼のような月の下で見送った。

 人混みにやがて紛れてしまったその娘さん・・・
 栄子はその娘さんを忘れかねて、宿にもどる心になれず、
 瀬田川べりをそぞろ歩きしているうちに、あの娘さんが
 ここの観音さまの化身でもあるように貴くおもわれ出した。

そのことを栄子が、昭和14年9月27日の夜、小石川の幸田家で、
幸田露伴に話すと、露伴は『その娘がおもしろいですね。
 そんなのを昔の人は観音様にしてしまうんですね』といった。
このことは『露伴清談』(小林栄子)にある。・・・・」

このエピソードをうけて長谷川伸は書いておりました。

「私には今いった娘観世音のことが深く高く大きく面白い。」
 (~p12)

ふ~。これで私は満腹。本文は、さらにエピソードが
続いてゆくのですが、私はこの本のはじまりと、
そして本の最後を読んで、それまでにして
その前に佇むようにしながら、本を閉じます。

そうそう。今日になってネットで古本を注文しました。
『露伴清談』(小林栄子)。
届いたら、引用の箇所を確認してみたいと思います。
そのとき、またブログにあげてみます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子ども文化の培地。

2022-01-13 | 本棚並べ
1月7日に注文した古本が届く。その一冊がかこさとし著
「日本の子どもの遊び(上)」(青木書店・1979年)。

はい。かこさとしの本ははじめてです。
目次を見ると、「季節の遊び」という箇所があり、
そのはじめが、「お正月」でした。
うん。そこからの引用。
お正月の集まりを紹介しながら、こう切り出します。

「・・こうした高まり、機運づくりということが
子ども達も大切なことなのですが、お正月といえば、
双六(すごろく)、カルタというのが、戦前までの
子ども達のきまり文句でした。・・・・

双六の遊びは至って単純で、各自のコマをふり出しのところにおき、
順番をきめてサイコロをころがし、出た目の数だけコマを進めて、
はやく上りに到着すればよいという遊びです。

この単純さがあるからこそ、ちいさな幼児からおばあちゃままで、
家中でこの双六を中心に何人でも遊ぶことができたのです。
年齢や経験の差によって、いつもそれに長じた者が優位に立つ
ような遊びは、こうした家中での遊びには適しません。

と同時に、家中が一つのものを中心に遊ぶときの、
かもし出される暖かい雰囲気やたのしさに、各自がひたります。
まけてくやしがるわが子の性格をかい間知ったり、
おばあさんのガンバリを見ならったりするよい機会となります。

そうしてこの単純な双六のルールのなかに、
『一回休み』があったり、もとのところへもどるとか
 ・・・・・・」(p44~45)

はい。楽しくてついつい長く引用したくなりますが、
これくらいにして、つぎに行きます。

「さて、もう一つのカルタについて・・・・
たとえば、『いろはかるた』と呼ばれるものは、
明治時代以降の庶民の子ども達の正月には、不可欠の遊びでした。

それは『一寸先は闇』という『上方いろは』や、
『犬も歩けば棒にあたる』の『江戸いろは』、あるいは
『一をきいて十を知る』といった『中京いろは』というように、

たくさんの同類異型をうみ出し、そのなかで当時の子ども達へ
伝えたい、教えるべき諺を選んでいたのです。年末年始だけ
売られる、しかも4、5歳からせいぜい10歳くらいまでの、
庶民の子相手のものであるから、いたって粗末なものであり、
いずれも出版元など明確にしないものでありながら、
生活の知恵や人生訓がおりなされており、遊んだ子の心に残り、
後々まで少なからぬ文化の培地となっていきました。
・・・・」(p46)

はい。こちらもまだ続きますが、ここまでにします。
昨日この古本が届いたのですが、
そうだ、今年のお正月もすっかり双六・カルタを、
私は思い浮かべることもなく過ごしておりました。
そうですよね。せいぜい『いろはかるた』くらい
思い浮かべれば楽しめただろうになあと、思うは
『あとの祭り』『あとは野となれ山となれ』。

まったくもって、『いろはかるた』を本で知る、
私みたいな者は、そもそも『いろはかるた』と、
『お正月』とが、むすびつかないでおりました。


注:『培地(ばいち)』とは
「微生物や生体の組織などの培養のために、
 栄養物を組み合わ調製した、液体又は個体の物質。・・」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界を斜めにえがおで疑う」

2022-01-12 | 産経新聞
はい。産経新聞の1月8日(土曜日)に
気になる短文が3つあったのでした。
どれから引用するか。
まずは「週刊誌ウォッチング 花田紀凱(かずよし)」

「2年前からのコロナ禍に関し、
『週刊文春』と『週刊新潮』の報道ぶりが全く対照的。
ワイドショーなどと同じく『煽りに煽ってきた』のが『文春』。
典型が『8割おじさん』こと西浦博京大大学院教授の重用だ。
一方、『新潮』は一貫して、冷静な報道を続けてきた。」

ということで、ここには『新潮』から引用箇所を引用してみる

「『新潮』では
東大名誉教授で食の安全・安心財団理事長の唐木英明氏が、
〈『南アではあっという間にピークアウトし、
  死者の増加がなかったと南ア政府が発表し、
  それを研究者たちも認めています。
  オミクロン株の実態はインフルエンザに近い』〉

浜松医療センター感染症管理特別顧問の矢野邦夫医師。
〈『7、8月までには、新型コロナは外来で対処できる
  風邪になっているいと、私は予想しています』〉 」

はい。ここでは、文春からの引用はカットしました。
1月8日産経新聞一面コラム「産経抄」は最初から引用。

「北京冬季五輪の開幕が近づくにつれ、
 昨年のバカ騒ぎは何だったのかとの苦い思いが募る。
 当時、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長だった
 森喜朗元首相の女性をめぐる軽口をめぐり、
 『日本に五輪開催の資格があるのか」とまで攻撃した識者らは
 なぜ今、口を閉ざすのか。

 森氏が『女性は話が長い』と語ると、マスコミは一斉に
 人権や性別、宗教などでの差別を禁じる五輪憲章違反だと
 たたいた。朝日新聞は社説で『暴言・妄言』『女性全般を侮蔑』
 と決めつけたが、少数民族を弾圧し、ウイグル人女性に
 不妊手術まで実施しているとされる中国に対しては、
 もっと非難してしかるべきだろう。
  ・・・・・・・・・・・・・

 政界もマスコミも内弁慶で、
 相手が中国となるとおとなしくなる。」

うん。一面コラムの最後も引用

「だが、中国が今日のように怪物化したのは
 日本の支援も大きい。・・・・・・・・・

 日本が総額で7兆円にもなる政府開発援助(ODA)など
 を続けなければ、中国の軍事大国化は難しかったのではないか。

 日本は中国の現状に責任がある。
 せめて17日召集の通常国会では、真っ先に中国による
 人権侵害非難決議案を採択すべきである。」

産経新聞のあと気になった一箇所は
平凡社社長・下中美都さんが「私の本棚」で、
『幸田文 しつけ帖』を紹介しておりました。
そこを引用するまえに、思い浮かんだ
石原吉郎の詩を、そのまえに引用。

     世界がほろびる日に  石原吉郎

  世界がほろびる日に
  かぜをひくな
  ビールスに気をつけろ
  ベランダに
  ふとんを干しておけ
  ガスの元栓を忘れるな
  電気釜は
  八時に仕掛けておけ

     (「続・石原吉郎詩集」現代詩文庫・思潮社 p59)

はい。下中美都さんが紹介する
幸田文著「幸田文 しつけ帖」(平凡社)

「・・・平凡社に入社後、編集者として文の作品を
 衣食住のテーマで編み直しました。
 『しつけ帖』は1冊目です。継母と折り合いが悪かった文に、
 父親の露伴は家事を教えます。露伴がしつけた暮らしを生きる
 心構え・・・新鮮に映りました。
  ・・・・・・・・・

 人の役に立つため、心を配るのが家事。
 例えば、生き物として相手に向き合えば、
 『乾燥しているからのどが渇くだろう』とか、
 欲することが分かるはず。それが、今の世では
 親から教わることも減り、マニュアル化している
 ように思えます。
 相手にきちんとモノを言うことが苦手になって、
 コミュニケーションの真ん中が欠けているよう。

 だからこそ、正直で気骨がある文の言葉、
 心を鍛える教えは、『現代のなくしもの』を
 探すヒントがある。

 露伴は自然に親しみ、
 四季にかこつけて勝手にお祝いをする人でしたが。
 カラスの鳴き声や植物に感じたこと、
 交わした会話や教えに導かれ、文は自然に触れることは、
 『この上ない老後の仕合わせにつながった』と振り返ります。
  ・・・・・
 季節感は、気持を新たにしてくれるのだと実感しました。

 疲れたときに文の文章を読むと、背筋が伸びる感覚があります。
 同時に包み込むような愛情を感じ、おなかのあたりがポカポカ
 するような充実感もあります。・・・・」


はい。産経新聞を講読しているのですが、
毎日ちゃんと読んでいないけれど、時に
印象深い言葉に包まれることがあります。
 
    
   



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『新成人へ』ダー子より。

2022-01-11 | 産経新聞
昨日の1月10日新聞の全面広告に、
コンフィデンスマンJPとある。
何なのだろうと、気になるので
手書きの一枚の手紙を読んでみる。
はじまりは、『素直とは疑うこと』。
さいごには、「新成人おめでとう  ダー子」とある。
うん。昔あった新成人諸君!みたいな広告かなあと
手紙をひらくように読む。
その本文のはじまりは、

「目に見えるものが真実とは限らない。
 何が本当で何が嘘か。・・・・・」

「日本は世界に遅れをとるばかりと声高に識者はさけぶが、
 ひとつのゴールがない世界に遅れなどあるのか。
 私たちの周りに≪真実≫は溢れ返っている。
 存分に疑おう。

 ネガティブに思われがちだが、
 疑ってみることからはじめて
 世界は面白き方向に広がっていく。
 何より自分に正直に生きる事は
 楽しくこころがみちる。
 素直な大人になろう。
 
 誰かが言うことに染まるのは素直ではない。
 自分の心を覗き、世界を斜めにえがおで疑う
 ことこそが素直なのだ。」

はい。全面広告の文の、数行をカットして
ほぼ全文を引用しました。

引用しながら、思い浮かんだのは、
長田弘の詩「新聞を読む人」でした。
うん。ついでに、その詩からも引用。

 ・・・・
 怖くなるくらい、いまは誰も孤独だと思う。
 新聞を読んでいる人が、すっと、目を上げた。
 ことばを探しているのだ。目が語っていた。
 ことばを探しているのだ。手が語っていた。
 ことばを、誰もが探しているのだ。
 ことばが、読みたいのだ。
   ・・・・・
   ( 長田弘詩集「一日の終わりの詩集」から )


うん。ダー子さん。長田弘の詩よりもいいよ。
ダー子さんの言う『素直な大人になろう』が、
65歳を過ぎてしまった僕にも響いてきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月14日は悪態記念日。

2022-01-10 | 好き嫌い
池田弥三郎著「日本故事物語」(河出書房新社・昭和47年)。
はい。古本です。文庫にもなっているようです。

ここに、正月14日の祭が紹介されておりまして、
気になっておりました。はい。すぐに忘れるので引用しておきます。
はい。途中からの引用になります。

「江戸っ子は、こういう悪態のせりふを作ることもうまかったし、
実際に悪態をつく技術もすぐれていたようだ。これは、
江戸のことばのもつ性質や、江戸っ子の性格が、たんかをきるのに
適当であったということによるのだろうが、これがいまでも
のこされて随所に出てくるのが江戸歌舞伎の『助六』の舞台である。

  ここな、どぶ板野郎の、たれ味噌野郎の、出しがら野郎の、
  そばかす野郎め。引込みやがらねえか
  わるくそばえやがると、大どぶへさらい込むぞ。
  鼻の穴へ屋形船蹴こむぞ。こりゃまた何のこってェ

助六の芝居では、この悪態を中心とする言語技術が
芝居の大きな要素となっている。・・・・・・・・
 ・・・・

江戸っ子は明治になっても、この伝統は失っていない。
前にあげた漱石の『坊っちゃん』の中の悪態も、読者の溜飲をさげさせる。

では、なぜ日本人はこんなに悪態が好きで、
また悪態のうまい国民なのだろうか。

日本の祭に、昔から悪態祭というのが各地にある。
悪口祭とも悪たれ祭とも言うが、こういう祭には
氏子同士が悪口の限りを尽して言いあいをし、
悪態をつかれても、つきかえしはするが
おこりはしないという風習がある。

『総合日本民俗語彙』によれば、
茨城県西茨城郡岩間村の愛宕(あたご)神社の
正月14日の祭では参詣者の群の中で悪口の上手な者が幅をきかす。
唾をはきかけるものまであって、初めての人は驚嘆するというし、

あるいは、和歌山県有田郡の山村に残っている御田の舞でも、参詣者が
悪口の言い合いをし、けなすと秋のこなしがよいなどという、とある。

実際に、三・信・遠の国境の村々に行なわれる花祭では、
舞処(まいと)に舞う舞人に対して、さらには普段見かけぬ
よそ村の人やわれわれ旅行者に対しても、まわりにつめかけた
村人たちが悪態の限りをつくすのが一つの見どころにさえなっている。

大きなまさかりを持って舞う山見鬼が、
その舞のはげしさにややもすればおどりの手がにぶるが、
そのたびに、腰がふらふらしているとか何とか、
悪態を言ってはやしたてている。
東京から採集に行った際に、遠来の客に山見鬼を舞わせてくれたが、
見様みまねで一生懸命舞っている採集者に
『ダンスみたいだぞ』という悪態がとんだこともあった。

ここで気がつくことは、
悪態をつかれても絶対におこらないということ。
もうひとつは、かならず悪態を言わねばならぬ
という生活が、日本人にはあったということである。
・・・・」(単行本・p75~76)

このあとに、池田弥三郎さんの締めくくりの言葉があるのですが、
うん。引用はここまで。ちなみにこの短文の題は
『おしゃれしゃれてもほれてがないよ』となっておりました。

はい。悪態。
ということで、正月14日の悪態記念日。
うん。サザエさんを描いた長谷川町子さんが、
描く意地悪ばあさんのようなものでしょうか。

それにしても、一年中悪態をつきっぱなしの、
野党者もいるのだろうなあ。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉を楽しむ習慣。

2022-01-09 | 地域
久冨純江著「母の手 詩人・高田敏子との日々」(光芒社・平成12年)に
出てくる明治が思い浮かびます。
まずは、高田敏子の年譜から

1914年(大正3)9月16日、東京日本橋区(現在中央区)に生まれる
(次女)。旧姓塩田。父政右ェ門、母イト。家業は陶器卸商。
  (自編年譜「高田敏子全詩集」花神社より)

久冨純江さんは、高田敏子の長女(1935年生れ)です。
それでは、久冨さんの本からの引用。

「学問にも文学にも縁のない家だったが、ふだんの暮らしのなかで、
言葉を楽しむ習慣はあったようだ。」(p187)

このあとに、高田敏子の文を引用しております。

『私の家は商家だったので、学問には縁はなかったが、
祖母や父母が折々に口にする芭蕉、一茶、千代女の句、
道元禅師の歌など幼い耳にも親しめるものがあった。

  朝顔に釣瓶とられてもらひ水 (千代女)
朝顔の種を蒔き、水をやり、のびたつるに竹を添えて
毎朝花を数えるたのしみを知りはじめたころに、
母からこの句を教えられた。私が一番初めに覚えた七五調、
その頃は井戸も身近にあったことで、その意味もすぐにわかり、
朝顔のつるが自然に竹の方にむいてゆく不思議さもおもった。
  ・・・・・・・・・・

 春は花 夏ほととぎす 秋は月 
     冬雪さえてすずしかりけり (道元禅師)
この歌は、祖母から教えられた。花の下、月の夜、祖母は
≪ああ、ありがたや≫というようにして、口ずさんでいた。

祖母や母が、特にいくつもの歌や句を知っていたわけではないのだが、
それだけに同じ歌、句を繰り返し聞くことにもなって、
子どもの心にもはいってゆく。
覚えやすい七五調の音律が、自然にものの見方や思い方を教え、
昔の家庭ではそれが教訓にも、しつけにもなっていたのだと思う。』

このあとに、久冨さんの文になっておりました。

「本家に泊まると、朝、大伯父の朗詠する明治天皇の
御製を聞きながら幼い母は目を覚ました。
この時代の人たちがおおかたそうであったように、
大伯父も明治天皇の崇拝者で、伊勢神宮、皇居の遥拝のあと、
仏壇の上の壁にかけてある御真影に向かって
何篇かの御製を朗々と歌い上げる。意味が分からないままに、
母はその心地よい調べをうつつの中で聞いていた。

祖父政右衛門の唯一の楽しみは浄瑠璃で、
夕食後の茶の間で語っていたし、祖母は
毎月の芝居見物でなじんだ台詞を使って躾をする。
・・・・」(~p188)


今泉宜子編「明治神宮戦後復興の軌跡」(鹿島出版会・平成20年)
の最後の方に、ひとつの写真があり、印象深い。写真下には
「明治神宮復興遷座祭の日。
 この日を待ちわびていた多くの参拝者が集まった」とあります。

その写真は、復興なった明治神宮の側から、
賽銭箱の柵の前で、参拝に来られた方々の、
顔顔が写されているのでした。
最前列には、白髪のご婦人方の着物姿が並びます。
待ちわびたような、安堵したようなご老人の方々で、
その後ろにはもう顔顔顔が写りこまれております。
うん。この本の表紙カバーにも、同じ写真が載せてありました。
後ろの門のところから、まだ人が続々とつめかけているのが
わかります。

そうでした。産経新聞(1月4日)の平川祐弘氏の対談に
こんな箇所があったのでした。

平川】 ・・明治天皇の和歌を読みますと、
   神道の気分がよく出ています。明治神宮には、
   月ごとに明治天皇の御製が掲げられており、
   参拝のたび、すばらしくて感心しています。
   おおらかで、王者の風の歌でいいなあと思います。

今泉】 先生は、神道の詩的表現が明治天皇の御製に
    表れているとよくおっしゃいますね。


はい。最後には、掲げられる御製から一首を


   あさみどり澄みわたりたる大空の
           廣きをおのが心ともがな


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エイ、オー、エイ、オー・・

2022-01-08 | 本棚並べ
たのんでいた古本が今日とどく。
『明治神宮 戦後復興の軌跡』(鹿島出版会・平成20年)。
今泉宣子編・明治神宮社務所発行。

うん。ページをめくるたび写真が目にはいる。
明治神宮の写真集のような感じで見れる一冊。
パラリとひらいたこの箇所を引用することに。
その写真には、
「昭和30年6月26日、木本祭斧入れ式・・」(p67)
と説明があります。そこの文のはじまり

「エイ、オー、エイ、オー、エイ、オー —―――。
昭和30年6月26日、奥深い木曾山中に杣人(そまびと)の声が響き渡った。

明治神宮造営工事の開始を告げる第一の神事、
御用材伐採始めの木本祭(このもとさい)である。
御社殿の御柱に供する木の本で斧を祭壇に供え、
この日より始まる伐採の無事を祈るのだ。

ここは岐阜県武儀(むぎ)郡七宗(ひちそう)村(現・加茂郡七宗町)、
岐阜営林署管内岩井谷事業所の国有林地である。

造営委員会においては、木造による社殿造営が決定したのをうけて
直ちに御用材の調達に着手、林野庁に特別払い下げを申請した。
林野庁はこれを受けて、長野・名古屋を含む各営林署を通じて手配。
伐採の最初の現場となったのが、この七宗国有林であった。
・・・・」(p66)

表紙には、こうも書かれておりました。

「代々木の杜と鎮座地渋谷。焼け跡からの再生物語」

はい。わたしなど、読まずに写真だけをパラパラとめくります。
建設現場の雰囲気が伝わってくるようなそんな一冊なのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンクリート造りの神社。

2022-01-07 | 前書・後書。
今泉宣子著「明治神宮」(新潮選書)が昨日届く。
はい。はじまりの1ページを引用しておきます。

「・・木造檜造の明治神宮社殿は、
昭和20年4月に渋谷方面を直撃した空襲により、灰燼に帰した。

それから7年後の27年4月、前年に調印されたサンフランシスコ
講和条約が発効し、進駐軍の占領解除に至る。

独立回復後はじめて迎えた秋の一日、
明治神宮復興を期した協議の場で焦点となっていたのは、
新社殿は木造かそれともコンクリート造であるべきかということだった。

社務所やその他の施設は不燃性材料でよいが、
せめて社殿は『創建当初』のように木造にしたいという主張への反論が
・・『では、神様は燃えてもよいのか』である。
このようなコンクリート派の訴えの背景には、
大震災と大空襲を経験した我々が、社殿を二度と
焼くことがあってはならないという悲痛な思いがある。

・・・再建をめぐる激しい議論の応酬は、
30年4月の会議で社殿は木造檜造という
合意に達するまで続くことになる。・・・・」(p3)

平川祐弘・牧野陽子著「神道とは何か」(錦正社)の
平川氏の文章の中に、焼き払われた明治神宮の
空襲のことが語られておりました。
うん。その箇所も引用しておくことに。

「・・日本の精神的バックボーンを粉砕するために
1945(昭和20)年4月13日から14日にかけての
第二次東京夜間大空襲の際に明治天皇が祀られている
明治神宮に対しておびただしい焼夷弾を意図的に投下し
それを焼き払いました。火炎天を沖(ちゅう)する様が
代々木西原の私の家からも見えました。

軍事施設でもない神社を爆撃目標にしたのは
文明的行為とはいえない。野蛮そのものです。

しかし西部劇でインディアンの祠(ほこら)に白人の
騎兵隊が火を放つ程度の感覚だったのではないでしょうか。
・・・・・・」(p26)

私たちの地域でも、
車で1時間ほどかけてもお参りする神社があります
( わたしは、あまり行かないのですが )。
いつからか、私が知るころにはコンクリート造りとなっておりました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つつましやかな。ささやかな。

2022-01-06 | 産経新聞
産経新聞1月4日の対談は、
インタビューとは違い、新春対談のように読みました。
平川祐弘氏がまずこう語っておりました。
「私はこの機会に若い方とお話ししたいと思いました。」
こうして、91歳になる平川氏が51歳の今泉宣子さんを指定しての対談
になっております。読みはじめると、どうやら師弟対談なのだとわかります。

今泉さんが、語るのはまず
「私は学生のころからボンヤリしていて比較日本文化が
 何なのかよく分からいないまま卒業しました。」
とありまして、すこしあとには
「平川先生の著作の中で私に印象に残っており、今も大切に
しているのが『西欧の衝撃と日本』(講談社学術文庫)です。」
とあるのでした。

はい。新春対談に文庫がとりあげられている。
では、とさっそく文庫のなかから引用することに。
『西欧の衝撃と日本』の最終章は第10章
「クローデルの天皇観 日本のこころを訪れる眼」でした。
そこに明治神宮への記述があります。
はい。そこを引用してゆくことに。

「都の中にありながら山野の中にあるがごとき心地する
明治神宮の鬱蒼とした森ほど東京に住んで嬉しい場所はない。
・・・・この森は、人工でありながら、人工の感を与えない。
いまの東京の小鳥や老若男女の心のやすらぎの場でもある。」
(p443)

「晩秋など、かしわ手をうつ人の足もとに紅葉が散っている
こともあるが、クローデルに日本国民の心を感じさせたのは、
その社頭に木の葉のように散っていた銅貨や銀貨であった。

『それはそれだけの数のつつましやかな祈りやささやかな願い
 事のあらわれなのである。人間という森の中から風にのって
 ここまで運ばれてきた幾枚かの木の葉なのである』

クローデルもかつて愛唱したヴェルレーヌの詩には、
秋の日のヴィオロンのためいきや過ぎし日の思い出とともに、
『うらぶれてここかしこさだめなくとび散らふ落葉』
としての人間存在が虚無的な淋しさをもって歌われていた。
それがパリの公園の物悲しい憂愁であった。

しかしこの東京の明治神宮で、
お賽銭をあげて祈る老若男女には信(しん)が感じられた。
その人たちのつつましやかな願い事や祈りを感ずる
カトリック信者のクローデル大使の言葉は温い。
森とか風とか木の葉とかいう大地のエレメントに結びついた
イメージも、農民の国フランスの農村の出身のクローデルに
ふさわしい。・・・」(p444)

ちなみに、『西欧の衝撃と日本』は初版が昭和49年でした。
この第10章のなかに、平川氏はこう書き込んでおりました。

「私は畏敬の念の奴隷となった人の狂信を愚かしく思うが、それと同時に
なにものにも畏敬の念を持ちえない人の猜疑心を愚かしく思う。
過度の猜疑心は軽信(けいしん)の一形式にしか過ぎない。」(p446)


もどって、この新春対談は、今泉さんが平川氏へ
今年の秋のシンポジウムへの参加出席をお願いして終わっておりました。
その最後の箇所も引用しておくことに。

平川】・・・・戦後のインテリは『日本に生まれて悪かった』
 みたいなことばかり言っていたから、私はあえて
『日本に生まれて まあよかった』(新潮新書)を書いたのです。

頭の不自由な、いつまでたっても変わらない、
変われない旧弊な左翼の方や、似たように頭の固い右翼の方には
嫌われるかもしれないが、シンポジウムではそんな話をしたいと
思います。

今泉】 楽しみにしています。
    本日はありがとうございました。










コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊に満ち満ちた日本。

2022-01-04 | 産経新聞
はい。産経新聞2022年1月4日(つまり今日)に、
平川祐弘氏と今泉宣子さんの対談が2ページにわたり
掲載されております。
うん。おもしろいので、ここは
いつものように最初の方と最後とを引用。

今泉】・・平川先生は神道について述べるとき、
 ラフカディオ・ハーンの
『Ghostⅼy Japan(ゴーストリー・ジャパン)』
という言葉を訳して、
『霊に満ち満ちた日本』と表現なさいます。
soul(ソウル=魂)でもspirit(スピリット=精神)でもなく、
しかも形容詞でghostly。
日本は霊に満ち満ちているという、
神道を表すのにこれほど適切な表現はないなあ、
ととても感動したのです。


 はい。つぎは最後の箇所。
牧野陽子さんとの共著「神道とは何か」(錦正社)に
ついて語られておりました。

平川】 牧野陽子さんと二人で日本語と英語の両方で
書いたら、売れているようで驚いています。
 ・・・・
アイルランド大使館の後援で、
日本語の講演を同時通訳してもらったのですが、
後で英訳を見たらひどいものでした。
同時通訳の限界ですが、このままでは
『日本人の教授たちは何をバカなことを言っているのか』
と、来場した各国大使たちに思われかねないので、
二人で英文を書き直して書籍にした次第です。
 ・・・・・・


はい。読めてよかった。師弟対談でした。
興味を持ったので今泉宣子さんの古本を注文することに。
ちなみに今泉宣子さんの肩書は
明治神宮国際神道文化研主任研究員。
昭和45年、岩手県生まれとあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝(けさ)汲む水は。

2022-01-01 | 地域
今日は、5時半頃に起きだし、
昨年のカレンダーの裏の白紙に、
習字を書き、それを音読して、
それから、水道の水をコップにつぎ飲む。

  今朝汲む水は
  福汲む水
  汲む宝汲む
  命永くの水を汲むかな

はい。それから10~15分歩いて海岸へ。
雲はないのですが、水平線ぎりぎりに
雲が横長にかたまっているので、
日の出の待ち時間がながくなる。
釣り人やサーファーもいる。
堤防に来ている人がふえる。

はい。帰ってから昨日の晩にひきつづき日本酒。
それから、昼まで寝ておりました。

今年がよい年でありますように。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする