和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

友人の音信(おとづれ)を受取る。

2023-04-13 | 手紙
篠田一士著「幸田露伴のために」(岩波書店・1984年)。
はい。露伴を読まないくせに、気になる個所をチェック。

「露伴を知らなければ、日本文学そのものとはいわない、
 少なくとも日本の近代文学がもつ底力は、ついに理解されないと、
 ぼくは、だれはばからず断言する。 」( p137 )

ここで、「日本文学そのものとはいわない」と断っている。
こういうのが、私にはこたえられない箇所です。なぜって、
私は文学を読まないから、そんな変人をも取り込む言葉に、
まいってしまいます。それじゃ、どういう『底力』なのか。

わたしにも読めそうな紹介がしてありました。ありがたい。

「・・60過ぎた露伴が書いた、ささやかな昔話『野道』一篇を
 読んだだけでも、そこには、粋なデリカシーが躍動し、
 ときとして、西脇順三郎の詩に通じるようなモダニスチィックな
 感性のよろこびさえ汲みとることができるのである。 」( p127 )

なんか、読んでみなきゃ、意味が理解できなさそうな箇所。
ここで、『ささやかな昔話』を読んでみなきゃとなります。

ありました。「露伴全集」第四巻

   昭和28年3月10日第一刷発行
   昭和53年6月16日第二刷発行

そんなに、戦後に読まれていなかったようだとわかります。
それはそうと、『野道』は8ページの短文(昭和3年)です。
この短さならば、例え旧かなでもどなたでも読めそうです。

春になり、郵便で音信がとどくところから始まります。
その四行目から1ぺージ目をつい引用したくなります。

「 無事平和の春の日に友人の音信(おとづれ)を受取る
  といふことは、感じのよい事の一(ひと)つである。

  たとへば、其の書簡(てがみ)の封を開くと、
  其中からは意外な悲しいことや煩(わずら)はしいことが現はれようとも、
  それは第二段の事で、差当つて長閑(のどか)な日に友人の手紙、   
  それが心境に投げられた惠光(けいくわう)で無いことは無い。

  見ると其の三四の郵便物の中の一番上になつてゐる一封の文字は、
  先輩の某氏の筆(ふで)であることは明らかであつた。

  そして名宛の左側の、親展(しんてん)とか侍曹(じさう)とか
  至急(しきふ)とか書くべきところに、閑事(かんじ)といふ二字
  が記されてあつた。閑事と表記してあるのは、

  急を要する用事でも何でも無いから、忙しくなかつたら披(ひら)いて読め、
  他に心の惹かれる事でもあつたら後廻しにして宜(よ)い、という注意である。

  ところが其の閑事としてあつたのが嬉しくて、
  他の郵書よりは先づ第一にそれを手にして開読した。
  さも大至急とでも注記してあつたものを受取つたように。 」(p437)


はい。これが最初の1ページ目にあるのでした。
それから・・・・・。

つい、したり顔して最後まで説明したくなる。
でも、ここまでにしておくことにいたします。

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広い範囲の中の百人。

2023-04-11 | 本棚並べ
アンソロジーを選ぶ人って、いったいどんな選択基準なのか?

そんな思いで丸谷才一著「文章読本」(中央公論社・昭和52年)をひらく。

その第二章は、「名文を読め」でした。ここから引用。

「 有名なのが名文か。そうではない。
  君が読んで感心すればそれが名文である。

  たとへどのやうに世評が高く、
  文学史で褒められてゐようと、
  教科書に載つてゐようと、
  君が詰まらぬと思つたものは駄文にすぎない。

  逆に、誰ひとり褒めない文章、
  世間から忘れられてひつそり埋れてゐる文章でも、
  さらにまた、いま配達されたばかりの新聞の論説でも、
  君が敬服し陶酔すれば、それはたちまち名文となる。
  君自身の名文となる。・・・   」( p26 )


このあと、丸谷氏は『ただし』とつなげてゆくのでした。

「 ただしここで大切なのは、広い範囲にわたつて多読し、
  多様な名文を発見してそれに親しむことである。

  これは、わたしのすすめた、君自身の名文との・・・
  独断的な関係がともすればもたらしがちな幣を補ふのに、
  ずいぶん役立つだらう。

  それが文章の初心者の幼い趣味を陶治し、
  洗練してくれることは言ふまでもない。

  第一、われわれの文章のあつかはねばならぬ主題はおびただしく、
  われわれの文章の伝へねばならぬ気分は数多い。
  それゆゑ必然的に文章の手本は多種多様でなければならない。」(p27)


それでは、アンソロジストの丸谷才一氏は、それからどうしたのか?

はい。『 ただしここで大切なのは、広い範囲にわたつて多読し、
     多様な名文を発見してそれに親しむことである。   』とある。

『文章読本』を発表した、33年後の1999年に
 丸谷才一著『新々百人一首』を出します。
 丸谷さんが『大切にした』広範囲にわたって多読し、
 多様な名文を発見し、それに親しんだ成果を
 百人一首と限定して、提示してくれています。

 はい。わたしは、まだ読んでおりません(笑)。




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言うまでもなく。

2023-04-10 | 道しるべ
「四季終刊 丸山薫追悼号」(1975年)に掲載されていた
篠田一士の「打明け話」(p193~195)の最後は、こうでした。

「 一介のアンソロジストとして・・・
  なるべく早い時期に全詩集を読んでみたいと願っている。 」

ここに、ご自身を『一介のアンソロジスト』としておられる。
アンソロジストの紹介する本を片端から読んでみなくてもいいのかもしれない。
あらためて、そう思ってみるとだいぶ、気が楽になってきます(笑)。

ということで、幸田露伴を読まなくてもいいやと、
短絡的に判断しながら、気が楽になります。なんのこっちゃ。

それはそうと、詩とアンソロジーということで、
思い浮かぶ対談がありました。
丸谷才一対談集「古典それから現代」(構想社・1978年)
そのなかにある大岡信氏との対談「唱和と即興」の
しめくくりで、丸谷才一氏はこのように語るのでした。

丸谷】 それで思い出したけれど、
    アンソロジーがどういうものかわかってないのが、
    近代日本文学ですね。『新万葉集』とか『俳句三代集』とか
    いうアンソロジーがあったでしょう。あれ読んでみても、
    ちっとも面白くないね。ただ雑然と並んでいる。・・・・


はい。のちに、
丸谷才一氏は『新百人一首』を、
大岡信氏なら『折々のうた』を、発表するわけです。
そう思いながら、この丸谷さんの話を聞いてみたいのでした。
その話をつづけます。

   
    近代日本文学における詩の実状を手っとり早く示しているのが、
    いいアンソロジーが一つもなかったってことですね。

    つまり、文学と文明との間を結びつける靭帯がなかった。
    言うまでもなく、文学の中心は詩なんだし、

    その詩と普通の人間生活、あるいはそれをとりまく文明とを
    結びつけるのは、個人詩集じゃなくて詞華集・・・。

    だから、ある程度以上の歌人、俳人になると、
    年間十首とか、二十句とかいうのがあって、それで
    それに載ったといって喜んでる本があるでしょう。

    それは歌人、俳人の、歌壇的、俳壇的な位置のためには大事でしょう。
    しかし、現代日本文明にとって、
    そのアンソロジーは何の意味もないわけですよ。

    眠られないときに、日本人がみんな読む、
    そういう詩のアンソロジーはないんですよ。

    詩人の仕事が今の社会の言葉づかいに対して
    貢献するというようなことはないし、まして
    一社会の恋愛の仕方をきめるなどという、
    大それたことはやってないんだ。これではいけない。(笑)

大岡】 しかし、そういうものをつくれない時代なんだよね。

丸谷】 そうなんです。つらい話になってしまった。(笑)
    対談はこのへんでよして・・・
                        ( p120~121 )
   


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かぎりなく、のびやかに。

2023-04-09 | 本棚並べ
篠田一士著「幸田露伴のために」(岩波書店・1984年)を
本棚から出してくる。

うん。これを読み幸田露伴を読もうと思った。けれど読めなかった。
露伴はダメでしたが、せめて本のおさらいだけでもしておかなきゃ。

はい。そんな思いで本をひらきます。
この本の最後には「『露伴随筆』を読む」があり、
そこで、随筆にふれている篠田氏の文を紹介してみます。

「・・小説との類縁よりは、いっそのこと、
 随筆と言い切ってしまう方が、なにかと作品の内外を
 手広くとらえることができるし、それだけに、一層分りよくなる。

『 小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだ 』
 というのは、鴎外の有名な立言だが、

 随筆こそ、この定義を、かぎりなく、のびやかに
 受け入れることができるジャンルだろう。

『 心にうつりゆくよしなし事 』というものの、
 思索の結果の、深浅さまざまな感想にかぎらず、
 作者の経験譚、聞き書き、あるいは、書物のなかから拾い採った一節と、

 なんでも構わず、自由なのである。
 しかも、それ以上に自由なのは、文体である。

 随筆は、小説と同じく、散文で書くのを基本とするが、
 詩歌をいくら引用してもよろしく、さらに、
 
 その散文は、都雅麗文から、鄙卑俗語にいたるまで、自在に混用を許し、
 それが、また、随筆を読むよろこびをいやましにする。・・・・    」
                        ( p204~205 )

あと、一箇所引用。


「 『 支那の文学を味はゝうといふのならば、
    支那の人士の尊尚してゐる詩や文章を味はゝねばならぬのである 』
   
   と露伴はいみじくも書いているように、
   ヨーロッパ文学の本質を把握しようとするならば、
 
   たとえ小説を捨てても詩や文章
  ( つまり、散文で書かれた、小説とは別種の作品群 )
   を読むことが必要だろう。    」 ( p73 )



ひょっとして、まだ露伴を読める機会があるかもね。
はい。そう思いたくこの本を未読本本棚へともどす。

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むしろバカにされてた。

2023-04-08 | 本棚並べ
篠田一士の本で、私に印象深かった本は何だろう。

篠田一士著「現代詩大要 三田の詩人たち」(小沢書店・1987年)
篠田一士著「読書の楽しみ」(構想社・1978年)

はい。下世話な話からはじめましょう。
『読書の楽しみ』のあとがきにかえてで、
篠田氏は、その最後を、こうしめくくっておりました。

「坂本一亀と知合いになって、もう、四分の一世紀になるだろうか。
 長いと言えば、長い時間だったが、今度、はじめて、
 ぼくの本が彼の手づくりでできあがったのは、
 なによりも、ぼくには、うれしいことである・・・
 こいうアンティームな本をつくってくれたことが、また、一層うれしい。」

はい。編集者・坂本一亀は、最近亡くなった坂本龍一の父親。
本の最後には、

    著者  篠田一士
    発行者 坂本一亀
    発行所 構想社 

とあります。
『浜の真砂は尽きるとも』というセリフがありますが、
篠田一士の文を読むと、砂漠の真砂を前にしているようでメゲます。
そんな中、アンティームな一冊『読書の楽しみ』はホッとできます。

もう一冊『現代詩大要 三田の詩人たち』。
この中から、堀口大學をとりあげた箇所から引用しておくことに。

「 言ってみれば、最初にお話しした久保田万太郎さんの俳句における
  軽み、これをヨーロッパ風のシックな形で近代詩のなかに生かしたのが、
  詩人堀口大學の持ち味、魅力ということになります。

  この軽みというのは、日本の近代詩のなかでは全く尊重されず、
  むしろバカにされてたんですね。

  萩原朔太郎は、堀口さんの詩は大したものじゃないと言っているし、
  日夏耿之介のごときは便所の落書きのようなものだ、
  と無茶なことを言っています。  」( p110 単行本 )

こうして大正14年に出版された堀口さんの訳詩集「月下の一群」の
ギイヨオム・アポリネエル「ミラボオ橋」を引用したあとに
篠田一士は、こう記しておりました。

「今から60年も前に発表された訳詩ですけれど、
 今読んでもわからないどころか、

 多少の違和感を感じる程度の日本語さえ、全く使われていない。
 ”無窮”という言葉が、あるいは見慣れない言葉かも知れませんけど、
 あとはごくありふれた日常語ばかりですね。  」(p116)

「原詩も、またありふれた、日常的な、平易なフランス語で書かれています。」
                       ( p118)

うん。最後は、この箇所を引用しておきます。

「 今、堀口さんの60年前に出た訳詩を
  現在の読者はほとんど違和感なく読める。
  これはやはり驚くべきことです。・・・

  昭和初年といえば、朔太郎が文語調で
  肩をいからせたような詩を書いていた時期ですし、
  一面ではモダニズム、シュールレアリスム運動が出てきた時です。

  ・・・その後、四季派の三好達治などが詩壇に大きな影響を与え、
  次いで戦後詩から始まっていろいろな新しい詩人がそれぞれ
  優れた仕事をして現在に至っているわけです。

  これら複雑かつ豊饒な詩的創造の歩みを理解するには、
  それなりに時代の距りを意識しながら
  乗り越える努力をしなければならないでしょう。

  しかし、堀口さんの『月下の一群』は、
  時間の距りを乗り越えるといった必要が全くない。ですから、

  かえって不気味というか、変な感じがしないでもありません。
  が、それは変に思うほうがおかしいんです。

 『月下の一群』は訳詩というより創作詩と考えてよいと最初に言いました。
  それだけの価値があるし、またそれだけの影響を与えている。  」

                     ( p127~128 )


はい。わたしはこれだけでもう満腹。
ほかの箇所は、また今度読める時に。
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遺憾ながら読めずじまい。

2023-04-07 | 本棚並べ
もう20年以上前に、筑摩書房の現代日本文学大系の
なかの一冊、『現代詩集』を買ったことがあります。
この一冊で、現代詩人27名の詩がテンコ盛りでした。
詩集を束にし積み上げ詰め込んだようなそんな一冊。

うん。殊勝にもそれを読めばたいしたものですが、
ちっとも読まずにその月報を読んで満足して終り。
ですので、ページは開きもせずきれいなものです。

この一冊の解説は、篠田一士。そして月報は、
丸山薫・竹中郁・大岡信の3人が書いてます。

はい。それを今回本棚から出してきました。
「四季終刊 丸山薫追悼号」のなかの
篠田一士の文が印象に残ったからです。
ということでその文を引用。

「・・・1972年の秋だったろうか、
筑摩書房の『現代日本文学大系』の編集部から、
翌年4月配本の『現代詩集』の編集をやってほしいと頼まれ・・・
ずっと先のことで、こんなに早いとは思っていなかった。・・・

もちろん、原案なるものがあって、それに手を入れればいいというのだが、
そう簡単に事は運ばない。原案を鵜呑みにできればいいが、実情は決して
そんな生易しいものではない。編集者として、できるかぎり納得のゆく
内容にするためには、何人かの詩人を新しく入れる必要があり、また、
何人かの詩人を削らねばならない。そのためには、

かなりの分量の詩集を読みかえし、新しく読むための時間と
心のゆとりが必要だ。二ヶ月ばかりでそれをやれというのは、
いかにも酷だ、ぼく自身も困るが、当の詩人たちの方がもっと
迷惑するだろうという思いが、ぼくを狼狽させた。・・・

忘れもしないのは、担当の編集者が用件を型通り申し述べ、
編集をぼくに一任したあとで、雑談しているさなかに、
丸山薫さんやダレダレさんはどうなりますかとたずねたとき、
ぼくが即座に丸山薫はぜひともほしいと断言したことだった。・・ 」
      ( p193~194 打明け話・篠田一士 )


はい。『現代詩集』には、丸山薫の『物象詩集』が入っておりました。
もちろん、今までそれを私は読んでいなかったのでこれから読みます。

篠田氏の文で『物象詩集』に触れた個所をあらためて引用してみます。

「・・『物象詩集』を知り、ここに収められた丸山薫の詩業の成果を
 ゆっくり味わいながら、ぼくはひそかに脱帽した。・・・

 丸山薫がつくりだした日本の新しい詩的言語の意味合いについては、
 いずれ機会をもて考えてみたいと思っているが・・・
 いま、ここに記しておきたいのは、
 この詩人ほど晴々とした詩作品を書きながら、
 晴れがましさといったものがほとんど感じられないことである。・・・」

せめて筑摩書房『現代日本文学大系』第93巻『現代詩集』に
収められている詩人の名前だけでも列挙しておきたく思います。
はい。20年間ちっとも読まずに、月報だけ読んですましておりました。
そして、これからもこの巻の全部の詩は読まないだろうなあと思います。

富永太郎・安西冬衛・逸見猶吉・田中冬二・竹中郁・大手拓次・丸山薫
壷井繁治・北園克衛・谷川俊太郎・竹内勝太郎・飯島耕一・山本太郎
谷川雁・鮎川信夫・田村隆一・大岡信・会田綱雄・吉岡実・清岡卓行
岩田宏・安東次男・天澤退二郎・中村稔・入澤康夫・石垣りん・澁澤孝輔

以上の詩人の詩が、ぎゅっと一頁3段400ページほどの一冊に押し込められて
あるのでした。今では字が細かすぎて読む気にならないなあ。

唯一の取り柄は、月報を読めたことでした。
そのはじまりは、丸山薫「詩というもの」でした。
はい。ここは負け惜しみに、丸山薫氏のこの文から数行を引用。

「・・・ズバリというなら、
 およそ詩を書こうとするほどの人々には、
 それぞれの時代・世代感覚の身についたものがあって、
 いたずらな議論は無用である筈だ。
 
 もしもそうした感覚に欠けているとしたら、
 遺憾ながら詩など書かぬほうがいいというよりほかはない。 」

う~ん。この一冊に入っている、丸山薫「物象詩集」の箇所をひらくと
なんとも、字が小さい。これじゃ読めないなあ。と早々に腰がひけます。

ちなみに、「物象詩集」自体は、いままでの詩集をからめて
まとめたもののようで、丸山薫全集でも「物象詩集」として
単独にページを割いてはいないようでした。

ひとつの収穫は、1973年(昭和48年)の現代詩という分野を
篠田一士は、こういう切り口で、こういう詩人たちを選んでいた。
そんなことが分かるという楽しみ。なんせ教科書の詩くらいしか知らない
私には、読んだことのない詩人が大半なのでした。

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河合さんのグリム。

2023-04-06 | 本棚並べ
はい。夏目漱石が『坊つちゃん』ならば、
河合隼雄は『グリム童話集』じゃないか。

ということで、『泣き虫ハァちゃん』さえ満足に読んでいない癖して、
とりあえずは、本棚に数冊をならべてみる。

河合隼雄著「泣き虫ハァちゃん」(新潮社・2007年)

河合隼雄著「〈うさぎ穴〉からの発信」(マガジンハウス・1990年)
  
   装画は長新太。カバーデザインが印象に残ります。
   1985年12月8日に新聞に載った「『グリム童話集』を読む」
   がはいっていました。

河合隼雄著「書物との対話」(潮出版社・1993年)

   こちらにも、「『グリム童話集』を読む」が入っています。
   その前の文には、こんな箇所がありました。
   「今から考えると、私の強いヨーロッパ志向は、
    グリム童話によって養われたところが大きいかも知れぬ。
    小さいときから、グリムに導かれて、私の魂はヨーロッパ
    旅行をしていたとさえいえるだろう。
    『赤帽ちゃん』(赤頭巾はそのように訳されていたと思う)
    という名前は、私の心のなかに深く刻み込まれたし、
    彼女とともに私はヨーロッパの森をさまよい、
    恐ろしい狼に出会ったりした。シンデレラは『りすの毛皮の靴』
    という題だったと思うが、そこに描かれたひとつのさし絵は、
    私にとっては何冊もの絵本と同じくらいに、
    私のイマジネーションを刺激するものであった。  」
                        ( p37~38 )


河合隼雄著「昔話の深層」(福音館書店・1977年)

 この本の装丁・挿絵は、鈴木康司。
 この本では「グリム童話を中心にとりあげるつもりである」
 と「はじめに」で紹介されています。
 そして、河合さんの文が終わると、最後に、この本で紹介された
 『グリム童話』のお話が矢川澄子訳と挿絵鈴木康司で読めます。

河合隼雄著作集5「昔話の世界」(岩波書店・1994年)

  序章のあとに、「昔話の深層」がおかれて、
  つぎに昔話関連文が並ぶ。解題も河合隼雄。

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『 泣き虫雲のあめまるくん 』

2023-04-05 | 地域
柳田国男著「涕泣史談」
河合隼雄著「泣き虫ハァちゃん」

2冊を並べてたら、ちょうど近くの画廊MOMOで絵本の原画展があった。
画廊といっても、週に3~4回。それも展覧会がある時にひらくお店です。

絵本は「泣き虫雲のあめまるくん」文・絵なっちょろ。2022年7月発行。
その色鉛筆の原画展でした。私が知ったのは、地方新聞の記事でした。
こうありました。

「・・富浦地区の堀川七摘さん(28)が出版した絵本・・
   原画展・・色鉛筆やパステルで描いた原画22点が並ぶ・・

   絵本は、泣き虫で多くの雨を降らせる嫌われ者のあめまるくんが、
   友人の助言で旅に出て、枯れた花や作物を元気にさせるなど、
   多くの人に感謝されるストーリー。

   ワーキングホリデーでオーストラリア、
   バックパッカーでアメリカなど海外を
   旅した経験のある堀川さん。2019年ごろに、
   あめまるくんのストーリーを思いつき、約4年かけて制作。
   ・・・現在は、地元で塾を経営する・・・         」


はい。ちょっとはじめの方を引用させていただきます。
引用は、友達のぴよちゃんが登場する前です。

「・・・あめまるくんは泣くことを止められません。

 そんなあめまるくんに、地上の人たちはこんな風に言うのでした。

 『 あめまるくん! 泣いていたら外で遊べないよ! 』
 『 あめまるくん! これじゃ布団や洗濯物が干せないわ 』
 『 あめまるくん! 明日は楽しみの遠足なんだから泣き止んでよ! 』

  みんなが一斉にあめまるくんを責めました。
  すると耐えきれなくなったあめまるくんは・・・・


この絵本の特色は絵もそうなのですが、
もうひとつあります。活字の下に英文。
うん。このページの英文も引用します。

  The people  down on earth spoke to Rainn like this.

       "Rainn! Ican't play outside because you're crying!"
       "Rainn!  I  can't air my laundry and bedding because of you!"
  "Rainn!! I have a special school trip tomorrow so please stop crying!"

      Everyone complained to Rainn at once.
      And then, he just couldn't take it any longer.

 
はい。毎ページの絵は、これはひらいてのお楽しみ。
興味のある方は、新刊がネット上で買えるのでした。


      

 
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『日々訥々』の息子と母と。

2023-04-04 | 詩歌
清水千鶴歌集「日々訥々」をつづけます。
あとがきに、こんな箇所がありました。

「 息(注:息子)が最近つくづく申します。
  私と話していると人生は長いとあらためて感じるのだと、

  自分はあと30年生きたとしても私の年に追いつけないと。
  しかもあと30年も生きる自信はないと、
  つまらぬことを言って笑います。

  ・・・・どうのこうのは私にはわかりません。
  ただ、授かり、守られ生かされてきたことは確かでございます。

 『 あんたもそうなんやで 』と息に申しますと、
  からからからと笑いました。

  もう30年、息が生き今日の私の年になったならば・・・・
  ・・・今日の私と同じことを話すと思います。

    時とはそういう力を持っているのでございます。   」


息子さんが、この歌集を編んで選んだ際の会話のように思えます。

それならば、千鶴さんのご両親は、歌集のなかで、
どのように歌われていたかを引用してみたいと思いました。

 『健康を祈ります』とう亡き母の色褪せしはがき本より落ちぬ  p144

 未熟児の私に千鶴と命名し長生き祈りし父なりと聞く      p145

 咳止めに金柑糖を煮てくれし亡母と真夏の風に寝ており     p163

 大根を桶になじませ積みてゆく亡母の手順をなぞりながらに   p164

 亡母の友をホームに訪えば歩いては鳴く縫いぐるみの犬と遊べり p169

 年老いて久びさ参る父母の墓黄の蝶きており我を待つごと    p172

 蝉時雨母の墓石に滲みとほる真昼我が影いとも短し       p189

 亡き母と墓参りに来し日この店にかき氷食みて喉うるおしぬ   p214

 リヤカーの豆腐屋路地に入り来ると亡母は呼びにき厨の窓に   p220

 若き父と年老いた母の眠る墓久々に訪えば小鳥さえずる     p239

 車いすに夫の遺影を座らせて独り語りの友の迎え火       p243

 孤独死の友の初盆送り火の舟消ゆるまで橋に佇む        p245

『さみしいね』言葉こぼさず隠居所に骨抱く姉と我は真向かう   p258

 灯ともせば窓に小さき蝶のおりそうっと見守る喪の家の厨    p259

 認知症の友も私も癒されぬ路地の木犀静かに語る        p267

 身寄りなき友の遺骨を納めたる塚の辺彼岸花ひたぶる赤し    p269

『家族だけで見送ります』参列の人影もなく白日の門辺に野菊咲けりp274

 生姜湯の湯呑みの温かし亡き母が病床で愛用したる思い出と飲む p281

 栗むかむナイフの先に灯の光り『危ないよ』という亡母の声す  p320

 われのみのエレベーター内お見舞の冬の苺が切なく匂ふ     p347

 長病みの友は目を閉じしまま故郷の川の猫柳を言ふ       p352

 病む姉の一坪の庭紅の牡丹花咲きて風集めをり         p361


 老いゆく思案の日々ゆるがせて生命保険のCMばらまくテレビを消しぬp85
 
 櫓の音と小鳥の声に行く水郷八方ふさがりの心を解きて     p127



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『日々訥々』歌集の京都。

2023-04-03 | 詩歌
古本だと、思いもかけない本と出会えます。

清水千鶴著「日々訥々(ひびとつとつ)」風媒社・2014年。
帯には「90歳の第一歌集」と小さくありました。

清水千鶴(しみず ちづる)
 大正13年1月18日京都市生まれ。
 旧制女学校時代、石川啄木の歌に触れ短歌を詠みはじめ、今日に至る。
 一切の同人、社中に与せず、無所属を貫く。京都市在住。

本の最後の著者紹介には、簡単にこうありました。気になり
「揺れて歩く ある夫婦の166日」エディション・エフ・2020年。
という本を、これも古本で買ってみる。
こちらは、写真集と文とが入り混じった一冊。
息子さんが、両親を撮った写真と文との一冊。
こちらからも引用。

「 母、清水千鶴は歌人だ。・・・ただ一人で歌を詠み続けてきた。

 ・・・89歳の誕生日を目前にした2012年の秋、
  母は突然歌集をつくりたいと言い出した。・・・

  母の思いを確かめた。母はこう言った。
 『 14歳から詠みはじめて来年で75年になるのえ。
   そろそろ人様の目に触れても恥ずかしくない
   歌もいくらか残せてますやろ。これはと思う
   歌を選んでお父ちゃんにも見せたげたいし  』

  ・・・その痕跡が残されていた。
  一日に少なくとも数十の歌を詠み大学ノートに記していく。
  その日の終わりにその日いちばんの歌を一首選び別のノート
  に写し取る。そうやって一日一首を75年つくり続けてきたのだ。

  『 そら難しかったわねえ。駄作の山からマシなんをひとつ
    選ぶのは。けど、よう続けてこられました。  』

   母は大学ノートの山を前に笑った。・・・・

  『 日々訥々とうめき続けた結果やねえ 』

   とまた笑った。
   それで母の第一歌集の標題は『日々訥々』に決まった。

   ・・・それらの歌の多くは身近な日常を詠んだものだった。
   どれも捨て難かったが、丸一年をかけて366首にまで絞り込んだ。

   ・・・2014年3月28日に上梓された。満90歳・・・・      」

                        ( p17~19 )


うん。私には選びようもないのですが、京都在住ということなので、
京都に関係するような歌なら、こりゃ選びやすそうです。
ということで、それを紹介することに。

   花売りのリヤカーに溢るる菊の花町の地蔵に赤きを選ぶ   p199

   路地を出づれば大の火の文字見えしまちマンション立ちて空の狭まる
                               p246

   父母の御霊を送る五山の火招くがごとく闇に吸わるる    p249

   機を織り日々を糊せし一角のさびれて京の良きまちくずるる p270

   六条河原しぐるる昼を托鉢の僧の呼び声尾を引きてくる   p312

   大原へ一里を示す標石を芯に燃えをり野の彼岸花      p330



はい。これくらいにします。
   



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みずから水やり。

2023-04-02 | 温故知新・在庫本
丸谷才一著「思考のレッスン」が身近にあるので、パラリとひらく。
こんな箇所がありました。

「 自分が読んだ本で、『これは大事だ』という本がありますね。
  あるいは、一冊の本の中で、『ここは大事だ』という章がある。

  そういうものは、何度も読むことが大切ですね。
  繰り返し読んだり、あるいは何年か間隔をおいて読む。 」

           (単行本p135 「レッスン3思考の準備」 ) 

はい。ちょうどこうして『何年か間隔をおいて』読んでおります。
今回ひらいていて、気になった箇所はここでした。

「 よく自分の疑問を人に話す人がいますが、これはお勧めしません。
  というのは、そんなことを他人に話したって、だいたい相手にされない。

  相手にされないと、『 これはあまりいい疑問じゃないのかなあ 』
  と自信をなくして、せっかくの疑問が育たないままで終ってしまう。

  一番大事なのは、謎を自分の心に銘記して、
  常になぜだろう、どうしてだろうと思い続ける。
  思い続けて謎を明確化、意識化することです。・・・ 」

     ( 単行本p188 「レッスン5考えるコツ」 )

うん。こんな私にも『思い続ける謎』があったのかどうか?
私の中で枯れてしまい、ちっとも育てなかった疑問の数々。

そういえば、『 みずから水やりを怠っておいて 』
と詩なかに一行しのばせておいた詩人がおりました。
うん。ここには、詩のはじまりの三行を引用しとこ。


   ぱさぱさに乾いてゆく心を
   ひとのせいにはするな
   みずから水やりを怠っておいて




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はじまりの『グリム童話集』。

2023-04-01 | 古典
河合隼雄著「泣き虫ハアちゃん」の中の
第7話「クライバーさん」にグリム童話が出てくる。
そこでグリムの「つぐみ髯の王様」の話を持ち出す。

はい。気になったので完訳グリム童話(小澤俊夫訳)を
読んだこともなかったのですが、ひらいてみました。

ちなみに、番号がふってあり52番に『つぐみひげの王さま』
つぎの53番は『白雪姫』でした。ぱらりとひらいていたら
34番の『かしこいエルゼ』が、私には印象に残りました。

それはそうと、河合隼雄には「『グリム童話集』を読む」
という短文がありました。うん。そのはじまりはこうです。

「グリムの昔話は、私の子どものころの愛読書であった。
 私は田舎育ちで本を読む子どもなどは少ない状況だったが、

 私の家にはアルス社の『日本児童文庫』という本がずらりと
 並んでいて、私は読書欲を相当に満足させられたものである。

 そのなかの一冊に『グリム童話集』というのがあり、
 小学二年生のときに読んだように思う。・・・

 グリムの話は大好きだったが、何度読んでも心のなかに疑問が生じてきて、
 どうしてもとけないことがあった。

 『黄金の鳥』という話は大好きだが・・・・
 『つぐみ髯の王様』も強く心を惹かれた話であったが・・・・

 空想好きなくせに妙に論理的なところがあった私は・・・
 だれも本気で相手にしてくれず、自分なりに勝手に考えるより
 仕方がなかった。・・・・・

 私は子どものときから、人間が不幸になるのはたまらない、
 というところがあって、日本の昔話の悲劇的結末に耐えられず、
 どうしたら幸福になれただろうかと・・・・

 ところで、昔話に対する私の長年の疑問がとかれる時が
 思いがけずやってくるのである。それは1962年にスイスの
 ユング研究所に留学すると、ユング心理学による昔話の解釈の
 講義が、フォン・フランツ女史によってなされており、
 そこでは私が子ども時代に抱いた疑問がつぎつぎと取りあげられて、
 見事にとかれてゆくのである。・・・

 私もまったく心を奪われてしまった。
『つぐみ髯の王様』も『黄金の鳥』もちゃんと取りあげられ、
 私のそれまで考えていたことをはるかにこえた観点から
 解釈がなされてゆくのである。・・・・        」


こうして4ページほどの短文のしめくくりは、こうありました。

「 大人も子どもも多くの人が、グリムの昔話を読み、
  自分なりの意味をそこに見出してほしいものと思う。 」

はい。わかりました。年は喰いましたけれど、これから読みます。
はじまり。はじまり。

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