一昔前の大ベストセラーに「知的生活の方法」があった。渡部昇一氏の読書遍歴と読書生活のための理想的環境が書いてある本であるが、その中で「ドイツ参謀本部」を作り上げる過程が書いてあり興味深く読んだ。
数多い歴史の新書の中でも、楽しめる本である。
17世紀初めの「30年戦争」をスタートにプロイセン王と軍隊の関係を記述した後、19世紀入る直前からのナポレオン進攻への警戒と対策としてのシャルンホルストによる参謀本部設置案について述べられる。1806年イエナの戦いに敗れた後、ティルジットの和約でプロイセンはナポレオンに領土の半分を取られる。
この後初めて参謀本部がひそかに設置される。
ナポレオンは主要戦場にできる限りの火器と兵力を集中させ、相手を叩いて追撃を図るのだが、プロイセンの参謀長グナイゼウは決戦を避け、退却することも手段に選び、相手に損害を与えつつ消耗させたうえで逃げる作戦をとる。
実際14回の戦いの内11回はナポレオンは勝っているのだが、フランス軍隊の数は着実に減っていたし、プロイセン軍の敗者たちはまた新たな戦いの戦士へと変わる。有名なワーテルローの戦いでも、英国ウェリントン軍と戦っているナポレオン軍を、一昨日負けたばかりのプロイセン軍が攻めて勝利をつかむのである。英国軍は応援がなければ負ける寸前の状態であった。
ナポレオン戦争以降も、参謀本部は平時においても、近隣諸国の軍力を徹底的に調べ、それに備えての動員計画を科学的に立てていた。
ナポレオン戦争を研究して、戦争の中に存在する一定の法則があると論じたジョミニとともにクラウゼビッツはその重要人物の一人で、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続」という「戦争論」に達する。
そのクラウゼビッツの理論を具現化させたのが参謀長モルトケである。
宰相ビスマルクとの名コンビは歴史的にも有名すぎるくらい有名だ。
基本的には主戦場への戦力集中というのはナポレオン的である。それを鉄道を使っての分散進撃、包囲集中を図るわけである。また各戦地に同じ程度の能力を持った司令官を送り込み、彼らに自由裁量権を与えた。
ナポレオンは自分が先頭になって指揮した戦いはほとんど勝っているが、それ以外は負けている。食料、運搬、気象状況などのスタッフを持たず、ひたすら自分のリーダーシップだけで勝っていた。一方モルトケは戦術的には現地の司令官の自発性を重視した。大局的計画は立てても、予測できないことが戦場においては次から次へと起こるので、戦術を詳細に決めすぎるのはいかがなものと考え、現地の司令官の意思を重視した。
結局あまりに強いプロイセン軍を見て、他国も同様の参謀本部を置くようになった。クラウゼビッツの「戦争論」をフランスが知るのは普仏戦争以降で、フランス軍がくやしがったという話もある。しかし、戦争もないのに人ばかり増え、次第にドイツ参謀本部も肥大化した組織になり、かげりが出始めたようだ。
人員の配置計画など実務に非常につながっていることも多く、これからも再読したいと思う。
数多い歴史の新書の中でも、楽しめる本である。
17世紀初めの「30年戦争」をスタートにプロイセン王と軍隊の関係を記述した後、19世紀入る直前からのナポレオン進攻への警戒と対策としてのシャルンホルストによる参謀本部設置案について述べられる。1806年イエナの戦いに敗れた後、ティルジットの和約でプロイセンはナポレオンに領土の半分を取られる。
この後初めて参謀本部がひそかに設置される。
ナポレオンは主要戦場にできる限りの火器と兵力を集中させ、相手を叩いて追撃を図るのだが、プロイセンの参謀長グナイゼウは決戦を避け、退却することも手段に選び、相手に損害を与えつつ消耗させたうえで逃げる作戦をとる。
実際14回の戦いの内11回はナポレオンは勝っているのだが、フランス軍隊の数は着実に減っていたし、プロイセン軍の敗者たちはまた新たな戦いの戦士へと変わる。有名なワーテルローの戦いでも、英国ウェリントン軍と戦っているナポレオン軍を、一昨日負けたばかりのプロイセン軍が攻めて勝利をつかむのである。英国軍は応援がなければ負ける寸前の状態であった。
ナポレオン戦争以降も、参謀本部は平時においても、近隣諸国の軍力を徹底的に調べ、それに備えての動員計画を科学的に立てていた。
ナポレオン戦争を研究して、戦争の中に存在する一定の法則があると論じたジョミニとともにクラウゼビッツはその重要人物の一人で、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続」という「戦争論」に達する。
そのクラウゼビッツの理論を具現化させたのが参謀長モルトケである。
宰相ビスマルクとの名コンビは歴史的にも有名すぎるくらい有名だ。
基本的には主戦場への戦力集中というのはナポレオン的である。それを鉄道を使っての分散進撃、包囲集中を図るわけである。また各戦地に同じ程度の能力を持った司令官を送り込み、彼らに自由裁量権を与えた。
ナポレオンは自分が先頭になって指揮した戦いはほとんど勝っているが、それ以外は負けている。食料、運搬、気象状況などのスタッフを持たず、ひたすら自分のリーダーシップだけで勝っていた。一方モルトケは戦術的には現地の司令官の自発性を重視した。大局的計画は立てても、予測できないことが戦場においては次から次へと起こるので、戦術を詳細に決めすぎるのはいかがなものと考え、現地の司令官の意思を重視した。
結局あまりに強いプロイセン軍を見て、他国も同様の参謀本部を置くようになった。クラウゼビッツの「戦争論」をフランスが知るのは普仏戦争以降で、フランス軍がくやしがったという話もある。しかし、戦争もないのに人ばかり増え、次第にドイツ参謀本部も肥大化した組織になり、かげりが出始めたようだ。
人員の配置計画など実務に非常につながっていることも多く、これからも再読したいと思う。