何度も読んだ本だ。
ピカソ、ニュートン、ゲーテ、ナポレオン、チャーチル、モーツァルト、チャップリン、ダーウィン、平賀源内の9人の天才たちの生い立ちを取り上げ、彼らがいかに努力したか述べている。
著者によれば、この中でピカソとモーツァルトが「モノマネ」の天才ということで共通しているとのことだ。
モーツァルトの研究書によれば、彼はハイドンや他の作曲家の模倣、借用をおこなっているのは明らかということだ。しかし、著作権うんぬんという時代ではないのか「盗作」で訴えられることはなく、お互いに代作、共作をしていたようだ。
6歳から20歳まで、フランス、イタリア、ロンドンと世界をまたにかけて演奏旅行をしている間に新しい音楽に接するチャンスがあり、ほんのちょっとの楽想からすばらしい旋律を作り出せたとのことだ。
著者はいう
「まじめな生徒は必ず先生の真似をするものである。字の書き方、話し方、歩き方までまねる。そうして初めて先生に近づくことができると」
「他人の音楽を模倣して、それをはるかに超えてモーツァルト独特の音楽を作る能力こそ彼の天才ぶりである。」
私は比較していないが、モーツァルトとその模倣した曲を比べると、明らかにモーツァルトの方が人の胸に迫る曲であるという。
ピカソの父親は学校で絵画を教える画家であった。
現代でいえば義務教育などなんのその、ひたすら絵を描く才能ただ一筋に育てられた子どもであった。
「子どもは誰でもはじめは身近にいる者の真似をする。」
「ピカソには、そこに絵を描いている父がいて、彼は無心でそれを真似をしていた。」
ピカソは10歳で絵画学校に入学して、父親に学校でも家でも学ぶ。
父親にデッサンがきちんとなるまでは、絵具を使ってはいけないと教えられていたピカソは忠実にデッサンの修行を積む。13歳になったあるとき自分よりもうまくデッサンを書くピカソの絵を見て、父は絵具と絵筆を息子に与えて、絵を描くのをやめたそうだ。
(中島敦の「名人伝」を思い出す)
ピカソは生涯に2万点を超える作品を描く位、多作であったが、父親が教えることをやめてからは、他人の作品を数多く見るのも重要な勉強の一つとなった。
美術館が彼の「学校」となった。いかにも模倣といわれる作品も、数多く作られたのである。
著者いわく
「独創性をやたら強調する現代の教育の風潮の中で忘れられていることは、まねをする能力と物事を鮮明に記憶する能力である。
ピカソは一度見たものは決して忘れず、自由に再現することができて、意識的無意識的に自分の作品に利用したという。」
天才ピアニストグレングールドいわく
「創造的行為と模倣的行為の違いは、時間が経つと比較的わずかな差となる可能性がある。」
著者いわく
「何事につけ、無から創造は不可能である。豊富な知識こそ創造の源泉である。」
「あらゆる本は引用であり、すべての人間は祖先からの引用である。もっとも偉大な天才は、他人のお陰を受けている人間だ。」
ひたすら読んで自分の読書ノートに書き加えていくしかない。
ピカソ、ニュートン、ゲーテ、ナポレオン、チャーチル、モーツァルト、チャップリン、ダーウィン、平賀源内の9人の天才たちの生い立ちを取り上げ、彼らがいかに努力したか述べている。
著者によれば、この中でピカソとモーツァルトが「モノマネ」の天才ということで共通しているとのことだ。
モーツァルトの研究書によれば、彼はハイドンや他の作曲家の模倣、借用をおこなっているのは明らかということだ。しかし、著作権うんぬんという時代ではないのか「盗作」で訴えられることはなく、お互いに代作、共作をしていたようだ。
6歳から20歳まで、フランス、イタリア、ロンドンと世界をまたにかけて演奏旅行をしている間に新しい音楽に接するチャンスがあり、ほんのちょっとの楽想からすばらしい旋律を作り出せたとのことだ。
著者はいう
「まじめな生徒は必ず先生の真似をするものである。字の書き方、話し方、歩き方までまねる。そうして初めて先生に近づくことができると」
「他人の音楽を模倣して、それをはるかに超えてモーツァルト独特の音楽を作る能力こそ彼の天才ぶりである。」
私は比較していないが、モーツァルトとその模倣した曲を比べると、明らかにモーツァルトの方が人の胸に迫る曲であるという。
ピカソの父親は学校で絵画を教える画家であった。
現代でいえば義務教育などなんのその、ひたすら絵を描く才能ただ一筋に育てられた子どもであった。
「子どもは誰でもはじめは身近にいる者の真似をする。」
「ピカソには、そこに絵を描いている父がいて、彼は無心でそれを真似をしていた。」
ピカソは10歳で絵画学校に入学して、父親に学校でも家でも学ぶ。
父親にデッサンがきちんとなるまでは、絵具を使ってはいけないと教えられていたピカソは忠実にデッサンの修行を積む。13歳になったあるとき自分よりもうまくデッサンを書くピカソの絵を見て、父は絵具と絵筆を息子に与えて、絵を描くのをやめたそうだ。
(中島敦の「名人伝」を思い出す)
ピカソは生涯に2万点を超える作品を描く位、多作であったが、父親が教えることをやめてからは、他人の作品を数多く見るのも重要な勉強の一つとなった。
美術館が彼の「学校」となった。いかにも模倣といわれる作品も、数多く作られたのである。
著者いわく
「独創性をやたら強調する現代の教育の風潮の中で忘れられていることは、まねをする能力と物事を鮮明に記憶する能力である。
ピカソは一度見たものは決して忘れず、自由に再現することができて、意識的無意識的に自分の作品に利用したという。」
天才ピアニストグレングールドいわく
「創造的行為と模倣的行為の違いは、時間が経つと比較的わずかな差となる可能性がある。」
著者いわく
「何事につけ、無から創造は不可能である。豊富な知識こそ創造の源泉である。」
「あらゆる本は引用であり、すべての人間は祖先からの引用である。もっとも偉大な天才は、他人のお陰を受けている人間だ。」
ひたすら読んで自分の読書ノートに書き加えていくしかない。