後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

白州正子「私の百人一首」は良い本です

2008年07月09日 | 本と雑誌

「60の手習いとは、・・・手がけてきたことを・・・やり直すことをいうのだ」とか「・・・一々歌の意味や心を味わっていて、かるたがとれる道理はない」というような寸鉄人を刺すような名句が次々と出てくる本である。歌あわせかるたは多くあったが、何故小倉百人一首だけが残ったのか?百首の内容が深く響きあって一つの壮大な文学的作品になっているから、という興味をそそる導入がある。

現代人の通弊は古今・新古今の歌はつまらないと思っている。万葉集のほうが良いという。そんなことは正岡子規に教わらなくとも分かる。でも年老いてくると平安朝文化の奥の深さに魅力を感じてくる。こんな名調子の文が並んでいる。

百人一首の選者は定家で、嵯峨の山荘で、宇都宮頼綱のためにみずから書いて贈ったという。そこで白州正子さんは嵯峨野を歩いて、その後で一首、一首説明してくれる。

検証は精密を極め、学問的ですらある。しかし読んでみると流れるような文章力のお陰で「検証」とか「学問的」というような無粋な言葉を連想させない。

全てのことをインターネットで検索している自分が恥ずかしい。一冊の本全体の香りや完成度を楽しむことはインターネットとは別世界の楽しみと思う。

巻末に作者索引、百首索引、そして百人一首参考系図が付いている。とくに参考系図の中の人名には百人一首の歌の番号が順序良く付いている。百人一首の勉強をしたことの無い小生にとってはこれが一番有難い。百人の作者がみな天皇家か藤原家の2つの系図に入っているのもいろいろなことを暗示していると思う。

世の中に百人一首の歌を全て暗記している人々も多いが、この本をどのように評価しているのだろうか?コメントを頂ければ幸いです。

一般論ながら何かを検証した本の場合は、索引のついていない本は完成度が悪いと言われている。そんな本は読む価値が無いとも教わった。蛇足ながら。

最後に奥付を、「私の百人一首」白州正子著、新潮選書、昭和51年12月15日初版発行、発行所:株式会社新潮社、全242ページ


外国体験のいろいろ(52)中国の鵜飼―戦争・そして日本のこと

2008年07月09日 | 旅行記

○河北の湖の鵜飼漁師

北京の南、河北省の保定市が技術センターをつくりたいという。出来るだけの協力をしようと、何度か同地に通った。1996年のことである。

休みの日、河北大学の先生が、日帰りの観光旅行へ連れて行ってくれた。広大な湖、縦横ともに約40㌔。近隣の農民の観光地らしく、湖上遊覧の船がビッシリと並んでいる。客を呼び込む声が騒がしい。

岸辺には、質素な魚料理店がいくつもあり、農民が群がっている。外国人観光客は一人もいない。

船に乗ると、水面から3メートルぐらいに伸びた葦が密集して視界がきかない。船の通れる幅だけの迷路のような水路を右左に進む。と、突然視界が開け、一面大輪の白いハスの花になる。

花が散った後の、蜂巣のような形にハスの実がなっている。ハス田に船を押し込み、船頭が実をむしり取る。健康に良いから食べろと言う。おそるおそる食べたが、青臭い味で美味しくない。

さらに密集した葦の中を沖へ沖へと進む。かなり沖に出た所で水路が開け、黒い鵜(う)を20羽くらい乗せた舟が何艘も舫っている。鵜飼漁で生活をしている人々の住んでいる島である。何軒かの粗末な漁師の家が見える。

鵜飼と言えば、長良川の鵜飼をテレビで毎年見ていた。鵜飼の発祥の地へ分け入ったような感じがしたので漁師の話を聞くことにした。黒い鵜が並んでとまっている舟に近付いてもらった。通訳を通して一時間ほど話を聞く。

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      ○鵜に助けられ、日本兵から逃げ切った話

「お邪魔しますが、少しお話をして良いですか?」「いいよ」「鵜飼は日本にもありますが、中国から伝ったようですね。これで生活しているのですか?」「そうです。一年中よく魚が取れるので十分生活出来ます」「鵜飼の難しいところは?」「鵜は一羽一羽、皆気性が違うので、それに合わせ世話をすることです」

「話は変わりますが、前の大戦では日本兵が来ませんでしたか?」「われわれを使役に使うために、よく駆り出しに来ました」「ひどい話ですね」

「いや、私は一回も捕らなかった。日本兵は駆り出しを始める前、湖に向かって威嚇の鉄砲をパパーンと打ち上げます。それを聞くと、舟に鵜を乗せて視界の悪い密集した葦の中に入ってしまうのです。岸から遠く離れ、二、三日、鵜が取った魚を食べて暮らすのです。燃料は枯れた葦の茎、野菜は食用になる水草とハスの実。生活には困りませんね。二、三日して島に帰ると、日本兵は居なくなっている。戦争で日本兵を見たことはありませんでしたね。鉄砲の音だけでしたよ」

「鵜に助けられたのですね」「いや全くそうです」

      ○日本は中国の一地方?

「私は日本から来た者ですが、日本はどこにあるかご存知ですか?」「知っているよ。いまは東北地方と呼んでいる辺りにあったよ。清朝があった満州というところらしいね」「そうでなく、その東の東海の上にある細長い国です」「ああ、そう言えば朝鮮とか言ったね。まあどちらにしても中国の一つの地方にあるんだ」

この老人にとって満州も朝鮮も日本も大差無く、そのいずれも中国の一地方と思っているらしい。

「ところで、1949年に中国の共産党が国民党に勝って全中国を統一し、独立させたことは知っていますか?」「ああ知っているよ。中国を植民地にしていた外国どもを追い出した。でも何百年と続く鵜飼漁のこの島の生活はなんにも変わり無いよ」「丈の高い葦が密集。そして、この沖の島まで迷路のような水路しか無いからですね」

共産党中央の権力闘争も文化革命もはるか別世界のことに違いない。

初夏の風が葦を騒がせ、遠方では一面の白いハスの花が揺れている。保定市の騒がしい経済開発区の傍に、こんなに静かで悠久な生活がある。中国の湖沼地帯の田舎は想像以上に広く草深い。(終わり)


小さき花々

2008年07月09日 | 写真

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梅雨の晴れ間。心地良い風に吹かれながら細い道を辿って行く。小さな花々が何気なく咲き乱れている。つぎつぎと現れる美しい色の霞のかたまりのように。名前など気にしないで可憐な花々のパステルカラーを楽しもう。栽培した人々もそう願ってさりげなく植えているのに違いない。

撮影場所:東京都調布市神代植物園にて、撮影日時:7月2日午前11時