映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

勝間和代  利益の方程式

2008-09-14 21:07:06 | 
人気の作家である。雑誌から書籍まで売れに売れまくっているという感じである。

この本で参考になったところを記述する。
1.成功というのは、成功するまで仮説→実行→検証を繰り返すこと
2.顧客原価を、顧客が感じる価値を損なわないようにしながら、限りなく小さくすること。(むやみにケチるのではなく、価値を感じるところには必要なコストをかけ、そうでないところは徹底してコストを省く)
3.すべての人には可処分所得を上限とした予算がある。
4.単価に関する反応は、顧客がこれまで経験してきた膨大な消費経験との比較になる。
5.最初は顧客単価の高い層にまず少数の、高い商品を売って、そのお金で開発費、販売費を回収した後に、徐々に顧客単価を下げた商品を売り、より広い顧客層にアピールする。
6.コンプレックス市場には、顧客は高い価値を感じ、全財産をなげうってもかまわないほどの予算枠を用意する。
(ハゲ、美容、英語、子どもの教育、恋人探しなど)
7.プリフィックスのあるフレンチでは、コーヒーをエスプレッソに換えると+200円とか、食材に高級なものを使って+1500円とかさまざまな形で顧客単価を上げようとしている。
8.数万円、数十万円のお金は痛みが大きいが、数百円、数千円は痛みが少ない。
9.売れた本は宣伝しなくても初速が速い。
10.獲得しやすい客と儲かる客はちがう。
(無料サービスに食いつく客は、渋い客である。)
11.原価管理で一番重要なのは、「なるべく人を少なくすること。」人はやや少ないくらいがストレッチする。コスト削減に熱心でも、人件費にはルーズなのが日本の企業
12.余剰人員が出ると、顧客の価値にならない仕事を勝手に作る。
13.価格を設定する際は高めに設定すること
14.顧客単価を1円でも高くなるようにコツコツ引き上げ、無意味な値下げをしない。
15.既存顧客のニーズに耳を傾けすぎるとマニアックになり、一般顧客ニーズから乖離する。
16.S字カーブにおけるイノベーター2.5%とオピニオンリーダー13.5%の重要性と他社製品がS字カーブのどの位置にあるのかを考える。
(普及率16%の論理:エベレット ロジャース「イノベーションの普及」)
17.価格が高いほど顧客はいいものを買ったと満足する。

なかなか参考になったぞ!!!
彼女は1ヶ月に50冊の本を読んでいるそうだ。彼女の感覚じゃないが「高い本も5千円以下であれば、飲み代一回と思えば安いもんだ」という感覚を大事にしよう。
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中山康樹  リッスン

2008-09-14 13:28:42 | 
中山康樹の名前は本屋で何度も何度も見る間に知った名前だ。
マイルスデイビスやジャズの評論の人かと思っていたが、ビートルズや桑田の本を出しているので驚いた。
ビートルズの曲紹介本はなかなかの傑作である。

そんな彼が書いている自叙伝を本屋で見つけた。
「リッスン」

大阪堺の先の上野芝で育った彼は近所に住む友人とビートルズを聴き始めた。
ちょうど来日前、アハードデイズナイトの前くらいであった。
「フロムミートゥーユー」よりB面の「アイソーハースタンディングゼア」の方が良いよね。とか「プリーズプリーズミー」かて「アスクミーホワイ」しか聴いてへん。なんて会話は非常に素敵な会話で、自分もそんな話をしたことがある。
「アスクミーホワイ」は自分も大好きな歌だった。

ビーチボーイズも聴きながら、次第にジャズの道へ入っていく。
最初はレコード屋の親父にいくつかレコードを選んでもらって聴き始めるが、ミナミの「ファイブスポット」や森小路の「ムルソー」というジャズ喫茶でじっくり聴き始める。
そんなころの心境を「ジャズを聴いているという特権意識や優越感が周囲の人間を下に見せていた。」と言っているが、同じような気持ちを中学から高校にかけて自分も持ったことがある。

それにしても悲劇だったのが、彼の父上の事業が破産してしまったことだ。高校卒業する前にそのようなことになってしまったことは大変だったと思う。大学進学をあきらめることになるのだが、彼はいわゆる「自分の大学」すなわち「ジャズ大学」にはいっていくのであった。
そう思うと、晩年は父の事業は開店休業状況だったけど、自分が30半ばを過ぎるまで父ががんばってくれたことに心から敬意を表したいと思う。

その後自分たちが作ったジャズの同人誌が認められて「スウィングジャーナル」に入ることになる。その経緯話は、椎名誠の新橋話に似ていておもしろい。
中学から高校時代自分にとって神様だった「スウィングジャーナル」児山編集長やいソノテルヲや油井正一、植草などの人たちのふれあいの話は興味深い。

特に植草さんの書き方の特徴をうまく書いてある。「ジャズを書く時の彼の手法は、外国のジャズ雑誌を素材に自分の雑感、周辺模様を盛り込み、どこが植草の文章なのか、どこが引用なのかを、区別できない語り口にすることだった。」
本質を書かなかったから一般にも広く支持された。となっている同感である。
ジャズだけでなく映画の文章もそうだった。

自分も同じような音楽きちがいだったので、共鳴することが多い。
自営だった親の金をくすねてレコードを買うところは自分も同じだ。最後まで愛情を注いでくれたいかにも大阪らしい人情味あふれる母親の話は素敵な話であった。




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