「武士の家計簿」は加賀藩に仕えていた経理係の武士一家を森田芳光監督&堺雅人主演で映画化した。剣をふるう場面が出てこない異色の時代劇だ。堺雅人がもつ独特の個性で柔らかいムードで進む。窮地に追い込まれていた加賀藩の財政を救うだけでなく、放漫生活で借金がかさんでいた家の家計の改善も目指すという話だ。女性ぽい気質でケチケチしているようにも見えるが、いやらしさはない。
江戸時代末期、御算用者(経理係)として、代々加賀藩の財政に関わってきた猪山家。八代目の直之こと堺雅人もめきめきと頭角をあらわしていた。父信行こと中村雅俊も同じ所で勤めていた。そろばんを弾き、数字の帳尻を合わせる毎日の直之にある日、町同心こと西村雅彦を父に持つお駒こと仲間由紀恵との縁談が持ち込まれる。
飢饉が続いた後加賀藩の財政もきつくなっていた。主人公は御蔵米の勘定役に任命されるが、農民たちへのお救い米の量と、供出量との数字が合わない。米の配給が少なく農民の不満も爆発寸前だ。主人公は不審に思い、独自に調べ始める。やがて役人たちによる米の横流しを知ったが、その動きを察して輪島への左遷を言い渡される。新婚早々の異動を余儀なくされる。
結局は一派の悪事がわかり左遷の取り止めに加え、異例の昇進を果たす。しかし、家は出費がかさんでいた。付き合いも多く膨大な借金もあった。主人公は家財一式を処分、借金の返済に充てるという決断をする。愛用の品を手放したくないと駄々をこねる母こと松坂慶子も説得していくのであるが。。。。
堺雅人がいい。いつもの笑顔がここでも晴れやかで好感が持てる。「ゴールデンスランバー」がいい作品に仕上がったのも、主人公である彼のキャラによるものが大きい。この映画も別の人が同じ役を演じたら、ケチというよりもシミッタレという雰囲気になって暗い映画になったかもしれない。
脇を固める主演級の演技もいい。中村雅俊、松坂景子、草笛光子いずれもコミカルなキャラである。経理係の家計と言うと固いイメージが強いが、いずれもなおおらかなキャラクターだ。
中村雅俊が今は東大の赤門になっている前田邸の門の建造にかかわる自慢話を何度も話したり、自分が大事にしているものを売りたくないと駄々をこねる松坂恵子の演技など笑える場面がこの映画の全般的な雰囲気を朗らかにしている。そういった意味で倹約推奨のケチケチ映画にならず、堺雅人のキャラらしい映画になっているというのは、いかにも彼が主演級として成長していることを示している。
そんな気がした。
江戸時代末期、御算用者(経理係)として、代々加賀藩の財政に関わってきた猪山家。八代目の直之こと堺雅人もめきめきと頭角をあらわしていた。父信行こと中村雅俊も同じ所で勤めていた。そろばんを弾き、数字の帳尻を合わせる毎日の直之にある日、町同心こと西村雅彦を父に持つお駒こと仲間由紀恵との縁談が持ち込まれる。
飢饉が続いた後加賀藩の財政もきつくなっていた。主人公は御蔵米の勘定役に任命されるが、農民たちへのお救い米の量と、供出量との数字が合わない。米の配給が少なく農民の不満も爆発寸前だ。主人公は不審に思い、独自に調べ始める。やがて役人たちによる米の横流しを知ったが、その動きを察して輪島への左遷を言い渡される。新婚早々の異動を余儀なくされる。
結局は一派の悪事がわかり左遷の取り止めに加え、異例の昇進を果たす。しかし、家は出費がかさんでいた。付き合いも多く膨大な借金もあった。主人公は家財一式を処分、借金の返済に充てるという決断をする。愛用の品を手放したくないと駄々をこねる母こと松坂慶子も説得していくのであるが。。。。
堺雅人がいい。いつもの笑顔がここでも晴れやかで好感が持てる。「ゴールデンスランバー」がいい作品に仕上がったのも、主人公である彼のキャラによるものが大きい。この映画も別の人が同じ役を演じたら、ケチというよりもシミッタレという雰囲気になって暗い映画になったかもしれない。
脇を固める主演級の演技もいい。中村雅俊、松坂景子、草笛光子いずれもコミカルなキャラである。経理係の家計と言うと固いイメージが強いが、いずれもなおおらかなキャラクターだ。
中村雅俊が今は東大の赤門になっている前田邸の門の建造にかかわる自慢話を何度も話したり、自分が大事にしているものを売りたくないと駄々をこねる松坂恵子の演技など笑える場面がこの映画の全般的な雰囲気を朗らかにしている。そういった意味で倹約推奨のケチケチ映画にならず、堺雅人のキャラらしい映画になっているというのは、いかにも彼が主演級として成長していることを示している。
そんな気がした。